小樽ゆかりの人物

2018年6月14日 (木)

旧国道沿いの長橋中学校と2代目板谷宮吉について

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先日、長橋方面に行ってきたのですが、旧国道(長橋大通り)沿いにある、長橋中学校の前も通ってきました。

関係者でもない私が長橋中学校に来ることはないですし、そもそも、こうやって長橋中学校前に立ち止まるのも初めてかもしれません。

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ところで、長橋中学校といえば、小樽の歴史に興味のある方や学校関係者に知られているのが、海運業などで財を成した、2代目板谷宮吉との関わりですよね。

長橋中学校の前身である小樽市中学校は、2代目板谷宮吉からの敷地1万坪と20万円(現在の貨幣価値で4億円ほど)の寄付によって、大正14年(1925年)に創立されたんですよね。

今回、きちんとした写真を撮り忘れたのですが、長橋中学校の3枚の柏の葉からなる校章は、板谷家の紋章(丸に三つ柏)から、デザインしたものとのことです(参考:学校紹介 - 小樽市立長橋中学校)。

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板谷宮吉といえば、東雲町の高台に建つかつての豪邸で、小樽市指定歴史的建造物でもある「旧板谷邸」(現在は、その一部のみが残ってます)でもその名前が知られていますね。また、報酬を得ない名誉市長として、昭和8年〜12年にかけて小樽市長も務めています。

ということで、長橋中学校と2代目板谷宮吉についてでした。

個人的に長橋中学校は、規模が大きくて立派な中学校というイメージが昔からありますね。

そうそう、あと長橋中学校といえば、伊藤整が小樽高商(現小樽商大)を卒業後に、小樽市立中学の英語教師に就任してますね。

(こちらは裏門になるのかな)
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(旧国道もこの辺りは道路ぎわの緑が豊かです)
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(長橋中学校のバス停から)
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※参考サイト
小樽市立長橋中学校
小樽市 :おたる坂まち散歩 第41話 見晴らし坂(後編)
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編

【関連記事】
ニュースより/小樽市指定歴史的建造物の旧板谷邸を使用した料理店「海宝楼」と隣接のホテル「海宝楼倶楽部」が閉鎖


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2018年5月28日 (月)

小樽市役所の庭の奥に建つ胸像は市庁舎建設時に多額の寄付をした土肥太吉

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小樽市役所の正門横の庭の奥に胸像が建っています。

近づいてみると、この胸像の前の部分には「土肥太吉翁」と表記されています。

この土肥太吉(どいたきち)という方は、ここ小樽市役所前に胸像が建っているくらいですから、もちろん、小樽市役所と深いかかわりのある人物です。

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その前に、ここ小樽市役所の建物についてですが、実はこのとても重厚な市庁舎本館は、建てられたのが昭和8年(1933年)と古く、小樽市の歴史的建造物にも指定されている建物なんですよね。

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建物正面の柱や上部の彫刻などの外観のほか、内部も階段などが味わい深く、ステンドグラスが飾られていて、とても趣があります。

で、この市庁舎の建設にあたり、当時の金額で、総工費約26万円のうち、なんと10万円を寄付したのが、先ほどの胸像になっている、小樽の有力者の土肥太吉という方なんですね。

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ただ、すいません。手元にある書籍などでは、土肥太吉という人物について詳しく記載されているものがなく、それについては今後の課題にしたいと思います。

ちなみに、胸像の後ろに書かれている内容をなんとか読んでみると、生まれは越前で明治20年に小樽に移住して成功したようです。市庁舎建築に10万円を寄付したのは昭和5年のことで、同年享年78歳にして亡くなっているようです(碑文の署名は、昭和7年8月小樽市長木田川奎彦となっています)。

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昔の文章が今ひとつ分かりにくかったので、氏の経歴について間違っていたらご指摘ください。

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(この画像は加工してます。クリックすると拡大します)


ということで、小樽市役所に建つ、土肥太吉の胸像についてでした。

せっかくですから、ぜひ、公に土肥太吉という方がどのような人物だったかというのを、もっと広く紹介されるようになるといいですね。


※ちなみに、小樽市役所の土肥太吉の胸像の手前には、小樽区長も務めた渡辺兵四郎の石碑「渡邊翁碑」が建っています。

(胸像は小樽市役所正門向かって左側奥。この写真は2018年4月撮影)
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※参考
小樽市 :小樽市庁舎
気分は古代ヨーロッパ?歴史を感じる小樽市庁舎 | 北海道Likers
土肥太吉翁の像 - 小樽図鑑(樽タルビュー)

