小樽の古い町名の痕跡

2024年1月23日 (火)

かつてあった「源町」〜バス路線の梅源線、源会館と源町内会【小樽の古い町名の痕跡を探せ!!】

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小樽には、かつてあったものの今はなくなったという町名が少なくありませんが、街歩きをしていると、そんな今はもうない町名の痕跡をふと目にすることがあります。

ということで、シリーズ【小樽の古い町名の痕跡を探せ!!】です。今回注目した今はもうない町名は「源町」です。

この源(みなもと)町ですが、かつては現在の清水町のあたりにあった町で、市民であれは、結構みなさんよく耳にする名前にその名残があるんですよね。

※写真は過去撮影のものから掲載していて、雪のない季節なのでご了承を。

源町について

まず、源町についてですが、源町は手宮地区に大正4年に設置された町名です。

かつて、この周辺は手宮裡町と呼ばれていて、この年(大正4年)に手宮裡町が源町をはじめ、現在も残る石山町、清水町、豊川町などといった町に分割されています。

その後、昭和43年(1968年)の大きな町名改正時に、源町は清水町などに組み込まれ、その町名はなくなります。

ここで古い地図を見でみます。これは市立小樽図書館デジタルライブラリー内にある、1950年(昭和25年)〜1956年(昭和31年)の間に作成されたと思われる小樽市内図を拡大したものです。
※当地図は市立小樽図書館の許可を得て掲載しています。コピー・転載等不可です。Minamoto_101-076_otaru_shinaizu
※市立小樽図書館デジタルライブラリー古地図No.101「小樽市内図」(市立小樽図書館所蔵)より(クリックすると拡大します)。

場所的に中野植物園周辺が、かつて源町だったといえば、なんとなく位置関係が分かるのではないでしょうか。

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今も残る町名「源町」の痕跡〜梅源線

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では、そんな源町の痕跡ですが、小樽市内のバス路線に、長橋経由で手宮地区と中心街をつなぐ「梅源線」というバス路線があります。

バス路線名の「梅源線」は、多くの方が聞いたことがある名称だと思うのですが、ここに“源”という文字が入っています。

梅源線の“梅”はこの路線バスが通る梅ヶ枝町からですが、“源”はというと、これが今はもうない「源町」という町名からだったんですね。梅ヶ枝町と源町を通るから梅源線なんですね。

今も残る町名「源町」の痕跡〜源会館と源町内会

手宮方面に向かってバスの梅源線に乗っていると、中野植物園前から坂道がグッと右に曲がって、そこからまっすぐに上っていきます。

(中野植物園前から右に曲がって、まっすぐに続く坂道)
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この上り坂の途中右手に「源会館」という、なんとも味わい深い、現役の建物があります。

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まさにこれは源町の名残ですが、実は町内会名としても「源町内会」が現在もあるんですよね。なので、痕跡というよりは今も源町は地域に根付いている名称なんですね。

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あっ、そういえば中野植物園内には、源山(標高150m)という小さな山もありますね。

余談ですが、手宮仲川という川があって、上流では中野植物園のあたりを通って、清水町内の梅源線のバス通り近くを流れ、その下流側では薬師神社の坂の下から港に向かって続く道路(市道「手宮仲通線」)沿いを流れていたんですが、現在は多くは暗渠になっています。

で、その手宮仲川沿いの町名というのが、水にちなんでいて、今回の源町を源流として、その流れの先が清水町、豊川町と続いているんですよね。

おわりに

今はない町名といっても、大きな町名改正があったのが和42年~44年にかけてなので(源町は昭和43年)、その町名の住所に住んでいた、という方もいるでしょうし、今回の源町であれば現在も町内会名として残っているので、身近で馴染みのある町名と感じでいる方もまだまだ多いかもしれませんね。

ということで、今回はかつてあった「源町」という町名の痕跡について、バス路線の梅源線と現在もある源町内会と源会館があったので、紹介してみました(他にもあるかもしれませんね)。

※参照:「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)

※町内会については、以前、小樽市生活環境部にて色々と確認させていただきました。どうもありがとうございました。
※市道と川については、以前、小樽市建設部用地管理課にて確認させていただきました。どうもありがとうございました。

