小樽ゆかりの人物

2017年8月 9日 (水)

銀鱗荘入り口横に建つ小樽ゆかりの俳人・高浜年尾句碑

Otaru_20170720_150237


平磯岬の高台に建ち、その豪華な姿がひときわ目を引く銀鱗荘、その銀鱗荘の入り口すぐ横に、石碑が建っています。

庭木と一体になっていてちょっと分かりにくいのですが、これは高浜年尾の句碑です。

(銀鱗荘入り口の…)
Otaru_20170720_150632

(ここです)
Otaru_20170720_150558

といっても勉強不足で、ここに碑が建っているということは最近知って、俳人・高浜年尾という方についてもよく知らなかったので、いつものようにちょっと調べました。

高浜年尾(1900年〜1979年)は、俳人として著名な高浜虚子の実子で東京神田生まれですが、1919年(大正8年)に小樽商業高等学校(現・小樽商科大学)に入学してるんですね。そして、学生らの俳句会「緑丘吟社」に参加しました。

高浜年尾は1924年(大正13年)に小樽を去ったのですが、その後も高浜虚子とともに何度か来樽していたそうです。

銀鱗荘の句碑は1974年(昭和49年)6月16日に、小樽ホトトギス会によって建立されたものです。

遠き家の/氷柱(つらら)/落ちたる/光かな

Otaru_20170720_150237t

この碑文は、小樽高等商業学校在学中に詠まれたものとのことです。

(句碑の背面)
Otaru_20170720_150304


ということで、今回は銀鱗荘の入り口すぐ横に建つ、小樽ゆかりの高浜年尾の句碑についてでした。

※参考
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
17 高濱年尾句碑小樽商工会議所ホームページ観光関連情報ページ内)
高浜年尾 - Wikipedia

(銀鱗荘)
20170720_150500

【関連記事】
平磯岬の高台に建つ豪華な銀鱗荘は歴史的建造物の旧猪俣邸


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 小樽情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月20日 (木)

【訃報】新谷昌明元小樽市長死去のニュース

元小樽市長の新谷昌明(あらや まさあき)さんが、死去したというニュースがありました。

ニュースによると、2017年7月17日に陳旧性肺結核のため亡くなったということです。88歳でした。

小樽出身の新谷昌明さんは、元北海道副知事でもあったんですね。

そして、小樽市長を1987年(昭和62年)4月から1999年(平成11年)4月までの、3期12年務めました。

この時期はというと、小樽運河が一部埋め立てられ、散策路などが整備された現在の姿に生まれ変わったのが1986年(昭和61年)で、以降、小樽が観光都市へとまさに変わっていく時期ですよね。

1992年には市景観条例を制定してます。また、1988年には市民団体「伊藤整文学賞の会」初代会長に就いてます。

実は私は新谷さんが市長だった期間は、小樽を離れていたので、残念ながらほとんどその時期のことを知らないのですが、小樽が大きく変わる時代の市長さんだったのですね。

新谷昌明さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

※参照ニュース
・2017年7月18日付北海道新聞夕刊
・2017年7月19日付北海道新聞朝刊小樽・後志欄

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年7月 6日 (木)

手宮公園内に建つ北防波堤建設に従事した青木政徳の功績を讃える石碑

Otaru_20170504_141235


手宮公園内に立派な石碑があるのは知っていたのです、それがなたのものなのか知らなかったんですよね。

場所は手宮公園内の道路が交差しているところで、そこから階段に続いてその石碑が建っています。

※写真が桜の時期の2017年5月4日撮影なのでご了承を。

Otaru_20170504_141240

近づいてみると、その石碑の上部には「技師青木政徳之碑」と書かれています。

この青木政徳(あおきまさのり)という方、有名な方ではないようですが、小樽の港にとても深い関わりのある方ということで、ちょっと調べてみました。

Otaru_20170504_141253


小樽港の北防波堤は、小樽築港第一期工事として、初代小樽築港事務所長で「港湾工学の父」とも呼ばれる廣井勇によって建設されましたが、その廣井勇のもとで、築港工事の監督に従事したのが、北海道庁技師だった青木政徳でした。

