小樽の古い町名の痕跡

2019年9月27日 (金)

小樽にかつてあった町名をつけた市道「住初線」

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小樽には、かつてあったけど今はもうないという、町名改正でなくなった町名が結構あって、そういう古い町名の名残を時々見つけることがあります。

で、今回はそんな町名の名残についてなんですが、今回は道路の名前でありました。

その道路は、市道「住初(すみぞめ)線」です。

住初(すみぞめ)町は、入船通りと平行した、南樽方面側の線路をまたぐ通り沿いにあった、細長い町でした。

この住初線があるというのは、実はだいぶ前に読者さんから教えてもらったのですが、今回、きちんとその市道住初線について確認してみました。

この住初線は、入船のバス通り(入船通り)に並行する道路で、入船町と住ノ江町、そして住吉町との境界にもなっています。

(一本左側に入船のバス通り)
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地図に住初線のマークをつけると、このようになります。

住初線の山側の始まりはというと、入船町のバス通り沿いにある入船小公園の交差点で、ここから横の坂道に入って、この先には住之江の高台に上る階段があるのですが、その階段の手前で海側に曲がり、そこからまっすぐと、入船通りに並行しながら、この住初線が伸びています。

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(途中に線路の陸橋があります)
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(住初線を横切る線路の陸橋を海側から見たところ)
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住初線はメルヘン交差点からの三本木急坂にぶつかるまでとのことです。

この市道の名前と範囲は、小樽市役所に行って確認してきました。

ここで、住初町についてですが、住初町は明治14年に付けられた町名で、大正時代にも近隣の町との移動があったようですが、最終的には昭和42年に住ノ江町、入船町、そして住吉町へと編入されて、住初町はなくなっています。

その町の範囲については、市立小樽図書館デジタルライブラリー内の昭和34年(1959年)から昭和37年(1962年)の間に作成されたという小樽市内図で確認できました。

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小樽市全域-古地図No102より(市立小樽図書館所蔵)
※当地図は市立小樽図書館の許可を得て掲載しています。コピー・転載等不可です。

なるほど、確かに現在の住ノ江町、入船町、そして住吉町にかかってますね。

そして、住初町の真ん中を通っている道路が、市道住初線になっているんですね。

いつから住初線という名前がついているのかは、分からないのですが、今はない住初町の名残を市道の名前で見つけることができました。

(住初線を海側から見たところ)
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小樽に残る古い町名の痕跡を探すというのも、なかなか興味深くて、このブログでは、昔あった町名の名残りとして、南樽駅周辺の踏切名を掲載してます。曙町通り踏切、開運町踏切、新地町踏切などがそれですね。その他にも、長橋の端にある砂留トンネルなどの「砂留」も、昔の町名です。

ということで、今回は、小樽にかつてあった町名をつけた、市道住初線についてでした。

ちなみに、住初町の名残としては、他にこのようなものも近くにありました。

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※こちらは以前、記事にしています:・小樽にかつてあった町名の名残り〜「住初町」の住初町会広報板

※市役所の建設部用地管理課にて、市道の名称や位置を教えてくれるんですね。今回、個人のために対応していただき、どうもありがとうございました。この場を借りてお礼させていただきます(参考:小樽市 :市道に関することについて)。

※参照:「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)

【関連記事】
南小樽駅周辺の踏切のある風景〜相生町踏切〜曙町通り踏切〜開運町踏切〜新地町踏切
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る

入船町から住ノ江町の高台へと上る急な階段は106段
住之江会館前の坂道を上った先の左に曲がる急坂が気になって
住ノ江町の坂と火の見やぐら
入船陸橋の入船通りから南樽駅側の鉄橋下が綺麗になって古い橋脚も出現してます

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2016年10月 6日 (木)