※参考
おたる坂まち散歩 薬師神社の坂 子どもの声の響いた坂 | 小樽市
中野植物園という不思議な世界 : ときどきの記 from 小樽

小樽チャンネルマガジン2023年11月号(Vol.96)〜長橋十字街から手宮公園まで歩く【第2回】清水町から梅ヶ枝町の赤岩方面との交差点まで歩くにて、源町について触れています。写真はこの時のものです。

【関連記事】
坂の向こうに小樽の港が見える「薬師神社の坂」
豊川町と石山町の間の通り(手宮仲通線)に流れていた手宮仲川(現在は暗渠)
中野植物園の紅葉を見にいってきました(2023年11月2日)〜様々なレトロな遊具が目に止まる不思議な空間

※小樽の古い町名の痕跡関連の記事はカテゴリー「小樽の古い町名の痕跡」にまとめています。

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2023年6月14日 (水)

かつてあった「北浜町」〜その名を残す北浜橋と北浜岸壁【小樽の古い町名の痕跡を探せ!!】

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小樽には、かつてあったものの今はもうなくなった町名というのが結構あり、街歩きをしていると、そんなかつてあった町名の痕跡をふと目にすることがあります。

ということで、シリーズ【小樽の古い町名の痕跡を探せ!!】です。今回注目した古い町名は「北浜町」です。

北浜町は“浜”と付いた名前から予想できるように港の近くで、やや市の北寄りにあった町名なんですよね。

※写真は過去撮影のものから掲載していて、季節がまちまちなのでご了承を。

北浜町について

その北浜町が設置されたのは明治32年(1899年)で、区政施行により高島郡から編入されています(北浜町の名前はそれ以前の明治19年に付けられたようです)。

ちなみに、この時高島郡から6町が編入しているのですが、その6町は色内、稲穂、手宮、手宮裡、南浜、そして北浜となっています。

その北浜町は、昭和43年(1968年)の大きな町名改正時に色内へと編入されて、町名は廃止になりました。

ここで古い地図を見でみます。これは市立小樽図書館デジタルライブラリー内にある、1950年(昭和25年)〜1956年(昭和31年)の間に作成されたと思われる小樽市内図を拡大したものです。
※当地図は市立小樽図書館の許可を得て掲載しています。コピー・転載等不可です。Kitahama_101-076_otarushinaizu
※市立小樽図書館デジタルライブラリー古地図No.101「小樽市内図」(市立小樽図書館所蔵)より(クリックすると拡大します)。

これを見ると、北浜町は現在の北運河を中心に横長にあった町なのが分かります。

そうそう、お隣には北浜町と対に南浜町もあるんですよね。先ほどの高島郡から編入した6町に中にも入っていますが、北浜町と南浜町は設置も廃止も一緒です。ただ、今のところ南浜町の痕跡は目にしていません。

今も残る町名の痕跡〜北浜橋と北浜岸壁

さて、そんな北浜町の痕跡ですが、今のところ二つ目にしました。

一つ目は北運河にかかる「北浜橋」です。

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北浜橋は運河の北側の最後に架かる橋です。

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ちなみにこの橋の海側は北海製罐の敷地になって一般は入れないので、反対側には渡れない橋なんですよね。

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すぐ横には小樽市指定歴史的建造物の旧渋澤倉庫が建っています。

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明治25年(1892年)頃に建てられた、3つの倉庫が前後に連なったような形が印象的な木骨石造の旧渋澤倉庫は、現在はプレスカフェ(PRESS CAFÉ)とライブ・シアター・小樽GOLDSTONE(ゴールドストーン)が入っています。

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この北浜橋からの眺めがなかなか良くて、運河の風景と一緒に遠くに天狗山を眺めることができます。

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こちらは北側の風景で、運河の端っこが見えますね。
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※北浜橋


そして、もう一つが「北浜岸壁」です。

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北浜岸壁は、釣り人にはお馴染みだと思いますが、一般にはあまりその名称を目にすることはないかもしれません。地図とかにも普通は載ってないんですよね。