青木政徳は、自ら潜水服を着て海中に潜り、防波堤の基礎工事を指揮・監督したそうです。

しかし、青木政徳は明治33年(1900年)に病に倒れ、同年5月に北防波堤の完成を見ずに35歳の若さで亡くなってしまいました。

ちなみに、第一期工事は明治30年(1897年)に着工し、明治41年(1908年)に北防波堤が完成します。

で、青木政徳の功績を讃えて、小樽港の見えるここ手宮公園に、石碑が建てられたということなんですね(建立年については、明治44年という記述と大正5年という記述が見られたので、今度手宮公園に行ったら確認してみます。って、確認できるかな…)。

Otaru_20170504_144238


小樽港の生みの親と言われる廣井勇博士と、その廣井勇の弟子で南防波堤の建設を指揮した小樽港の育ての親、伊藤長右衛門の銅像は、運河公園に建っています。

ということで、今回は手宮公園内に建つ、青木政徳の功績を讃える石碑についてでした。

※参考:「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編

【関連記事】
運河公園に建つ2つの銅像は、小樽港の近代化に深く関わりのある廣井勇と伊藤長右衛門


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 小樽情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月 9日 (金)

祝津の小樽市鰊御殿のすぐ下に建つ碑は、劇作家として活躍した八田尚之文学碑

Otaru_20170603_123432


道道454号小樽海岸公園線で祝津に入り、道路の端の先に続く高島岬の高台に建つ「小樽市鰊御殿」は、祝津のシンボルのような建物ですよね。

旧田中家住宅とも呼ばれ、北海道指定有形文化財でもある小樽市鰊御殿には、この高台を上っていくのですが、その上る途中にちょっとしたスペースがあって、そこに碑が建っているんです。

(鰊御殿のすぐ下です)
Otaru_20170603_123242

(この碑です)
Otaru_20170603_123405

今回は、鰊御殿のすぐ下に建つその碑についてなのですが、これは劇作家・八田尚之(はった なおゆき)の文学碑です。

といいつつすいません、勉強不足で、八田尚之という方のことを知らないので、いつものようにちょっと調べました。

小樽生まれの八田尚之(1905年〜1964年)は、多数の映画のシナリオを書いて活躍し、1954(昭和29)年には劇団手織座を結成し、主宰者、演出家としても活躍して、劇団のために16本の戯曲を執筆したそうです。

この文学碑は、八田尚之の没後2年目の1966年(昭和41年)8月25日に建立されました。

Otaru_20170603_123432

碑は3面になっていて、右側が肖像のレリーフ。

Otaru_20170603_123412

中央の碑面には、1962年(昭和37年)に帰樽したおりに作られたという詩「がんぜ」が刻まれています。

Otaru_20170603_123411

そして、左側には劇作家としての悲願であった「胸底にしまひ忘れた、皆の素朴な魂をゆさぶる芝居をつくりたい」ということばが刻まれているとのことです。

Otaru_20170603_123442

ということで、祝津の小樽市鰊御殿のすぐ下に建つ、小樽ゆかりの八田尚之文学碑についてでしたが、今まで何気なく見ていた碑も、その人物について知ると、これからこの碑を見る時の気持ちも変わってきますね。

※参考
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
小樽ジャーナル(八田尚之文学碑)
小樽市 :おたる文学散歩 第17話 文学の中の食べ物
八田尚之 - Wikipedia


【関連記事】
小樽・祝津の高台に建つ北海道有形文化財「小樽市鰊御殿」(旧田中家住宅)
Otaru_20170603_123316

(高台から見た祝津の風景。この日はおたる祝津にしん群来祭りが開催してました)
Otaru_20170603_123420_2


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 小樽情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月 1日 (木)