これも昔の町名の名残り!?〜かつての高砂町にある高砂橋と高砂会館

小樽には、かつてあったものの、今はもうなくなった町名というのが少なくありません。

街の中には、そんな今はない、かつての町名の名残りがあったりするんですよね。
で、今回のそんな名残りは橋の名称です。


勝納川に架かる、国道5号線の橋の名称は「高砂橋」というのですが、この“高砂”というのは、かつてこの辺りについていた町名なんですよね。

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はっきりとこの橋の名称が、町名の高砂町に由来するという記述は見つけてないのですが、おそらくそうだろうと推測できます。

Otaru_dsc05152

高砂町について、ちょっと調べてみると、高砂町は明治6年に付けられた町名とのことで、昔の地図を見ると、高砂橋から下流の真砂橋を挟んで、次のJRの橋梁手前までの区間の、勝納川沿いの下流に向かって左側が、高砂町だったようです。

ちなみに、高砂橋の最初の橋ができたのが明治35年のことだそうで、高砂橋の名はその時に付けられたそうです(参考:小樽なつかし写真帖 第92号)。

その後、昭和43年に、高砂町は現在の若松町に編入されたとのこと(若松2丁目あたりですね)。

※参考:所蔵地図データベース(国際日本文化研究センター)
※参考:「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)

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普段、よく通る橋でも、名前をあまり気にすることはないかもしれませんし、たとえ高砂橋という名前を聞いていも、古い町名までは、すぐに思いつきませんよね。

勝納川の鯉のぼりで当ブログでも掲載する、高砂橋から見た風景)
Otaru_20160414_162034r


実は、この高砂橋の下流の次の真砂橋(南樽市場の海側出入口を出てすぐの橋)を渡ってすぐのところに「高砂会館」という看板があって、その奥に高砂会館の建物があるんです。

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この高砂会館についても、いつからあるとかは全然分からないのですが、場所的にはかつての高砂町内なので、名称はその頃の名残りなんでしょうね。

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ということで、今回は、かつてあった町名「高砂町」の名残りについてでした。

ちなみに、このブログでは、昔あった町名の名残りとして、南樽駅周辺の踏切名(曙町通り踏切、開運町踏切、新地町踏切がそれです)や、長橋の端にある砂留、前回の住初町の住初町会広報板などを掲載してます。

こういう昔の町名の名残りを探すのも、街歩きの楽しみでもあったりするんですよね。

※記載に間違いがあったら、ご指摘ください。

【関連記事】
小樽の勝納川散歩〜勝納川に架かる橋を巡る【まとめ記事】

※かつての町名に関する記事。
小樽にかつてあった町名の名残り〜「住初町」の住初町会広報板
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る
臨港線と住吉町の高台を結ぶ「山ノ上の坂」〜ここはかつて山ノ上町でした
南小樽駅すぐ手前の「曙町通り踏切」の風景
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景
かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景


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2016年10月 5日 (水)

小樽にかつてあった町名の名残り〜「住初町」の住初町会広報板

その昔、小樽の町が急速に大きくなっていった頃、町名も次々に付けられていったようですが、その後に編入などで無くなってしまった町名も少なくないんですよね。

小樽の街を歩いていると、そんな昔の町名の名残りを目にすることがあるのですが、今回目にした形跡がこちらです。

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住初町会広報板と書かれてますが、この「住初町」というのが、かつてあった町名なんですよね。

Otaru_20160917_153503t

実はこれ、以前、Twitterのフォロワーさんに教えてもらっていたのですが、場所は入船通りのコープさっぽろ小樽南店とセブンイレブンのある交差点から、双葉高校や小樽病院がある方面への坂道を上って、1本目の通りを左に曲がってすぐあります。

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この住初町について、ちょっと調べてみたのですが、住初町は明治14年に付けられた町名とのことで、どうやら、上の写真の矢印から入っていく、入船通りと平行した通り沿いの細長い町だったようです。

その後、住ノ江町、入船町、そして住吉町へと編入されて、町名がなくなったのは昭和42年とのことです。

ところで、この“住初”でなんと読むのかな?
“スミゾメ”という記述を目にしたのですが、はっきりとは分かりませんでした。

※参考:「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)
※参考:所蔵地図データベース
※間違っていたら、ご指摘ください。

