« ニュースより/ついに小樽市の人口が11万人割れ。なんと10万人台となったのは102年ぶり | トップページ | ニュースより/⼩樽芸術村「⻄洋美術館」が4月28日オープン〜歴史的建造物の旧浪華倉庫を活用した⼩樽芸術村4館目の施設 »

2022年4月16日 (土)

色内川を探せ!!〜かつて市内を流れていて、現在はほとんど暗渠の色内川を見られるところ

Otaru_20191128-130253

かつて小樽市内を流れていた川で、現在も名前はよく聞くけど、いったいどこを流れているのか、今はその姿を見ることがほとんどできない、といった川があります。

ということで、“〇〇川を探せ!!”シリーズ第3弾!!(入舟川手宮川と続いて、おそらくこれが最終回)

今回は「色内川を探せ!!」です。

※写真は過去に撮影したものから掲載しているので、撮影日時はまちまちです。

小樽にかつて流れていた川で、現在は暗渠になっていたり、細々と流れていたり、そんな川の流れを探してみるこのシリーズ、今回の色内川も、現在はほとんどが暗渠になっていますが、流れを見られるところ(開渠)があるんですよね。

色内川について

色内川の名称の直接的な名残りといえば、手宮方面に行くバス路線に、「色内川下」というバス停があって、まさに痕跡ですね。

Otaru_20200318-151239

かつての色内川は、長橋方面の長橋大通り(旧国道)を流れ、大きく曲がって国道5号線を稲北十字街を通って海(運河)に向かって流れていた川ですが、今はほとんどが暗渠になっていて、その流れを見ることはできません。

(国道5号線。かつてここに海に向かって色内川が流れていたんですね)
Otaru_20160416-150220

そこで、まずは昔の地図を見てみます。

こちらは、市立小樽図書館所蔵の地図「小樽市街図1936(昭和11)年6月20日印刷(No.95 )」(市立小樽図書館デジタルライブラリー古地図より)です。
※当地図は市立小樽図書館の許可を得て掲載しています。コピー等による二次利用は禁止です。
(古地図)
No95_051_otarusigaizu_s11

昭和11年の地図で、画面では分かりにくいのですが、長橋のかなり奥から、長橋大通り沿いに、そして港に向かって、薄く青色の川が表示されているのが確認できます。

少し拡大します。
No95_051_otarusigaizu_s11kakudai

そもそも、旧国道の長橋大通りは、色内川に沿って開かれた道路なんですよね。

かつてあった「砂留町」(現在の長橋2丁目あたり)という町名は、色内川で運ばれた砂が港に流れ込むのを防ぐため、砂防地が途中に設けられ、そこからついた町名です(昭和43年の町名改正でなくなります)。砂留トンネル、砂留横断歩道橋といったところで名前が残っていますね。

色内川については、小樽市総合博物館所蔵に写真がありました。
※いずれの写真も、小樽市総合博物館の許可を得て掲載しいますので、コピー等による二次利用は禁止です。

こちらは昭和31年暗渠化の起工式で、かつての砂留町あたりです。
Otaru_hakubutukan_scn_0008t
(小樽市総合博物館所蔵)

そして、こちらは上記の古地図と同じ頃の昭和11年の稲北十字街下の色内川の様子です。橋がたくさん架かっているようですね。
Otaru_hakubutukan_scn_0007t
(小樽市総合博物館所蔵)

まず、上記の古地図や写真を念頭において、続いて実際に色内川の流れを見られるところについてです。

色内大通りにある色内橋の下を流れる

まず、探すというか、以前から目にして気になっていたところがあって、それは、色内大通りを手宮方面に歩いて道道820号小樽港稲穂線(ここも臨港線)に近づくと、橋の欄干のような手すりがあるんです。

Otaru_20181026-150255

Otaru_20191128-130157

って、これ、実際に短い橋の欄干で、この橋には「色内橋」と名前がついているんですよね。

Otaru_20191103-163524

この色内橋の下には、川というには住宅街の側溝のような感じですが、とりあえず水が流れていて、最初に見た時に、色内大通りに架かる色内橋となると、そこに流れるのはひょっとして!?と思ったんです。

(下流側)
Otaru_20181026-150330

(上流側)
Otaru_20181026-150252

で、先ほどの古地図の同じ部分を拡大してみると。
No95_051_otarusigaizu_s11_karyu
(こちらもコピー等による二次利用は禁止です)

稲北十字街からまっすぐと海に向かって流れていた色内川は、途中でくねっと住宅街の方に曲がって、色内橋のあたりを通って海へと向かっています(表示はないですが、色内橋のようなものも書かれています)。