【関連記事】
小樽市役所は歴史的建造物〜本館正面から入ると時代は昭和に逆戻り
小樽市役所の市庁舎本館は、2013年10月15日で完成から80周年
小樽市役所


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2018年5月26日 (土)

小樽区長も務めた渡辺兵四郎の石碑「渡邊翁碑」が小樽市役所正門横に移動してる!?

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先日、小樽市役所に行ったのですが、小樽市役所の正門横に大きな石碑が建ってます。

あれ?ここにこのような石碑って、ありましたっけ!?

(写真は2018年5月15日撮影)
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その奥には、この市庁舎建設時に多額の寄付をした土肥太吉(どいたきち)氏の胸像があって、そちらは以前からあったと思うのですが、手前この石碑はあったかな?

で、近づいて見てみると、「渡邊翁碑」と書かれています。

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これは、小樽で明治の中頃から昭和初期にかけて活躍した実業家で、政治家でもあって小樽区長も務めた、渡辺兵四郎(わたなべ ひょうしろう)の石碑ですが…

あれ?この石碑は、もともと別の場所にあったものでは!?

渡辺兵四郎の石碑といえば、このすぐ近くの、小樽公園から花園公園通りを下ってすぐの角(小樽ミルク・プラントのすぐ上)に建っていたと思うのですが。

ということで、見に行ってみると…
(ここです)
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何もありませんね。
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ここにあったはずの石碑がなくなってます。

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ちなみに、以前、ここの渡辺兵四郎の石碑について書いた記事があって、その時の写真を掲載すると、こういう感じで建っていました。
(2017年4月撮影)
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※記事はこちら:小樽公園のすぐ下の角に建っている石碑は小樽区長も務めた渡辺兵四郎のものでした

つまり、時期はいつか分からないのですが、この石碑「渡邊翁碑」の場所が移動したということなんですね。

前に石碑が建っていた角地には、渡辺兵四郎の邸宅があったそうで、それであそこに建っていたようなんですが、あまり知られてはいなかったかもしれませんね。


渡辺兵四郎について

以前の記事からですが、この渡辺兵四郎という方は、生まれは秋田県能代で、その後小樽に渡り、当時の小樽の豪商で名家でもあった山田家に仕えます。

その後独立して、漁業のほか荒物商を営み、ニシン漁網の改良を手がけたりして漁業組合頭取、水産組合長なども務め、業界の舵取りを担ったそうです。

そして、商売から政界に転じ、区会議員、道会議員、衆議院議員などを歴任していて、明治45年には5代目小樽区長(市制施行前の区だった頃ですね)も務めています。さらには小樽商業会議所会頭も務めるなど、小樽の発展に大きく寄与した方なんですね。

ということで、渡辺兵四郎の石碑「渡邊翁碑」は、小樽市役所正門横に場所を移動してました。

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(石碑は小樽市役所正門向かって左側。この写真は2018年4月撮影)
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※参考
・書籍「小樽散歩案内」発行:有限会社ウィルダネス(Amazonで「小樽散歩案内」を探す)
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
渡辺兵四郎 - Wikipedia


おまけ:小樽公園案内図の「渡邊翁碑」の表記について

先日、小樽公園の小高い丘にある見晴台に行った際、その端に、おそらく最近設置されたと思われる小樽公園案内図があったんです。

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それで渡辺兵四郎の石碑「渡邊翁碑」を確認してみると…

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確かに、小樽市役所の前に2番で「渡邊翁碑」が表記されています。

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で、公園案内図は、公園通りを上ってきて市民会館方面と図書館方面への別れ道のところにも、以前から設置されていて、ここの表記を見てみると、2番の「渡邊翁碑」は…

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以前の場所のままですね(2018年5月現在)。

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そのうちこちらの案内図も交換されるでしょうね。

ということで、案内図も変更になっているので、移動したのは間違いないようです。

【関連記事】
小樽公園のすぐ下の角に建っている石碑は小樽区長も務めた渡辺兵四郎のものでした


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2017年8月 9日 (水)