ということで、今回は、かつてあった町名「住初町」の形跡でしたが、こういう昔の町名の名残りを探すのって、何だか面白いんですよね。

ちなみに、このブログでは、昔あった町名の名残りとして、南樽駅周辺の踏切名を掲載してます。曙町通り踏切、開運町踏切、新地町踏切がそれですね。

その他にも、長橋の端にある砂留トンネルなどの「砂留」も、昔の町名です。

【関連記事】
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る
臨港線と住吉町の高台を結ぶ「山ノ上の坂」〜ここはかつて山ノ上町でした
南小樽駅すぐ手前の「曙町通り踏切」の風景
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景
かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景


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2016年4月24日 (日)

上砂留踏切の風景〜長橋にあるJR小樽駅から塩谷方面に向かって最初の踏切

久しぶりの踏切の風景シリーズです。
小樽は街の中をJRが走っていて、結構踏切があるのですが、それらの踏切には固有の名前がついてるんですよね。

で、今回は、長橋のこちらの踏切の風景です。

上砂留踏切

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場所はJR小樽駅から塩谷方面に向かって最初の踏切ですが、長橋に入ってすぐですね。

ちょっと小樽駅寄りから線路を見ると、列車はこちら小樽方面からきます。
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横の車道は、富岡町から長橋方面への抜け道ですね。

そして、塩谷方面のこの先に、今回の上砂留踏切があります。
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踏切に着きました。小樽駅方面を見たところです。

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砂留という名称から分かる方も多いと思いますが、砂留トンネルのすぐ近くで、“砂留”というのはかつてこの辺り(長橋2丁目)についていた町名なんですよね。

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※砂留については、こちらの記事内にもうちょっと詳しく書いてます。
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る

“上砂留”というくらいなので、この辺りは砂留町の上のほうだったのでしょうね。

道路で見ると、先ほどの富岡町から来る道路(船見坂の上から続く道)が旧国道と合流する手前にある踏切、ということになります。

旧国道は、国道5号線の長橋パイパスに続く砂留トンネル手前で分岐して、トンネルの上に上ってきているんですよね。

ここで踏切が鳴って、遮断機が降りました。列車がきたようです!

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塩谷側から来ました。
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では、改めて、踏切を渡りつつ。こちらが小樽駅側。単線ですね。
Otaru_20160416_152657

こちらが塩谷・蘭島・余市方面となります。
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踏切を渡って、振り返ったとことろ。
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ここが旧国道との合流地点になります。
Otaru_20160416_152824

ところで、上の写真の正面に高台の壁面が見えますが、高台の上に上る階段があるんですよね。
もちろん、上りました。

で、これが上砂留踏切の眺めです。
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周辺の様子が分かりやすいですね。

小樽駅方面を振り返るとこんな眺めです。
Otaru_20160416_152453


ということで、今回はかつてあった町名をその名前に残す、上砂留踏切の風景でしたが、実は、小樽の踏切名には、昔の町名がついている踏切がいくつかあるんですよね。

そういうところに注目するのも、ちょっと面白いですね。

【関連記事】
※“砂留”関連の記事
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る
砂留地下歩道〜砂留トンネルの手前の壁から線路下をくぐる地下歩道

※昔の町名がついている踏切の記事
南小樽駅すぐ手前の「曙町通り踏切」の風景
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景
かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景


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2016年4月23日 (土)

砂留地下歩道〜砂留トンネルの手前の壁から線路下をくぐる地下歩道

小樽の地下歩道シリーズですが、いや〜、こんな所に地下歩道があるとは知りませんでした。

砂留地下歩道

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前回の「歩道橋シリーズ」で掲載した、長橋へ向かう国道5号線に架かる砂留横断歩道橋のすぐ先に、なにやら入口が見えたんですよね。

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長橋パイパスに続く砂留トンネルの手前なんですが、この左側は高台になっていて、その上を線路が走っているんですよね。

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で、そのさらに向こう側には、富岡町から長橋方面に抜けて旧国道と合流する道路が通ってます。