詩人・河邨文一郎と水天宮の詩碑/小樽文学館で特別展「生誕100年 詩人・河邨文一郎展」開催中(6/11まで)

Otaru_20170427_145824


高台にある水天宮といえば、観光スポットとまではいかないまでも、大正8年(1919年)建築の趣ある本殿、拝殿は小樽市の歴史的建造物に指定され、境内から小樽港を眺める景色はとても素晴らしく、私も時々足を運ぶお気に入りのスポットです。

Otaru_20170427_150229


河邨文一郎と水天宮の詩碑

その水天宮の境内に入ってすぐ左に、丸い鉄板が目につくオブジェが設置されているのをご存知でしょうか。

※以下、写真が4月の撮影なので、ご了承ください。

Otaru_20170427_145943

Otaru_20170427_145740

その中には横長の長方形の鏡のようなピカピカな面があって、そこには何やら文章が書かれていて、私も以前はなんだろうと思っていたんですよね。

Otaru_20170427_145824

これは小樽市出身の整形外科医で、さらには詩人としても知られた、河邨(かわむら)文一郎という方の詩碑なんですね。

と、知ったように書いてますが、すいません、勉強不足でこの河邨文一郎という方のことはあまりよく知らなかったんです。なので、いつものようにちょっと調べてみました。

河邨文一郎(1917年~2004年)は、小樽市入船町の生まれで、父親は北海道初の整形外科医だったそうです。で、本人も優れた整形外科医として、多大な業績を残したそうですが、加えて、詩人でもあったんですね。

詩については、さらに疎いのですが、実は1972年に開催された札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」の作詞者が、この河邨文一郎なんですね。

もちろん、私もこの曲ならよく知っていて、今でも口ずさめますが、この作詞が小樽出身の方によるものとは知りませんでした。

さて、水天宮の詩碑についてですが、あまりにピカピカで、覗き込むとあたりの景色を写してしまい、なかなか文章が読めないのですが、この碑文は詩「山上の旗」のものだそうです。

Otaru_20170427_145836

Otaru_20170427_145906

鉄板、鉄柱を組み合わせた高さ3メートルの碑の造形は、小樽を拠点に活動を続けた著名な版画家・一原有徳、書は日本を代表する書家・中野北溟によるもので、1993年(平成5年)年8月7日に建立されたものです。

ということで、水天宮の境内に詩碑が建つ、河邨文一郎についてでしたが、やっぱり小樽ゆかりの方については、色々と知っておきたいですね。


小樽文学館で特別展「生誕100年 詩人・河邨文一郎展」が開催中(6/11まで)

Otaru_20170408_142712r

1917年(大正6年)生まれの河邨文一郎の生誕100年を記念して、現在、市立小樽文学館では、特別展「生誕100年 詩人・河邨文一郎展」が開催されてます。

Otaru_20170525_152105


Otaru_20170525_152114


Otaru_20170525_152226

期間は2017年4月15日(土)~6月11日(日)までということで、 もう会期終盤ですね。

以下は、小樽文学館(小樽文学舎)のサイトからの引用です。

小樽出身で、北海道を代表する詩人、河邨文一郎(1917~2004)の生誕100年記念展。卓越した整形外科医として、また福祉活動家としても国際的に貢献した生涯を多数の著作や資料で紹介。札幌オリンピックのテーマソングとして広く愛好された「虹と雪のバラード」(河邨文一郎作詞)関連資料も多数展示します。
小樽文学館

河邨文一郎にまつわる様々な資料が展示されているので、興味のある方は行ってみてはいかがでしょうか。

Otaru_20170525_152343

Otaru_20170525_152443

Otaru_20170525_153037


おまけ

小樽文学館では、現在、企画展「サカナクション・山口一郎さんの本箱展・延長戦」が同時開催しています。

Otaru_20170525_153618

大人気のバンド「サカナクション」のヴォーカルで、小樽出身の山口一郎さんに関する企画展が好評につき、期間を延長して開催していますよ。


市立小樽文学館の入館料は、一般300円・高校生・市内高齢者150円、中学生以下無料です。
その他、休館日(基本は月曜休館)など詳しくはこちら:小樽文学館


※参考
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
・特別展「生誕100年 詩人・河邨文一郎展」リーフレット
Otaru_20170427_154327