銀鱗荘入り口横に建つ小樽ゆかりの俳人・高浜年尾句碑

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平磯岬の高台に建ち、その豪華な姿がひときわ目を引く銀鱗荘、その銀鱗荘の入り口すぐ横に、石碑が建っています。

庭木と一体になっていてちょっと分かりにくいのですが、これは高浜年尾の句碑です。

(銀鱗荘入り口の…)
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(ここです)
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といっても勉強不足で、ここに碑が建っているということは最近知って、俳人・高浜年尾という方についてもよく知らなかったので、いつものようにちょっと調べました。

高浜年尾(1900年〜1979年)は、俳人として著名な高浜虚子の実子で東京神田生まれですが、1919年(大正8年)に小樽商業高等学校(現・小樽商科大学)に入学してるんですね。そして、学生らの俳句会「緑丘吟社」に参加しました。

高浜年尾は1924年(大正13年)に小樽を去ったのですが、その後も高浜虚子とともに何度か来樽していたそうです。

銀鱗荘の句碑は1974年(昭和49年)6月16日に、小樽ホトトギス会によって建立されたものです。

遠き家の/氷柱(つらら)/落ちたる/光かな

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この碑文は、小樽高等商業学校在学中に詠まれたものとのことです。

(句碑の背面)
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ということで、今回は銀鱗荘の入り口すぐ横に建つ、小樽ゆかりの高浜年尾の句碑についてでした。

※参考
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
17 高濱年尾句碑小樽商工会議所ホームページ観光関連情報ページ内)
高浜年尾 - Wikipedia

(銀鱗荘)
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【関連記事】
平磯岬の高台に建つ豪華な銀鱗荘は歴史的建造物の旧猪俣邸


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2017年7月20日 (木)

【訃報】新谷昌明元小樽市長死去のニュース

元小樽市長の新谷昌明(あらや まさあき)さんが、死去したというニュースがありました。

ニュースによると、2017年7月17日に陳旧性肺結核のため亡くなったということです。88歳でした。

小樽出身の新谷昌明さんは、元北海道副知事でもあったんですね。

そして、小樽市長を1987年(昭和62年)4月から1999年(平成11年)4月までの、3期12年務めました。

この時期はというと、小樽運河が一部埋め立てられ、散策路などが整備された現在の姿に生まれ変わったのが1986年(昭和61年)で、以降、小樽が観光都市へとまさに変わっていく時期ですよね。

1992年には市景観条例を制定してます。また、1988年には市民団体「伊藤整文学賞の会」初代会長に就いてます。

実は私は新谷さんが市長だった期間は、小樽を離れていたので、残念ながらほとんどその時期のことを知らないのですが、小樽が大きく変わる時代の市長さんだったのですね。

新谷昌明さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

※参照ニュース
・2017年7月18日付北海道新聞夕刊
・2017年7月19日付北海道新聞朝刊小樽・後志欄

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2017年7月 6日 (木)

手宮公園内に建つ北防波堤建設に従事した青木政徳の功績を讃える石碑

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手宮公園内に立派な石碑があるのは知っていたのです、それがなたのものなのか知らなかったんですよね。

場所は手宮公園内の道路が交差しているところで、そこから階段に続いてその石碑が建っています。

※写真が桜の時期の2017年5月4日撮影なのでご了承を。

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近づいてみると、その石碑の上部には「技師青木政徳之碑」と書かれています。

この青木政徳(あおきまさのり)という方、有名な方ではないようですが、小樽の港にとても深い関わりのある方ということで、ちょっと調べてみました。

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小樽港の北防波堤は、小樽築港第一期工事として、初代小樽築港事務所長で「港湾工学の父」とも呼ばれる廣井勇によって建設されましたが、その廣井勇のもとで、築港工事の監督に従事したのが、北海道庁技師だった青木政徳でした。

青木政徳は、自ら潜水服を着て海中に潜り、防波堤の基礎工事を指揮・監督したそうです。

しかし、青木政徳は明治33年(1900年)に病に倒れ、同年5月に北防波堤の完成を見ずに35歳の若さで亡くなってしまいました。

ちなみに、第一期工事は明治30年(1897年)に着工し、明治41年(1908年)に北防波堤が完成します。

で、青木政徳の功績を讃えて、小樽港の見えるここ手宮公園に、石碑が建てられたということなんですね(建立年については、明治44年という記述と大正5年という記述が見られたので、今度手宮公園に行ったら確認してみます。って、確認できるかな…)。