ただ、小樽市HP内で検索すると、小樽港関連の資料などに時折掲載されています。
※参考(例えば以下の市の資料内に北浜岸壁の記載を見つけられます)
小樽港長期構想(令和2年12月)(pdf) 
第3回小樽港長期構想検討委員会 資料 (pdf)

場所は色内埠頭のすぐ北側の岸壁になります。かつての北浜町の岸壁ということなんでしょうね(その北側の並びは手宮岸壁という名称になるようです)。

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(こちらは冬の様子)
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※地図でいうと北浜岸壁はこのあたり。


おわりに

小樽市では昭和42年~44年にかけて大きな町名改正があって、そこで多くの町名が廃止になっているのですが、そのころの町名の痕跡って、まだ残っているんですよね。

ということで、今回はかつてあった北浜町の痕跡として、今のところ目にした痕跡は2つだけなんですが、北浜橋と北浜岸壁を紹介しました。

運河周辺の町名なので、かつて住んでいたという方は少ないのかもしれませんが、北浜町で働いていたという方は結構いらっしゃるかもしれませんね。

※参照
・「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編

【関連記事】
小樽に残る渋沢栄一ゆかりの建物〜NHKの大河ドラマや新一万円札で注目の実業家

※小樽の古い町名の痕跡関連の記事はカテゴリー「小樽の古い町名の痕跡」にまとめています。

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2023年5月19日 (金)

かつて手宮にあった「厩町」【小樽の古い町名の痕跡を探せ!!】〜うまやの坂、厩町岸壁、厩町会、厩会館、厩稲荷神社

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小樽には、かつてあったものの今はもうなくなった町名というのが少なくありません。街歩きをしていると、そんな今はもうない町名の痕跡をふと目にすることがあります。

ということで、シリーズ【小樽の古い町名の痕跡を探せ!!】です。

って、すいません。こんなシリーズはこれまでなくて、今、命名しました(笑)

とはいっても、実はこのブログにはカテゴリー「小樽の古い町名の痕跡」というのを設定していて、古い町名の痕跡というのは、以前から私の街歩きの注目ポイントであるのは本当なんです。

で、今回注目した古い町名は「厩町」です。

厩(うまや)」は手宮にある地名で、結構お馴染みかもしれませんね。というのも今も数ヶ所にその名称が残っているんですよね。

厩町について

まず「厩町」につていですが、厩町は明治33年(1900年)に設置された町名です。

ここで古い地図を見でみます。これは市立小樽図書館デジタルライブラリー内にある、1950年(昭和25年)〜1956年(昭和31年)の間に作成されたと思われる小樽市内図です。
※当地図は市立小樽図書館の許可を得て掲載しています。コピー・転載等不可です。No101_076_otaru_shinaizu
※市立小樽図書館デジタルライブラリー古地図No.101「小樽市内図」(市立小樽図書館所蔵)より(クリックすると拡大します)。

この地図を見ると、港から末広中学校(平成29年(2017年)3月で閉校)まで続く道を中心に厩町があります。

この道は坂道になるんですが、お気づきの方もいるかと思いますが、この坂道は「うまやの坂」と呼ばれているんですよね。

そうです、早くも出てきましたが、まずはこの坂の名称に、かつての町名が残っているんですね。

その厩町は、昭和43年(1968年)の町名改正時に手宮1〜3丁目へ編入されて、町名は廃止になりました。

今も残る、古い町名「厩町」の痕跡

では、今も残る、古い町名「厩町」の痕跡を見ていきたいと思います(写真は過去に撮影したものから掲載していますのでご了承を)。

まず最初は、先ほど出てきました「うまやの坂」です。

高島・祝津方面へと向かう道路(道道454号小樽海岸公園線)沿いのバス停「手宮1丁目」前に、日帰り温泉の「湯の花手宮殿」があるのですが、その横から山側に向かって、旧末広中学校の裏手まで上っていく坂道が「うまやの坂」です。

住宅に囲まれた坂道の向こうに小樽の港が見える風景は、なんとも小樽らしいです。
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(こちらは冬の様子です)
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このうまやの坂から、そのまま海に向かったところの岸壁が厩町岸壁で、ここは釣り人にはお馴染みだと思いますが、ここにも厩町の名前がついてます。

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(冬の様子)
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そして何より、この地域の町内会名が厩町会なんですよね。