小樽市 :市立小樽美術館 一原有徳記念ホール
中野北溟 - Wikipedia

【関連記事】
小樽文学館の企画展「サカナクション・山口一郎さんの本箱展」が大好評につき一時休館後に延長戦へ!!


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 小樽情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年5月30日 (火)

小樽公園のすぐ下の角に建っている石碑は小樽区長も務めた渡辺兵四郎のものでした

Otaru_20170519_172746


小樽市内を散歩していると、何気にあちこちに石碑が建っているのを目にするのですが、まだまだ勉強不足で、いったい誰のなんの碑なのか分からないというのが、結構あるんですよね。

この石碑も、今回調べるまで知らなかったのですが、それは、小樽公園から花園公園通りを下りるところのすぐ角に建っている、こちらの石碑です。

※以下は写真が4月の撮影なので、ご了承ください。

Otaru_20170414_152108

Otaru_20170414_152042

ソフトクリームが大人気の「小樽ミルク・プラント」のすぐ上になります。

Otaru_20170414_152152

Otaru_20170414_152200

ちょっとした空き地になっている場所に建つこの石碑は、よく目にはしていたのですが、それこそ誰のなんの石碑なのか知らなかったのですが、近づいて見てみると「渡邊翁碑」と書かれています。

Otaru_20170414_152212

調べてみると、これは、小樽で明治の中頃から昭和初期にかけて活躍した実業家で、政治家でもあった、渡辺兵四郎(わたなべ ひょうしろう)の石碑で、この角地にはその渡辺兵四郎の邸宅があったそうです。

Otaru_20170414_152311

もちろん、小樽の発展に寄与した方ということで、さらに調べてみると、生まれは秋田県能代で、その後小樽に渡り、当時の小樽の豪商で名家でもあった山田家に仕えます。

その後独立して、漁業のほか荒物商を営み、ニシン漁網の改良を手がけたりして漁業組合頭取、水産組合長なども務め、業界の舵取りを担ったそうです。

そして、商売から政界に転じ、区会議員、道会議員、衆議院議員などを歴任していて、明治45年には5代目小樽区長(市制施行前の区だった頃ですね)も務めています。さらには小樽商業会議所会頭も務めているんですね。

(この写真は5月19日撮影)
Otaru_20170519_172753

ということで、小樽公園下に建つ石碑は、小樽の発展に大きく貢献した渡辺兵四郎のものでしたが、こうやって何気なく目にしている石碑が誰のものなのかを知るのは、なんだか興味深くて面白いですね。


※参考
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
渡辺兵四郎 - Wikipedia
小樽公園の入口あたり(その2) 2つの石碑のこと : ときどきの記 小樽の出版社“ウィルダネス”のブログ
渡辺翁彰徳碑 « そば会席 小笠原


【補足】
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)に記載されていたのですが、近くの小樽公園の見晴台の駐車場奥に、かなり大きな石碑が建っています。

Otaru_20170427_142800

この石碑も渡辺兵四郎に関わりがあって、明治天皇が明治14年に小樽に初上陸した際、小樽公園の展望台を訪れることも予定されていたのが荒天のため中止になったそうで、この碑は天皇の小樽訪問の歴史をとどめるためにと、50年後の昭和6年に建てられたものとのことですが、なんと建立の費用は渡辺兵四郎が私費で出したそうです。


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 小樽情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月20日 (土)