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小樽港の生みの親と言われる廣井勇博士と、その廣井勇の弟子で南防波堤の建設を指揮した小樽港の育ての親、伊藤長右衛門の銅像は、運河公園に建っています。

ということで、今回は手宮公園内に建つ、青木政徳の功績を讃える石碑についてでした。

※参考:「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編

【関連記事】
運河公園に建つ2つの銅像は、小樽港の近代化に深く関わりのある廣井勇と伊藤長右衛門


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2017年6月 9日 (金)

祝津の小樽市鰊御殿のすぐ下に建つ碑は、劇作家として活躍した八田尚之文学碑

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道道454号小樽海岸公園線で祝津に入り、道路の端の先に続く高島岬の高台に建つ「小樽市鰊御殿」は、祝津のシンボルのような建物ですよね。

旧田中家住宅とも呼ばれ、北海道指定有形文化財でもある小樽市鰊御殿には、この高台を上っていくのですが、その上る途中にちょっとしたスペースがあって、そこに碑が建っているんです。

(鰊御殿のすぐ下です)
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(この碑です)
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今回は、鰊御殿のすぐ下に建つその碑についてなのですが、これは劇作家・八田尚之(はった なおゆき)の文学碑です。

といいつつすいません、勉強不足で、八田尚之という方のことを知らないので、いつものようにちょっと調べました。

小樽生まれの八田尚之(1905年〜1964年)は、多数の映画のシナリオを書いて活躍し、1954(昭和29)年には劇団手織座を結成し、主宰者、演出家としても活躍して、劇団のために16本の戯曲を執筆したそうです。

この文学碑は、八田尚之の没後2年目の1966年(昭和41年)8月25日に建立されました。

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碑は3面になっていて、右側が肖像のレリーフ。

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中央の碑面には、1962年(昭和37年)に帰樽したおりに作られたという詩「がんぜ」が刻まれています。

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そして、左側には劇作家としての悲願であった「胸底にしまひ忘れた、皆の素朴な魂をゆさぶる芝居をつくりたい」ということばが刻まれているとのことです。

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ということで、祝津の小樽市鰊御殿のすぐ下に建つ、小樽ゆかりの八田尚之文学碑についてでしたが、今まで何気なく見ていた碑も、その人物について知ると、これからこの碑を見る時の気持ちも変わってきますね。

※参考
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
小樽ジャーナル(八田尚之文学碑)
小樽市 :おたる文学散歩 第17話 文学の中の食べ物
八田尚之 - Wikipedia


【関連記事】
小樽・祝津の高台に建つ北海道有形文化財「小樽市鰊御殿」(旧田中家住宅)
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(高台から見た祝津の風景。この日はおたる祝津にしん群来祭りが開催してました)
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2017年6月 1日 (木)

詩人・河邨文一郎と水天宮の詩碑/小樽文学館で特別展「生誕100年 詩人・河邨文一郎展」開催中(6/11まで)

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高台にある水天宮といえば、観光スポットとまではいかないまでも、大正8年(1919年)建築の趣ある本殿、拝殿は小樽市の歴史的建造物に指定され、境内から小樽港を眺める景色はとても素晴らしく、私も時々足を運ぶお気に入りのスポットです。

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河邨文一郎と水天宮の詩碑

その水天宮の境内に入ってすぐ左に、丸い鉄板が目につくオブジェが設置されているのをご存知でしょうか。

※以下、写真が4月の撮影なので、ご了承ください。

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その中には横長の長方形の鏡のようなピカピカな面があって、そこには何やら文章が書かれていて、私も以前はなんだろうと思っていたんですよね。

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これは小樽市出身の整形外科医で、さらには詩人としても知られた、河邨(かわむら)文一郎という方の詩碑なんですね。

と、知ったように書いてますが、すいません、勉強不足でこの河邨文一郎という方のことはあまりよく知らなかったんです。なので、いつものようにちょっと調べてみました。

河邨文一郎(1917年~2004年)は、小樽市入船町の生まれで、父親は北海道初の整形外科医だったそうです。で、本人も優れた整形外科医として、多大な業績を残したそうですが、加えて、詩人でもあったんですね。