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(町会の掲示板)
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これはもう、痕跡もなにも、町名だった証がそのまま残ってるんですね。

そして、その名称が目に見えるものとして、厩会館もあります。

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その厩会館のすぐ近くなんですが、手宮緑化植物園の下の方には厩稲荷神社もあるんですよね。

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おわりに

かつて手宮にあった「厩町」の痕跡として、うまやの坂、厩町岸壁、厩町会、厩会館、厩稲荷神社がありました。

今のところ目にしたり確認できたりしたのは以上で、まだ他にもあるのかもしれませんが、それでも結構残ってますよね。

今はない町名といっても、昭和40年代の町名改正なので(昭和42年~44年にかけて大きな町名改正がありました)、当時の厩町に住んでいたという方も多いと思いますし、今もあちこちに痕跡が残っているということで、身近で馴染みがある町名でもありますね。

※参照
・「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)
おたる坂まち散歩 うまやの坂 | 小樽市

【関連記事】
手宮緑化植物園に隣接する「厩稲荷神社」

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2019年9月27日 (金)

小樽にかつてあった町名をつけた市道「住初線」

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小樽には、かつてあったけど今はもうないという、町名改正でなくなった町名が結構あって、そういう古い町名の名残を時々見つけることがあります。

で、今回はそんな町名の名残についてなんですが、今回は道路の名前でありました。

その道路は、市道「住初(すみぞめ)線」です。

住初(すみぞめ)町は、入船通りと平行した、南樽方面側の線路をまたぐ通り沿いにあった、細長い町でした。

この住初線があるというのは、実はだいぶ前に読者さんから教えてもらったのですが、今回、きちんとその市道住初線について確認してみました。

この住初線は、入船のバス通り(入船通り)に並行する道路で、入船町と住ノ江町、そして住吉町との境界にもなっています。

(一本左側に入船のバス通り)
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地図に住初線のマークをつけると、このようになります。

住初線の山側の始まりはというと、入船町のバス通り沿いにある入船小公園の交差点で、ここから横の坂道に入って、この先には住之江の高台に上る階段があるのですが、その階段の手前で海側に曲がり、そこからまっすぐと、入船通りに並行しながら、この住初線が伸びています。

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(途中に線路の陸橋があります)
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(住初線を横切る線路の陸橋を海側から見たところ)
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住初線はメルヘン交差点からの三本木急坂にぶつかるまでとのことです。

この市道の名前と範囲は、小樽市役所に行って確認してきました。

ここで、住初町についてですが、住初町は明治14年に付けられた町名で、大正時代にも近隣の町との移動があったようですが、最終的には昭和42年に住ノ江町、入船町、そして住吉町へと編入されて、住初町はなくなっています。

その町の範囲については、市立小樽図書館デジタルライブラリー内の昭和34年(1959年)から昭和37年(1962年)の間に作成されたという小樽市内図で確認できました。

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小樽市全域-古地図No102より(市立小樽図書館所蔵)
※当地図は市立小樽図書館の許可を得て掲載しています。コピー・転載等不可です。

なるほど、確かに現在の住ノ江町、入船町、そして住吉町にかかってますね。

そして、住初町の真ん中を通っている道路が、市道住初線になっているんですね。

いつから住初線という名前がついているのかは、分からないのですが、今はない住初町の名残を市道の名前で見つけることができました。

(住初線を海側から見たところ)
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小樽に残る古い町名の痕跡を探すというのも、なかなか興味深くて、このブログでは、昔あった町名の名残りとして、南樽駅周辺の踏切名を掲載してます。曙町通り踏切、開運町踏切、新地町踏切などがそれですね。その他にも、長橋の端にある砂留トンネルなどの「砂留」も、昔の町名です。

ということで、今回は、小樽にかつてあった町名をつけた、市道住初線についてでした。

ちなみに、住初町の名残としては、他にこのようなものも近くにありました。

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※こちらは以前、記事にしています:・小樽にかつてあった町名の名残り〜「住初町」の住初町会広報板

※市役所の建設部用地管理課にて、市道の名称や位置を教えてくれるんですね。今回、個人のために対応していただき、どうもありがとうございました。この場を借りてお礼させていただきます(参考:小樽市 :市道に関することについて)。