小樽市民会館の敷地内に銅像が建つ藤山要吉と公会堂

Otaru_20170519_174212


海運業で財を成した、小樽を代表する豪商のひとりに“藤山要吉”という人物がいます。

現在、小樽市民会館の正面左手の奥まったところに、その藤山要吉の銅像が建っているんですよね。

あまり目立たないところに銅像が建っているのですが、もちろん、小樽の発展に貢献した人物です。

Otaru_20170519_174142


藤山要吉と公会堂

藤山要吉は所有していた船を戦争に提供(供出)することによって、膨大な補償金を手に入れ「船成金」とも言われたそうで、海運業の他にも漁業、農業など様々な産業を手がけて、その財力は本当に凄かったようです。

藤山要吉にまつわるエピソードとしてよく知られているのが、小樽市民会館の道路を挟んだ向かいに建つ、趣ある和風建築の小樽公会堂(旧小樽区公会堂)に関する話です。

Otaru_20170427_143825

この公会堂の建物は、そもそもは明治44年に皇太子(後の大正天皇)の本道行啓に際してのご宿泊所として建てられたものなのですが、その費用を全額寄付したのが、この藤山要吉という方なんですね。すごいですね。

Otaru_20170427_143840

ちなみに、建築にあたったのは、大虎の棟梁・加藤忠五郎という方です(この方、よくこの建物の大工として名前が出てくるので、有名な方なんですね)。

その後、公会堂として使われるのですが、もともとこの建物が建てられたのは、現在の市民会館の場所なんですよね。で、市民会館建設のために、昭和35年に現在地に移築されたそうです。

(小樽市民会館)
Otaru_20170502_141219

(左手の奥まったところに銅像が建ってます)
Otaru_20170519_174120

Otaru_20170519_174128

市民会館に建つ藤山要吉の銅像の側面を見ると、当時の安達与五郎市長による碑文が書かれているのですが、その日付は昭和33年6月となっているので、銅像は公会堂が移設される前からあったのですね。

Otaru_20170427_143624

ということは、公会堂の建物は移動したけど、銅像は元の場所に残ったということでしょうかね。

Otaru_20170519_174152


おわりに

ということで、今回は小樽市民会館の敷地内に銅像の建つ藤山要吉について、ちょっと調べてみました。

Otaru_20170519_174201

あれは誰だろうと、普段は何気なく見ている銅像も、その人物と小樽との関わりを知ると、とても興味深いですね。

※参考
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
小樽市 :旧小樽区公会堂・旧岡崎家能舞台
第8章 海運業 藤山要吉と板谷宮吉

【関連記事】
小樽市公会堂(旧小樽区公会堂)と紅葉
小樽市民会館は今年で開館50周年


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 小樽情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月27日 (木)

運河公園に建つ2つの銅像は、小樽港の近代化に深く関わりのある廣井勇と伊藤長右衛門

Otaru_20170331_112645


北運河の端には、国指定重要文化財の旧日本郵船(株)小樽支店の重厚な建物が正面に建つ運河公園があります。

この運河公園には、小樽港の近代化に深く関わりのある、2人の土木技術者の銅像が建ってるんですよね。

ひとりは小樽港の生みの親と言われる廣井勇(いさみ)、もうひとりは小樽港の育ての親といわれる伊藤長右衛門です(参考:「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編)。

普通ですと、その銅像が誰なのか、立ち止まって名前やその功績などについて書かれた説明書きを読む、ということまではしないかもしれませんが、銅像になっているくらいですから、小樽にとってとても大きな貢献をされた方々なんですよね。