詩については、さらに疎いのですが、実は1972年に開催された札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」の作詞者が、この河邨文一郎なんですね。

もちろん、私もこの曲ならよく知っていて、今でも口ずさめますが、この作詞が小樽出身の方によるものとは知りませんでした。

さて、水天宮の詩碑についてですが、あまりにピカピカで、覗き込むとあたりの景色を写してしまい、なかなか文章が読めないのですが、この碑文は詩「山上の旗」のものだそうです。

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鉄板、鉄柱を組み合わせた高さ3メートルの碑の造形は、小樽を拠点に活動を続けた著名な版画家・一原有徳、書は日本を代表する書家・中野北溟によるもので、1993年(平成5年)年8月7日に建立されたものです。

ということで、水天宮の境内に詩碑が建つ、河邨文一郎についてでしたが、やっぱり小樽ゆかりの方については、色々と知っておきたいですね。


小樽文学館で特別展「生誕100年 詩人・河邨文一郎展」が開催中(6/11まで)

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1917年(大正6年)生まれの河邨文一郎の生誕100年を記念して、現在、市立小樽文学館では、特別展「生誕100年 詩人・河邨文一郎展」が開催されてます。

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期間は2017年4月15日(土)~6月11日(日)までということで、 もう会期終盤ですね。

以下は、小樽文学館(小樽文学舎)のサイトからの引用です。

小樽出身で、北海道を代表する詩人、河邨文一郎(1917~2004)の生誕100年記念展。卓越した整形外科医として、また福祉活動家としても国際的に貢献した生涯を多数の著作や資料で紹介。札幌オリンピックのテーマソングとして広く愛好された「虹と雪のバラード」(河邨文一郎作詞)関連資料も多数展示します。
小樽文学館

河邨文一郎にまつわる様々な資料が展示されているので、興味のある方は行ってみてはいかがでしょうか。

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おまけ

小樽文学館では、現在、企画展「サカナクション・山口一郎さんの本箱展・延長戦」が同時開催しています。

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大人気のバンド「サカナクション」のヴォーカルで、小樽出身の山口一郎さんに関する企画展が好評につき、期間を延長して開催していますよ。


市立小樽文学館の入館料は、一般300円・高校生・市内高齢者150円、中学生以下無料です。
その他、休館日(基本は月曜休館)など詳しくはこちら:小樽文学館


※参考
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
・特別展「生誕100年 詩人・河邨文一郎展」リーフレット
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小樽市 :市立小樽美術館 一原有徳記念ホール
中野北溟 - Wikipedia

【関連記事】
小樽文学館の企画展「サカナクション・山口一郎さんの本箱展」が大好評につき一時休館後に延長戦へ!!


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2017年5月30日 (火)

小樽公園のすぐ下の角に建っている石碑「渡邊翁碑」は小樽区長も務めた渡辺兵四郎のものでした【追記】

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※「渡邊翁碑」は小樽市役所正門横に移動してます(2018.5.26追記)

小樽市内を散歩していると、何気にあちこちに石碑が建っているのを目にするのですが、まだまだ勉強不足で、いったい誰のなんの碑なのか分からないというのが、結構あるんですよね。

この石碑も、今回調べるまで知らなかったのですが、それは、小樽公園から花園公園通りを下りるところのすぐ角に建っている、こちらの石碑です。

※以下は写真が4月の撮影なので、ご了承ください。

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ソフトクリームが大人気の「小樽ミルク・プラント」のすぐ上になります。

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ちょっとした空き地になっている場所に建つこの石碑は、よく目にはしていたのですが、それこそ誰のなんの石碑なのか知らなかったのですが、近づいて見てみると「渡邊翁碑」と書かれています。

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調べてみると、これは、小樽で明治の中頃から昭和初期にかけて活躍した実業家で、政治家でもあった、渡辺兵四郎(わたなべ ひょうしろう)の石碑で、この角地にはその渡辺兵四郎の邸宅があったそうです。

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もちろん、小樽の発展に寄与した方ということで、さらに調べてみると、生まれは秋田県能代で、その後小樽に渡り、当時の小樽の豪商で名家でもあった山田家に仕えます。

