手宮方面へのバス停「色内川下」から通りに入ってすぐの石垣跡がなんだか気になったので【追記あり】
手宮方面へのバス通り(道道454号小樽海岸公園線)に「色内川下」というバス停があるのですが、ここからすぐ横の通りに入っていくと、すぐ右手になんだか気になる石垣があります。
(バス停「色内川下」のすぐ先を左に入る。写真は2021年9月17日撮影)
上の建物は解体されたのか、もうなくて石垣のみが残っている状態なのですが、こういう街の風景というのは、ここに何があったのか、というのも含めて、なんとも気になるんですよね。
といいつつ、何があったのかははっきりとは分からなかったのですが、Googleマップのストリートビューで2008年5月の画像を見ることができましたので、埋め込みで掲載しますね。
建物の看板に「ら・るる」という表示がかろうじて読み取れます。
この「ら・るる」というのは宿泊施設だったようで、さらに古い地図を見ると、ここには医院があったようですね。
ちなみに、すぐ横のお寺「光明院」の佇まいも、なんとも気になります。
ということで、なにがあったというわけではないのですが、気になった街の石垣の風景ということで、書き留めておきました。
場所はここです。
【補足】
実は9月に塩谷街道を歩いてきて、小樽の街歩きで連載を持たせてもらっている小樽チャンネルマガジンの2021年10月号(Vol.71)で、「塩谷街道を歩く」という記事を書きました。
今回の通りも塩谷街道になると思いますが、石垣については小樽チャンネルマガジンには書いていません。
塩谷街道がどこからどこまでかというのは、厳密にはよく分からないのですが、一般には旧色内小学校の下を通って長橋方面に向かい、長橋大通り(旧国道)と並行して高台の途中を通ってオタモイまで続く道路を指し、市道の名称としては「塩谷線」になります。
【情報提供】《追記 2021.11.21》
読者さんから、いくつか情報が寄せられたので、追記しますね。
ここは民宿ら・るるの跡で、その前が民宿ぽんぽん船、さらに前が民宿くれよん舎と、民宿が続いていたそうで、その前は、古い地図を見ると吉田医院で、情報によりますと、小児科・内科の大きな建物だったそうです。
石垣のへこみは車庫(駐車場)の跡で、左には別の古い家が建っていたとのことです。
また、横の光明院では、毎年夏のお祭りが行われていたそうですね。
今回は、色々と情報提供をありがとうございました。おかげで、この石垣について、その歴史の一部を知ることができました。
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