※参照:「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)

【関連記事】
南小樽駅周辺の踏切のある風景〜相生町踏切〜曙町通り踏切〜開運町踏切〜新地町踏切
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る

入船町から住ノ江町の高台へと上る急な階段は106段
住之江会館前の坂道を上った先の左に曲がる急坂が気になって
住ノ江町の坂と火の見やぐら
入船陸橋の入船通りから南樽駅側の鉄橋下が綺麗になって古い橋脚も出現してます

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2016年10月 6日 (木)

これも昔の町名の名残り!?〜かつての高砂町にある高砂橋と高砂会館

小樽には、かつてあったものの、今はもうなくなった町名というのが少なくありません。

街の中には、そんな今はない、かつての町名の名残りがあったりするんですよね。
で、今回のそんな名残りは橋の名称です。


勝納川に架かる、国道5号線の橋の名称は「高砂橋」というのですが、この“高砂”というのは、かつてこの辺りについていた町名なんですよね。

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はっきりとこの橋の名称が、町名の高砂町に由来するという記述は見つけてないのですが、おそらくそうだろうと推測できます。

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高砂町について、ちょっと調べてみると、高砂町は明治6年に付けられた町名とのことで、昔の地図を見ると、高砂橋から下流の真砂橋を挟んで、次のJRの橋梁手前までの区間の、勝納川沿いの下流に向かって左側が、高砂町だったようです。

ちなみに、高砂橋の最初の橋ができたのが明治35年のことだそうで、高砂橋の名はその時に付けられたそうです(参考:小樽なつかし写真帖 第92号)。

その後、昭和43年に、高砂町は現在の若松町に編入されたとのこと(若松2丁目あたりですね)。

※参考:所蔵地図データベース(国際日本文化研究センター)
※参考:「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)

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普段、よく通る橋でも、名前をあまり気にすることはないかもしれませんし、たとえ高砂橋という名前を聞いていも、古い町名までは、すぐに思いつきませんよね。

勝納川の鯉のぼりで当ブログでも掲載する、高砂橋から見た風景)
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実は、この高砂橋の下流の次の真砂橋(南樽市場の海側出入口を出てすぐの橋)を渡ってすぐのところに「高砂会館」という看板があって、その奥に高砂会館の建物があるんです。

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この高砂会館についても、いつからあるとかは全然分からないのですが、場所的にはかつての高砂町内なので、名称はその頃の名残りなんでしょうね。

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ということで、今回は、かつてあった町名「高砂町」の名残りについてでした。

ちなみに、このブログでは、昔あった町名の名残りとして、南樽駅周辺の踏切名(曙町通り踏切、開運町踏切、新地町踏切がそれです)や、長橋の端にある砂留、前回の住初町の住初町会広報板などを掲載してます。

こういう昔の町名の名残りを探すのも、街歩きの楽しみでもあったりするんですよね。

※記載に間違いがあったら、ご指摘ください。

【関連記事】
小樽の勝納川散歩〜勝納川に架かる橋を巡る【まとめ記事】

※かつての町名に関する記事。
小樽にかつてあった町名の名残り〜「住初町」の住初町会広報板
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る
臨港線と住吉町の高台を結ぶ「山ノ上の坂」〜ここはかつて山ノ上町でした
南小樽駅すぐ手前の「曙町通り踏切」の風景
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景
かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景


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2016年10月 5日 (水)

小樽にかつてあった町名の名残り〜「住初町」の住初町会広報板

その昔、小樽の町が急速に大きくなっていった頃、町名も次々に付けられていったようですが、その後に編入などで無くなってしまった町名も少なくないんですよね。

小樽の街を歩いていると、そんな昔の町名の名残りを目にすることがあるのですが、今回目にした形跡がこちらです。

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住初町会広報板と書かれてますが、この「住初町」というのが、かつてあった町名なんですよね。

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実はこれ、以前、Twitterのフォロワーさんに教えてもらっていたのですが、場所は入船通りのコープさっぽろ小樽南店とセブンイレブンのある交差点から、双葉高校や小樽病院がある方面への坂道を上って、1本目の通りを左に曲がってすぐあります。