その後独立して、漁業のほか荒物商を営み、ニシン漁網の改良を手がけたりして漁業組合頭取、水産組合長なども務め、業界の舵取りを担ったそうです。

そして、商売から政界に転じ、区会議員、道会議員、衆議院議員などを歴任していて、明治45年には5代目小樽区長(市制施行前の区だった頃ですね)も務めています。さらには小樽商業会議所会頭も務めているんですね。

(この写真は5月19日撮影)
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ということで、小樽公園下に建つ石碑は、小樽の発展に大きく貢献した渡辺兵四郎のものでしたが、こうやって何気なく目にしている石碑が誰のものなのかを知るのは、なんだか興味深くて面白いですね。


※参考
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
渡辺兵四郎 - Wikipedia
小樽公園の入口あたり(その2) 2つの石碑のこと : ときどきの記 小樽の出版社“ウィルダネス”のブログ
渡辺翁彰徳碑 « そば会席 小笠原


【補足】
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)に記載されていたのですが、近くの小樽公園の見晴台の駐車場奥に、かなり大きな石碑が建っています。

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この石碑も渡辺兵四郎に関わりがあって、明治天皇が明治14年に小樽に初上陸した際、小樽公園の展望台を訪れることも予定されていたのが荒天のため中止になったそうで、この碑は天皇の小樽訪問の歴史をとどめるためにと、50年後の昭和6年に建てられたものとのことですが、なんと建立の費用は渡辺兵四郎が私費で出したそうです。


《追記 2018.5.26》

時期はいつか分からないのですが、渡辺兵四郎の石碑「渡邊翁碑」は、小樽市役所の正門横に場所を移動してます。
小樽区長も務めた渡辺兵四郎の石碑「渡邊翁碑」が小樽市役所正門横に移動してる!?


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2017年5月20日 (土)

小樽市民会館の敷地内に銅像が建つ藤山要吉と公会堂

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海運業で財を成した、小樽を代表する豪商のひとりに“藤山要吉”という人物がいます。

現在、小樽市民会館の正面左手の奥まったところに、その藤山要吉の銅像が建っているんですよね。

あまり目立たないところに銅像が建っているのですが、もちろん、小樽の発展に貢献した人物です。

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藤山要吉と公会堂

藤山要吉は所有していた船を戦争に提供(供出)することによって、膨大な補償金を手に入れ「船成金」とも言われたそうで、海運業の他にも漁業、農業など様々な産業を手がけて、その財力は本当に凄かったようです。

藤山要吉にまつわるエピソードとしてよく知られているのが、小樽市民会館の道路を挟んだ向かいに建つ、趣ある和風建築の小樽公会堂(旧小樽区公会堂)に関する話です。

Otaru_20170427_143825

この公会堂の建物は、そもそもは明治44年に皇太子(後の大正天皇)の本道行啓に際してのご宿泊所として建てられたものなのですが、その費用を全額寄付したのが、この藤山要吉という方なんですね。すごいですね。

Otaru_20170427_143840

ちなみに、建築にあたったのは、大虎の棟梁・加藤忠五郎という方です(この方、よくこの建物の大工として名前が出てくるので、有名な方なんですね)。

その後、公会堂として使われるのですが、もともとこの建物が建てられたのは、現在の市民会館の場所なんですよね。で、市民会館建設のために、昭和35年に現在地に移築されたそうです。

(小樽市民会館)
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(左手の奥まったところに銅像が建ってます)
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市民会館に建つ藤山要吉の銅像の側面を見ると、当時の安達与五郎市長による碑文が書かれているのですが、その日付は昭和33年6月となっているので、銅像は公会堂が移設される前からあったのですね。

Otaru_20170427_143624

ということは、公会堂の建物は移動したけど、銅像は元の場所に残ったということでしょうかね。

Otaru_20170519_174152


おわりに

ということで、今回は小樽市民会館の敷地内に銅像の建つ藤山要吉について、ちょっと調べてみました。

Otaru_20170519_174201

あれは誰だろうと、普段は何気なく見ている銅像も、その人物と小樽との関わりを知ると、とても興味深いですね。

※参考
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
小樽市 :旧小樽区公会堂・旧岡崎家能舞台
第8章 海運業 藤山要吉と板谷宮吉

【関連記事】
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小樽市民会館は今年で開館50周年


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