高台の壁にある入口まで近づいてみると、「砂留地下歩道」のプレートが上にありました。

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通路は真っすぐで、結構暗いですが、短いので、両側の入口から光が差し込んでます。

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で、渡ります。
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小樽市内の他の地下歩道によくある、観光地などを描いた壁画は、通路内にはなくて、抜け出た正面に飾られてました。

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通路を抜け出ると、左がスロープで、
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右側が階段で地上に出ることができます。
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階段側には、また壁画がありました。
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スロープ側にも折り返しの角に壁画が飾られてました。
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で、地上ですね。
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分かりにくいかもしれませんが、下の写真で、道路脇の柵の向こうに線路があって、その向こうには砂留横断歩道橋があります。国道5号線はその下を走っているわけですね。

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地下歩道は、線路とこの道路をくぐってきたというわけです。

出て道路の右がこんな感じで、富岡町の船見坂の上から続く道ですね。

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で、左側に進むと、この先で踏切を渡って旧国道と合流します。

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確かに、この地下歩道を通らずに先ほどの国道沿いからこっち側にくるには、この先の踏切まで行って回ってこないとダメなので、地下歩道は結構な近道になりますね。


ということで、小樽の地下歩道シリーズ、今回はこんな所に地下歩道があるとは全く知らなかった「砂留地下歩道」の様子でした。

※そうそう、砂留というのはかつてこの辺り(長橋2丁目)についていた町名ですね。

【関連記事】
※小樽の地下歩道についての記事は、次のカテゴリーにまとめてます。
・カテゴリー「小樽の地下歩道


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2016年4月22日 (金)

長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る

久しぶりの歩道橋のある風景の「歩道橋シリーズ」、今回は長橋へ向かう国道5号線に架かるこちらの歩道橋を渡ってきました。

砂留横断歩道橋

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国道5号線を長橋方面に向かうと、長橋パイパスに続く砂留トンネルがあるのですが、その手前で道路は旧国道へ向かう道路と分岐しています。

その手前に、この砂留横断歩道橋が架かっています。

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他の一般的な歩道橋とは外観が違いますね。

こちら側は階段ですが、ぐるっと反対側はスロープになっています。

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階段の横に「砂留横断歩道橋」のプレートが。
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平成元年11月完成のプレートがあるので、結構新しい歩道橋ですね。
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ちなみに、この先の新しい国道5号線の長橋パイパスが全線開通したのが、1994年(平成6年)とのことで、それからこの砂留横断歩道橋ができたということかな。

階段を上ると、その先にもスロープが続いてました。
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歩道橋の上から周囲を見ると、すぐ横には線路が走っていて、カーブの向こうから列車が走ってくるといい眺めでしょうね。

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では、歩道橋を渡ります。
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そして、いつものように、歩道橋の上からの眺めです。

こちらが砂留トンネルのある長橋側で、両端のトンネルの上に上っていく道路は旧国道へと続く道路ですね。

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そうそう、この歩道橋からは、トンネルへ入る道路脇にも下りることができますね。

こちらが海側の稲穂町方面ですね。

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そういえば、ここにはその昔、色内川が流れていたんですよね。今は確か暗渠ですね。

歩道橋の反対側は、下りるのに螺旋階段になってました。

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こちら側は、螺旋階段とスロープが覆われてるんですよね。

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で、この時、歩道橋を渡り終えて道路の反対側を見たら、ああ〜〜〜、列車が〜

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(小樽から余市方面は架線がなく気動車)

歩道橋の上から見たかった…
時刻表を確認しておけばよかったです。ツメが甘い。

気をとり直して、下りた所からの歩道橋の外観です。

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ところで、砂留トンネルの名前はよく知られていると思いますが、今回の砂留横断歩道橋にもついている“砂留”という名称について、ちょっと調べました。