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この住初町について、ちょっと調べてみたのですが、住初町は明治14年に付けられた町名とのことで、どうやら、上の写真の矢印から入っていく、入船通りと平行した通り沿いの細長い町だったようです。

その後、住ノ江町、入船町、そして住吉町へと編入されて、町名がなくなったのは昭和42年とのことです。

ところで、この“住初”でなんと読むのかな?
“スミゾメ”という記述を目にしたのですが、はっきりとは分かりませんでした。(→スミゾメでした)

※参考
・「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)
所蔵地図データベース
※間違っていたら、ご指摘ください。

ということで、今回は、かつてあった町名「住初町」の形跡でしたが、こういう昔の町名の名残りを探すのって、何だか面白いんですよね。

ちなみに、このブログでは、昔あった町名の名残りとして、南樽駅周辺の踏切名を掲載してます。曙町通り踏切、開運町踏切、新地町踏切がそれですね。

その他にも、長橋の端にある砂留トンネルなどの「砂留」も、昔の町名です。

【関連記事】
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る
臨港線と住吉町の高台を結ぶ「山ノ上の坂」〜ここはかつて山ノ上町でした
南小樽駅すぐ手前の「曙町通り踏切」の風景
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景
かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景

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2016年4月24日 (日)

上砂留踏切の風景〜長橋にあるJR小樽駅から塩谷方面に向かって最初の踏切

久しぶりの踏切の風景シリーズです。
小樽は街の中をJRが走っていて、結構踏切があるのですが、それらの踏切には固有の名前がついてるんですよね。

で、今回は、長橋のこちらの踏切の風景です。

上砂留踏切

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場所はJR小樽駅から塩谷方面に向かって最初の踏切ですが、長橋に入ってすぐですね。

ちょっと小樽駅寄りから線路を見ると、列車はこちら小樽方面からきます。
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横の車道は、富岡町から長橋方面への抜け道ですね。

そして、塩谷方面のこの先に、今回の上砂留踏切があります。
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踏切に着きました。小樽駅方面を見たところです。

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砂留という名称から分かる方も多いと思いますが、砂留トンネルのすぐ近くで、“砂留”というのはかつてこの辺り(長橋2丁目)についていた町名なんですよね。

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※砂留については、こちらの記事内にもうちょっと詳しく書いてます。
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る

“上砂留”というくらいなので、この辺りは砂留町の上のほうだったのでしょうね。

道路で見ると、先ほどの富岡町から来る道路(船見坂の上から続く道)が旧国道と合流する手前にある踏切、ということになります。

旧国道は、国道5号線の長橋パイパスに続く砂留トンネル手前で分岐して、トンネルの上に上ってきているんですよね。

ここで踏切が鳴って、遮断機が降りました。列車がきたようです!

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塩谷側から来ました。
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では、改めて、踏切を渡りつつ。こちらが小樽駅側。単線ですね。
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こちらが塩谷・蘭島・余市方面となります。
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踏切を渡って、振り返ったとことろ。
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ここが旧国道との合流地点になります。
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ところで、上の写真の正面に高台の壁面が見えますが、高台の上に上る階段があるんですよね。
もちろん、上りました。

で、これが上砂留踏切の眺めです。
Otaru_20160416_152459

周辺の様子が分かりやすいですね。

小樽駅方面を振り返るとこんな眺めです。
Otaru_20160416_152453


ということで、今回はかつてあった町名をその名前に残す、上砂留踏切の風景でしたが、実は、小樽の踏切名には、昔の町名がついている踏切がいくつかあるんですよね。

そういうところに注目するのも、ちょっと面白いですね。

【関連記事】
※“砂留”関連の記事
長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る
砂留地下歩道〜砂留トンネルの手前の壁から線路下をくぐる地下歩道

※昔の町名がついている踏切の記事
南小樽駅すぐ手前の「曙町通り踏切」の風景
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景
かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景


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2016年4月23日 (土)