ということで、今回はその銅像の2人について、ちょっと調べてみました。

※写真は3月31日と4月14日撮影分が混在していて、3月撮影分にはまだ雪が残っているのでご了承を。


廣井勇と北防波堤

Otaru_20170414_163755

小樽運河側から運河公園に入ると建っているのが、廣井勇の銅像です。

Otaru_20170331_112625

明治期に小樽港は近代化に向けて、大掛かりな港湾建設工事が行われました。

現在、小樽港には手宮側から北防波堤が伸びていますが、第一期工事としてこの北防波堤を建設したのが、初代小樽築港事務所長で「港湾工学の父」とも呼ばれる廣井勇です。

Otaru_20170331_112645

第一期工事は明治30年(1897年)に着工し、11年の歳月をかけて明治41年(1908年)に全長1,289mの北防波堤が完成します。

北防波堤の建設に関しては、コンクリートに火山灰を混入して強度を増す方式を考案したり、造られたコンクリートブロックを斜めに積んで安定させる工法を採用したといった点が特筆されてます。

Otaru_20170331_101941

銅像の横に説明文が書かれているので、その内容を引用させていただきます。

1862(文久2)年高知生まれ。
札幌農学校第2期生。アメリカ、ドイツで橋梁工学・土木工学を学び、帰国後、札幌農学校工学科教授。のち北海道の港湾改良と築港工事に携わる。
彼の指導による小樽築港第一期工事は、日本の近代港湾建設技術を確立し、世界に高く評価された。

Otaru_20170414_163814


また、明治後期、小樽港を運河にするか埠頭にするかでもめた際、廣井勇の“艀を利用した運河式の方が便利”という発言が、のちの小樽運河建設決定に大きな影響を与えたという話からも、その影響力の大きさが伺えます。

※北防波堤は手宮緑化植物園(4月29日から開園)からよく見えますね。


伊藤長右衛門と南防波堤

Otaru_20170331_112806

運河公園内に建つ石造倉庫「旧日本石油(株)倉庫」の横に建つのが、伊藤長右衛門の銅像です。

Otaru_20170331_112816

廣井勇による小樽港の第一期工事に続き、第二期工事で南防波堤の建設を指揮したのが、廣井勇の弟子でもあるこの伊藤長右衛門です。

第二期工事は、第一期工事が終わってすぐに始まり、大正10年(1921年)に南防波堤が完成します。

Otaru_20150903_150622

Otaru_20150903_150043

伊藤長右衛門が指揮した第二期工事の特徴としてよく知られているのが、ケーソンと呼ばれる大きなコンクリートの箱型の構造物を、所定の場所で水中に沈めて防波堤を作っていく工法です。

南防波堤は築港の平磯岬の近くから伸びていますが、その近くには製作したケーソンを海上に進水させる、斜路式ケーソン製作ヤードというのが今もあります。

ただ、コンクリート製ケーソン製造のための資材を運ぶために、昭和10年(1935年)に作られた大きなクレーン2基は、昨年、撤去されてしまいました(→小樽築港の斜路式ケーソン製作ヤードの歴史のある巨大なクレーン2基が解体撤去されてます)。

(このクレーンはもうありあせん)
Otaru_20150903_145421

伊藤長右衛門の銅像の横にも説明文があるので、その内容も引用させてもらいます。

1875(明治8)年福井生まれ。
東京帝国大学で、のち日本近代港湾建設の父といわれた廣井勇に師事。卒業後、廣井の跡を継いで第2代小樽築港事務所長に就任し、第二期工事に携わる。
彼が考案した新しい技術は、その後の各地の築港工事の模範となった。

Otaru_20170331_112800


おわりに

ということで、運河公園に建つ銅像の2人、廣井勇と伊藤長右衛門について調べてみました。

こうやって、防波堤に守られた現在の小樽港が造られたのですね。

今回は、ちょっと難しくて、調べるのにも手間取ったのですが、小樽は港にも歴史があって、興味深いですね。

※参考
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)
広井勇 - Wikipedia
伊藤長右衛門 - Wikipedia

【関連記事】
小樽港の南防波堤周辺の様子と巨大なクレーン


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 小樽情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月23日 (月)