砂留という名称について

Otaru_20160416_150001t

知っている方も多いと思うのですが、砂留ってかつて小樽のこの辺り(長橋2丁目)についていた町名なんですよね。

昔は国道沿いに色内川が流れていて、川によって運ばれた土砂が港に流れ込むのを防ぐために、この辺りに砂防池があったそうで、それが“砂留”という町名の由来となったそうです。

その後、砂留町は町名改正で長橋に組み込まれて、砂留の名前はなくなることになります(はっきりとは分からなかったのですが、昭和42年か43年のこと)。

ちなみに、ここを流れていた色内川についてですが、旧国道5号線は元々この色内川沿いにできた道路で、長橋十字街付近から臨港線まで、川の両側に道路があったそうです。

つまり、今はその部分は暗渠になっているということでなんですね。

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って、以上のことは私は全然知らなかったので、こちらの文献を参考にさせていただきました。
・書籍「小樽散歩案内」(発行:有限会社ウィルダネス)
・新ねっとわーく小樽No.2「旧砂留町」(2014年9月)
・小樽なつかし写真帖第98号「街づくりが進むころ」(2012年9月)


ということで、今回は長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」からでした。

これまで渡った小樽の歩道橋については、カテゴリー「歩道橋から」にまとめてますので、そちらもどうぞ。

参考:長橋バイパス - Wikipedia


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2015年12月16日 (水)

南小樽駅すぐ手前の「曙町通り踏切」の風景

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時々、当ブログで掲載している“踏切のある風景”。
今回は、南樽駅(市民の多くは南小樽駅のことをこう呼んでます)の、小樽よりすぐのこちらの踏切です。

曙町通り踏切

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※掲載の写真が7月と10月撮影とちょっと前なのでご了承を。

横断する道路は、住吉町から住ノ江町へと渡る道路で、センターラインはないのですが、かなり幅広の道路です。

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本当に、南樽駅のすぐ手前で、踏切からは駅のホームがよく見えます。

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こちらが小樽駅側です。
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ちなみに、踏切の住吉町側から線路沿いの道を南樽駅方面に向かうと、その先には南樽駅の裏手の出入り口があるんですよね。

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結構利用されているようです。


ところで、この「曙町通り踏切」という名前の“曙町”とは、今はそのような町名はないですが、かつてこの辺りに実際にあった古い町名なんですよね。

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この踏切の名前は、その町名の名残りなんですね。
さらに“曙町通り”ということは、ここの通りはそのように呼ばれていたのでしょうかね。

ちなみに、南樽駅から築港側には「開運町踏切」と「新地町踏切」という名前の2つの踏切が続くのですが、開運町と新地町という名前も同様に、かつてあった町名なんですよね。
※記事はこちらです。
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景
かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景

こういう、今はなくなってしまった、かつての町名の名残りを目にすると、他にはないかと、ちょっと興味をそそられます。

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【関連記事】
南樽駅の裏口


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2015年12月14日 (月)

かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景

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小樽は街の中をJRが走っていて、結構、踏切ってあるんですよね。

このブログでは、時々、そんな踏切のある風景を掲載してるのですが、それらの踏切には固有の名前がついてるんですよね。

今回は、そんな名前のついたこちらの踏切の風景です。

新地町踏切

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※写真が6月と9月撮影とちょっと前なのでご了承を。


場所は南樽駅(市民の多くは、JR南小樽駅をこう呼んでます)から築港方面に向かって2つ目の踏切で、信香町から若松町に渡る踏切です。

道路でいうと、南小樽駅前から信香町方面に下る坂道をそのまま進むと、右手にレンガの煙突が印象的な銭湯の小町湯あって、ここを右に曲がると、この新地町踏切があります。

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信香町側から。
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若松町側から。
Otaru_20150622_135830

で、こちらが南樽駅側。
Otaru_20150622_135853

こちらが小樽築港側です。
Otaru_20150622_135847


ところで、この「新地町踏切」という名前の“新地町”ですが、現在、小樽にはそのような町名はないですよね。

実は、新地町というのは、かつてこの辺りに実際にあった町名なんですよね。

詳しいことまでは分からないのですが、新地町は、明治3年(1870年)に開拓使により付けられた8つの町名のうちのひとつで、その他は、山ノ上、信香、信香裡、勝納、金曇、芝居、土場ということで、現在も残っているのは信香と勝納ですね(参考;「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編 )。