砂留地下歩道〜砂留トンネルの手前の壁から線路下をくぐる地下歩道

小樽の地下歩道シリーズですが、いや〜、こんな所に地下歩道があるとは知りませんでした。

砂留地下歩道

Otaru_20160416_150645


前回の「歩道橋シリーズ」で掲載した、長橋へ向かう国道5号線に架かる砂留横断歩道橋のすぐ先に、なにやら入口が見えたんですよね。

Otaru_20160416_150105

長橋パイパスに続く砂留トンネルの手前なんですが、この左側は高台になっていて、その上を線路が走っているんですよね。

Otaru_20160416_150608

で、そのさらに向こう側には、富岡町から長橋方面に抜けて旧国道と合流する道路が通ってます。

高台の壁にある入口まで近づいてみると、「砂留地下歩道」のプレートが上にありました。

Otaru_20160416_150635

Otaru_20160416_150651

通路は真っすぐで、結構暗いですが、短いので、両側の入口から光が差し込んでます。

Otaru_20160416_150645

で、渡ります。
Otaru_20160416_150704

小樽市内の他の地下歩道によくある、観光地などを描いた壁画は、通路内にはなくて、抜け出た正面に飾られてました。

Otaru_20160416_150723

通路を抜け出ると、左がスロープで、
Otaru_20160416_150729

右側が階段で地上に出ることができます。
Otaru_20160416_150749

階段側には、また壁画がありました。
Otaru_20160416_150745

スロープ側にも折り返しの角に壁画が飾られてました。
Otaru_20160416_150854

で、地上ですね。
Otaru_20160416_150806

分かりにくいかもしれませんが、下の写真で、道路脇の柵の向こうに線路があって、その向こうには砂留横断歩道橋があります。国道5号線はその下を走っているわけですね。

Otaru_20160416_150823

地下歩道は、線路とこの道路をくぐってきたというわけです。

出て道路の右がこんな感じで、富岡町の船見坂の上から続く道ですね。

Otaru_20160416_150939

で、左側に進むと、この先で踏切を渡って旧国道と合流します。

Otaru_20160416_152124

確かに、この地下歩道を通らずに先ほどの国道沿いからこっち側にくるには、この先の踏切まで行って回ってこないとダメなので、地下歩道は結構な近道になりますね。


ということで、小樽の地下歩道シリーズ、今回はこんな所に地下歩道があるとは全く知らなかった「砂留地下歩道」の様子でした。

※そうそう、砂留というのはかつてこの辺り(長橋2丁目)についていた町名ですね。

【関連記事】
※小樽の地下歩道についての記事は、次のカテゴリーにまとめてます。
・カテゴリー「小樽の地下歩道


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2016年4月22日 (金)

長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」を渡る

久しぶりの歩道橋のある風景の「歩道橋シリーズ」、今回は長橋へ向かう国道5号線に架かるこちらの歩道橋を渡ってきました。

砂留横断歩道橋

Otaru_20160416_145913

国道5号線を長橋方面に向かうと、長橋パイパスに続く砂留トンネルがあるのですが、その手前で道路は旧国道へ向かう道路と分岐しています。

その手前に、この砂留横断歩道橋が架かっています。

Otaru_20160416_145932

他の一般的な歩道橋とは外観が違いますね。

こちら側は階段ですが、ぐるっと反対側はスロープになっています。

Otaru_20160416_145949

階段の横に「砂留横断歩道橋」のプレートが。
Otaru_20160416_150001

平成元年11月完成のプレートがあるので、結構新しい歩道橋ですね。
Otaru_20160416_150011

ちなみに、この先の新しい国道5号線の長橋パイパスが全線開通したのが、1994年(平成6年)とのことで、それからこの砂留横断歩道橋ができたということかな。

階段を上ると、その先にもスロープが続いてました。
Otaru_20160416_150036

歩道橋の上から周囲を見ると、すぐ横には線路が走っていて、カーブの向こうから列車が走ってくるといい眺めでしょうね。

Otaru_20160416_150139

では、歩道橋を渡ります。
Otaru_20160416_150126

そして、いつものように、歩道橋の上からの眺めです。

こちらが砂留トンネルのある長橋側で、両端のトンネルの上に上っていく道路は旧国道へと続く道路ですね。

Otaru_20160416_150208

そうそう、この歩道橋からは、トンネルへ入る道路脇にも下りることができますね。

こちらが海側の稲穂町方面ですね。

Otaru_20160416_150213

そういえば、ここにはその昔、色内川が流れていたんですよね。今は確か暗渠ですね。

歩道橋の反対側は、下りるのに螺旋階段になってました。

Otaru_20160416_150238

Otaru_20160416_150259

こちら側は、螺旋階段とスロープが覆われてるんですよね。

Otaru_20160416_150426

で、この時、歩道橋を渡り終えて道路の反対側を見たら、ああ〜〜〜、列車が〜

Otaru_20160416_150407
(小樽から余市方面は架線がなく気動車)