小樽ゆかりの榎本武揚〜龍宮神社と梁川通りとあやかり武揚さん

先日、お祭りがあった龍宮神社は、幕末・明治に活躍した人物、榎本武揚(えのもと たけあき)が建立したとのことでも知られる、とても立派な神社ですよね。

Otaru_20140621165606

榎本武揚は、幕末には徳川幕府の海軍副総裁になり、維新後は様々な大臣を歴任した、北海道、そして小樽との関係もとても深い政治家なんですよね。

小樽ゆかりの歴史上の人物ということで、小樽との関係についてちょっとだけ調べてみました。

榎本武揚と龍宮神社

まず、Wikipediaによると、

榎本 武揚(えのもと たけあき、天保7年8月25日(1836年10月5日) - 明治41年(1908年)10月26日)は、日本の武士(幕臣)、外交官、政治家。海軍中将、正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川。名は「ぶよう」と故実読みされることもある。
榎本武揚 - Wikipedia

ということで、小樽との関わりとなると、榎本は友人の北垣国道(後の第4代北海道庁長官)と一緒に、1872(明治5)年に、まだ未開の荒野だった今の小樽の稲穂と富岡地区一帯20万坪を購入し、北辰社を設立して市街地開発を進めていったそうです。

北海道の発展に際して、小樽に目を付けてくれたのですね。

その際に、所有地の一角に設けた小祠が、龍宮神社の前身といわれているそうです。
(参考:「まちづくり観光(7) まちづくり運動と観光」及び「おたる案内人:P173」)

Otaru_20140621165103

ちなみに、龍宮神社の創建は明治9年(1876年)とのことで、現本殿は昭和16年に竣工したものとのことです。
(参考:龍宮神社 (小樽市) - Wikipedia

神社内には銅像が建ち、社殿内には肖像画が飾られています。

Otaru_20130621173647

榎本武揚と梁川通り

龍宮神社のお祭りの時に露店が並ぶ、「梁川通り」という名の通りがありますよね。

場所は中央通りを挟んで、都通りの反対側に続く通りです。

Otaru_dsc05611

この梁川通りという名前は、この一帯(稲穂町)を所有していた、その榎本武揚の雅号の梁川(りょうせん)に由来するそうです。

ちなみに、都通りの1本国道側の「静屋通り」は、先ほど出てきた榎本の友人の、やはりこの一帯の大地主だった北垣国道の号の静屋(せいおく)に由来しているそうです。
(“せいおく通り”とは呼ばず、“しずや通り”と呼ばれてます)

都通りのあやかり武揚さん

アーケードの都通りには、榎本武揚の垂れ幕が下がってます。

Otaru_20140621162740

さらに都通りには「都通り あやかり武揚(ぶよう)さん」という、可愛い石造もありますね。

Otaru_20140621163122

Otaru_20140621163126

知らない人にとっては、この可愛い武揚さんって誰?という感じにもなりかねませんが、以上のような小樽ゆかりの方だったんですね。

Otaru_20140621163130


ということで、榎本武揚に関しては、まだまだ歴史的背景が色々とあって深い人物のようですが、小樽ゆかりの人物として、小樽とのつながりについては知っておくといいかもしれませんね。

【関連記事】
龍宮神社のお祭りやってます
冬の龍宮神社
梁川通り(やながわどおり)
静屋通り」


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 小樽情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月 3日 (水)

小樽市内3カ所に建てられている石川啄木の歌碑

詩人、歌人、として有名な石川啄木が、小樽と縁があることはよく知られています。

そして、小樽には石川啄木の歌碑が3カ所に建てられているんですよね。

恥ずかしながら、文学関係はちょっと疎いので、石川啄木についての詳細は控えておき、今回はその3カ所の歌碑の建つ場所を、スポットとして紹介したいと思います。

ちなみに石川啄木が小樽に滞在したのは(小樽ジャーナルのサイトからの引用です)、

石川啄木は、1907(明治40)年9月27日に来樽。当時の「小樽日報」の記者として活躍したが、社内での争いで、わずか4ヶ月足らずの1908(明治41)年1月19日に、小樽から釧路へ去った。来樽時、次姉の夫が小樽駅の駅長だったことから、住居が定まるまで一家は小樽駅長官舎に滞在した。小樽駅は、啄木にとってまさにゆかりの地となった。
第3の啄木歌碑誕生!小樽駅に新名所! (小樽ジャーナル http://otaru-journal.com)