この新地町踏切とい名前は、古い町名の名残りなんですね。

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ちなみに、南樽駅から1つ目で、この新地町踏切の南樽駅寄りにある踏切には「開運町踏切」という名前がついていて、さらに、南樽駅から小樽駅方面に向かってすぐの踏切には「曙町通り踏切」という名前がついてます。

この開運町も曙町も現在はないですが、かつてこの辺りについていた町名なんですよね。

開運町については、南樽駅の開業時の駅名が「開運停車場」(開運町駅)だったということで、駅名にもなっていたんですよね。

小樽の町が急激に大きくなっていった頃、町名も次々に増えていった中で、その後に無くなってしまった町名も少なくないんですが、こうやって、今も残るその痕跡を探してみるのも、ちょっと面白そうですね。

ということで、今回はかつてあった町名をその名前に残す、新地町踏切の風景でした。

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Otaru_20150928_140630

【関連記事】
※開運町踏切については、こんな記事も書いてます。
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景

※参考:踏切 - Wikipedia


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2015年8月 4日 (火)

臨港線と住吉町の高台を結ぶ「山ノ上の坂」〜ここはかつて山ノ上町でした

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住吉神社の前から小樽病院へと続く通りを南小樽駅も過ぎて、さらに海側に真っすぐに進むと、その先で道は左右に分かれます。

厳密に言うと、正面にも舗装はされているけど車の通れない急な坂道があって、この正面の坂道が「赤坂」、そして、左がメルヘン交差点へと下っていく「三本木急坂」、そして、右に下っていくのが、今回紹介する「山ノ上の坂」です。

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この山ノ上の坂を下っていくと、その先は臨港線と合流してます。

実は先日、小樽の魅力をウェブサイトやFacebookページにて発信する「おたるくらし」に、この山ノ上の坂について「山ノ上の坂。ここはかつての山ノ上町」という記事を寄稿させていただきました。
山ノ上の坂。ここはかつての山ノ上町 | ここかしこが慕わしいまち

いつものように今回は、その補足記事にもなってます。

また、今回もこの坂道については、小樽市HP内の広報おたる連載「おたる坂まち散歩」を参考にされてもらってます。
小樽市 : おたる坂まち散歩 第27話 山ノ上の坂(前編) (やまのうえのさか)


山ノ上の坂の名前の由来

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さて、この山ノ上の坂という名前ですが、ひょっとして、高台に向かって山を上るからこの名前なのかと、だとしたら随分と単純な名前だなと思ったら、そうではありませんでした。

実は、かつては、ここの高台のあたり一帯は、山ノ上町という町名だったそうです。

つまり、その山ノ上町を上っていく坂道だから、山ノ上の坂という名前が付いたんですね。

(坂の途中から見上げたところ)
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今で言うと、住吉町のあたりになるのですが、小樽の町名について調べてみると、山ノ上町は明治3年(1870年)に開拓使により付けられた8つの町名のうちのひとつで、その時の町名は、山ノ上・信香・信香裡・勝納・金曇・芝居・土場・新地の8つでした。そのうち、勝納、信香は現在も残ってますね。

ちなみに、この坂の下から臨港線沿い少し進むと、「オタルナイ役所跡」と書かれた案内板が立っているんですよね。

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それによると、この場所には慶応2年(1866年)から明治14年(1881年)まで、オタルナイ役所(後に郡役所)が置かれていたそうで、この頃の小樽の中心はこの一帯だったということなんですね。

その後、小樽の開拓は進み、町名もさらに増えていくわけですが、この山ノ上町のように廃止された町名も結構あるようで、そういう町名の変遷を調べたり、この山ノ上の坂のように、名残りを探してみるのも面白そうですね。