歩道橋の上から見たかった…
時刻表を確認しておけばよかったです。ツメが甘い。

気をとり直して、下りた所からの歩道橋の外観です。

Otaru_20160416_150400

ところで、砂留トンネルの名前はよく知られていると思いますが、今回の砂留横断歩道橋にもついている“砂留”という名称について、ちょっと調べました。


砂留という名称について

Otaru_20160416_150001t

知っている方も多いと思うのですが、砂留ってかつて小樽のこの辺り(長橋2丁目)についていた町名なんですよね。

昔は国道沿いに色内川が流れていて、川によって運ばれた土砂が港に流れ込むのを防ぐために、この辺りに砂防池があったそうで、それが“砂留”という町名の由来となったそうです。

その後、砂留町は町名改正で長橋に組み込まれて、砂留の名前はなくなることになります(はっきりとは分からなかったのですが、昭和42年か43年のこと)。

ちなみに、ここを流れていた色内川についてですが、旧国道5号線は元々この色内川沿いにできた道路で、長橋十字街付近から臨港線まで、川の両側に道路があったそうです。

つまり、今はその部分は暗渠になっているということでなんですね。

Otaru_20160416_150220

って、以上のことは私は全然知らなかったので、こちらの文献を参考にさせていただきました。
・書籍「小樽散歩案内」(発行:有限会社ウィルダネス)
・新ねっとわーく小樽No.2「旧砂留町」(2014年9月)
・小樽なつかし写真帖第98号「街づくりが進むころ」(2012年9月)


ということで、今回は長橋へ向かう国道5号線に架かる「砂留横断歩道橋」からでした。

これまで渡った小樽の歩道橋については、カテゴリー「歩道橋から」にまとめてますので、そちらもどうぞ。

参考:長橋バイパス - Wikipedia


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2015年12月16日 (水)

南小樽駅すぐ手前の「曙町通り踏切」の風景

Otaru_20150715_181051


時々、当ブログで掲載している“踏切のある風景”。
今回は、南樽駅(市民の多くは南小樽駅のことをこう呼んでます)の、小樽よりすぐのこちらの踏切です。

曙町通り踏切

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※掲載の写真が7月と10月撮影とちょっと前なのでご了承を。

横断する道路は、住吉町から住ノ江町へと渡る道路で、センターラインはないのですが、かなり幅広の道路です。

Otaru_20150715_181017

本当に、南樽駅のすぐ手前で、踏切からは駅のホームがよく見えます。

Otaru_20150715_181105

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こちらが小樽駅側です。
Otaru_20151027_144102_hdr

ちなみに、踏切の住吉町側から線路沿いの道を南樽駅方面に向かうと、その先には南樽駅の裏手の出入り口があるんですよね。

Otaru_20151027_144209_hdr

Otaru_20150715_181420

結構利用されているようです。


ところで、この「曙町通り踏切」という名前の“曙町”とは、今はそのような町名はないですが、かつてこの辺りに実際にあった古い町名なんですよね。

Otaru_20150715_181131

この踏切の名前は、その町名の名残りなんですね。
さらに“曙町通り”ということは、ここの通りはそのように呼ばれていたのでしょうかね。

ちなみに、南樽駅から築港側には「開運町踏切」と「新地町踏切」という名前の2つの踏切が続くのですが、開運町と新地町という名前も同様に、かつてあった町名なんですよね。
※記事はこちらです。
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景
かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景

こういう、今はなくなってしまった、かつての町名の名残りを目にすると、他にはないかと、ちょっと興味をそそられます。

Otaru_20151027_144229_hdr

【関連記事】
南樽駅の裏口


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