ということで、実際は小樽にいたのはわずかな期間だったんですね。
そしてこの時、まだ21歳なんですね。

小樽公園内の歌碑

Otaru_dsc05965

場所が分かりにくいのですが、小樽公園の海側の入口から入ると、すぐのところに建ってます。

こころよく/我にはたらく仕事あれ/それを仕遂げて/死なむと思ふ

Otaru_dsc05966

1951年(昭和26年)に建てられたもので、かなり昔からのものなんですね。

水天宮の境内の歌碑

Otaru_dsc06321

水天宮の境内に入って右側の、小樽港を見渡す場所に建っています。

かなしきは/小樽の町よ/歌ふこと/なき人人の/声の荒さよ

Otaru_dsc04047r
(この写真は冬の撮影です)

1980年(昭和55年)建立ですが、2005年(平成17年)に境内の隅にあったのを現在の位置に移設したそうです。

小樽駅近くの歌碑

Otaru_dsc05348

小樽駅前広場から三角市場への階段を上った、すぐ左側に建ってます。

子を負ひて/雪の吹き入る停車場に/われ見送りし妻の眉かな

Otaru_dsc05350

2005年(平成17年)10月23日に、市内3番目の歌碑として建てられました。

Otaru_dsc05349


以上が、小樽に建つ石川啄木の3カ所の歌碑です。

ちなみに、石川啄木が勤めていた小樽日報社は、静屋通りの今の本間内科付近にあったとのことで、その場所に現在は案内板が立ってます。

Otaru_dsc07136

たまには、小樽ゆかりの文学者たちの足跡を辿るのもいいかもしれませんね。

(参考:「おたる案内人 公式テキストブック」より)

【関連記事】
初詣がてら水天宮へ
小樽ゆかりの作家、小林多喜二の文学碑


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 小樽情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ


| | コメント (3) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

イベント | 小樽のお祭り | おたる潮まつり | 小樽ゆき物語 | 小樽雪あかりの路 | スポット | 歴史的建造物 銀行 | 歴史的建造物 倉庫 | 歴史的建造物 店舗 | 歴史的建造物 教会・神社・寺 | 歴史的建造物 邸宅 | 歴史的建造物 事務所 | 歴史的建造物 その他 | その他の気になる古い建物 | その他の気になる建物 | 小樽のなくなった建物 | 小樽市総合博物館 | 小樽市都市景観賞関連 | 小樽の公園 | 小樽公園の白樺林 | 小樽の坂 | 小樽の階段のある風景 | 小樽の地下歩道 | 小樽の通り | 小樽の駅 | 小樽の川・橋 | 海・港・運河・海岸 | 踏切・線路のある風景 | 天狗山 | 奥沢水源地(水すだれ) | 歩道橋から | 水天宮 | 小樽の市場 | 雑貨店 | 飲食店 | グルメ | 小樽のお餅屋 | 小樽のパン屋 | 小樽洋菓子舗ルタオ | 小樽あんかけ焼そば | 海の幸 | 家庭料理 | 学校関連情報 | 生活密着情報 | 閉店した店・閉館した施設 | サンモール一番街新築移転工事関連 | 塩谷地区 | 忍路地区 | 祝津・高島地区 | 道内巡り(小樽以外) | ちょっとした風景 | 冬のちょっとした風景 | 小樽の桜 | 小樽の紅葉 | 小樽でスキー | 小樽の猫 | 小樽ゆかりの人物 | 妙見小僧 | 北海道限定商品 | アンケートのお願い | スポーツ | ニュース | 日記・コラム・つぶやき | 映画・テレビ | 書籍・雑誌