そうそう、この山ノ上の坂は、ここが開拓された時代は安政の時代ということで、「安政の坂道」とも呼ばれているそうですよ。
(正直に言いますと、山ノ上の坂という名も、安政の坂道という名も、呼ばれているのをあまり聞いたことがないんですけどね…)

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この辺りの開拓時の様子の記載が、小樽市HP内の広報おたる連載「おたる坂まち散歩」に掲載されているので、引用させていただきます。

19世紀中ごろ、安政年間の小樽の市街地の中心は勝納川河口と入船川河口の間にありました。現在の勝納町、信香町、有幌町がそれに当たります。オタルナイ場所の運上屋も入船川河口右岸にありました。安政年間は、小樽の道路の開削や川に橋を架ける工事が行われ、まちがその体裁を整えていった時代でもありました。
 安政4(1857)年、オタルナイの場所請負人、岡田半兵衛は雇漁夫150人を動員し、有幌と信香の間の高台を開き、ここを山ノ上町(現在の住吉町)としました。翌年には有幌から山ノ上町を経て信香に至る新道(長さ5町、幅4間)が開かれ、この道が今の三本木急坂と山ノ上の坂です。このように町名が坂の名の由来となったわけです。
小樽市 : おたる坂まち散歩 第27話 山ノ上の坂(前編) (やまのうえのさか)


山ノ上の坂の様子

ということで、今回は、山ノ上の坂を下ってきたので、その様子です。

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坂を下り始めてすぐ右側の、古い民家を利用したと思われるお店は、自家焙煎珈琲店「はち」。

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坂を下って行きます。

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途中の右側には、黒っぽい壁の堂々とした建物が建っています。

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この建物は、2011年に小樽市指定歴史的建造物に追加された「旧小堀商店」。

(そこから坂を見上げたところ)
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坂は下りきったところで、臨港線と合流します。

臨港線沿いから、坂道を見上げると、こんな感じです。
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左側に上っていくのが、山ノ上の坂ですね。

ちなみに、坂の下には、石造倉庫を利用した人気のラーメン店「初代」があります。

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ということで、今回は、臨港線と住吉町の高台を結ぶ「山ノ上の坂」についてでした。

昔は、この山ノ上の坂とともに、このあたりも栄えていったのでしょうね。

※参考
・「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋 悦郎 著(市立小樽図書館所蔵)
・おたる案内人公式テキストブック

【関連記事】
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旧小堀商店〜住吉町の山ノ上の坂の途中に建つ、黒壁が重厚な小樽市指定歴史的建造物


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2015年1月25日 (日)

南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景

南小樽駅から小樽築港方面(札幌方面)に進むとすぐに踏切があります。

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ここの踏切は「開運町踏切」と名前がついてるんですよね。


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古い地名については、ちょっと詳しくは分からないのですが、開運町(かいうんちょう)という名前は、南小樽駅の開業時の駅名「開運町駅」として知られています。

南小樽駅の変遷は、まず明治13年(1880年)11月に開運町駅(開運停車場)として開業してるんですよね。

ただ、そのすぐ後に火事で焼失して、明治14年に住吉駅に改称し、明治33年には初代の小樽駅となり、そして、大正9年7月に、現在の南小樽駅に改称されてます(参考:南小樽駅 - Wikipedia)。

この辺りは昔は開運町という町名だったということですよね。

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ちなみに、現在はこの辺りは住吉町と若松町が隣接しています。

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で、こちらが南小樽駅側で、すぐ先に駅のホームが見えます。

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で、こちらは小樽築港側ですね。

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ということで、以上、南小樽駅のすぐ近くの踏切、開運町踏切の風景でしたが、小樽の街中を走る線路もまた、小樽らしい風景ですよね。

そして、踏切から続く線路の風景って、何だかいい雰囲気です。

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《追記 2015.12.14》
開運町という町名が付けられたのは明治5年のことで、その後、昭和43年に若松1丁目に編入されて、開運町は無くなったそうです(参考:「小樽散歩案内」発行:有限会社 ウィルダネス)。

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