やはり、色内橋の下を流れているのは色内川なんですね(イメージしていた大きな川ではないですが)。

そして、色内川はこの先で運河へと流れ込んでいます。
Otaru_20181026-150328

この先から色内橋を振り返って見たところ(写真追加)。
Otaru_20220424-161353

そして運河へ(写真追加)。
Otaru_20220424-161350

色内橋に戻り、色内橋からすぐ上流側の旧手宮線散策路に行ってみます。
Otaru_20181026-145906

ここからは、このように見えます。
Otaru_20181026-145917

Otaru_20181026-145844

もうひとつ上の通りから下流部を見たところ。
Otaru_20181026-150027

さらに、ここから上流をたどると、住宅街の中を曲がって流れているのですが、それも古地図の通りですね。

(上流部を見ると、この先で右に曲がっている)
Otaru_20181026-150015

さらに上流部は確認できず、暗渠となっているようです。

※川の流れを確認できるのは、ざっとこのあたりです。

念のため、ここが色内川だというのは、小樽市建設部用地管理課でも確認させてもらいました。ありがとうございました。

長橋中学校周辺を流れている

さて、他に色内川の流れを確認できる場所がないかというと、色内川は現在はほとんどが暗渠になっているのですが、ず〜っと上流の長橋中学校の近くで、その流れを見られるんですね(色内川って長い!!)

(長橋中学校)
Otaru_20201123-144923

これは、小樽市建設部用地管理課にて教えていただきました。

現在のGoogleマップで長橋中学校周辺を見てみると、確かに川の流れが表示されているんですが、ここが色内川なんですね。

実際に見に行くと、先ほどの色内橋のところと比べると、こちらは結構、川らしい川です。

Otaru_20201123-144757

Otaru_20201123-145154

Otaru_20201123-145205

Otaru_20201123-145224

Otaru_20201123-145251

きっと地元の方は、普段から何気に目にしている風景でしょうが、こんなところにも色内川が流れていたんですね。

色内川は、上流部では長橋や幸町から様々な川が流れ込んでいるようです。

※川の流れを確認できるのは、このあたりですね。


色内川についてのその他の話題

その他、小樽市建設部用地管理課で教えてもらったところ、さらに上流部の現在の国道5号線のオタモイ跨線橋の下あたりで、線路脇にも流れているそうなのですが、ここは立地的に歩けないので、残念ながら流れは確認できませんでした。

Otaru_20180610-153030

(オタモイ跨線橋の下を通る線路。この辺りに流れているそうですが…)

Otaru_20201123-151949

(未確認だけど、ひょっとして、ここは川!?)
Otaru_20201123-151917

そうそう、おまけの話ですが、市中心部から来て、長橋パイパスの手前で旧国道へ分岐する道路の歩道沿いに、旧色内川護岸の石積を使用したという花壇があって、これもまた色内川の痕跡といえそうですが、それについては、以前、記事にしているので参考まで。
長橋パイパスの手前で旧国道へ分岐する道路の歩道沿いに旧色内川護岸の石積を使用した花壇があった

Otaru_20190706-150301_20220415235201

Otaru_20190706-150315_20220415235201

Otaru_20190706-150215_20220415235201

おわりに

よく耳にするけど、ほとんどが暗渠で、その姿を見ることがない色内川ですが、上流部の長橋中学校周辺と、下流部の色内橋前後で、その流れを見ることができました。

色内川は、今も流れているんですね。

ということで、シリーズ第3弾、“色内川を探せ!!”でした(おそらくこれがシリーズ最終回)。

※川の開渠部などについては、小樽市建設部用地管理課にて教えていただきました。この場を借りてお礼させていただきます。

河川に関することについて | 小樽市

【関連記事】
色内大通り/道道820号小樽港稲穂線〜竜宮通り
長橋の上砂留踏切前の道路沿いの壁に階段があったので上って眺めてきた

※“川を探せ”シリーズと、かつての川についての記事です。
手宮川を探せ!!〜梅ヶ枝町のバス通りでは暗渠になっている手宮川の流れを見られるところ
入舟川を探せ!!〜入舟川の流れを見られるところ
豊川町と石山町の間の通り(手宮仲通線)に流れていた手宮仲川(現在は暗渠)

スポンサーリンク

|

« ニュースより/ついに小樽市の人口が11万人割れ。なんと10万人台となったのは102年ぶり | トップページ | ニュースより/⼩樽芸術村「⻄洋美術館」が4月28日オープン〜歴史的建造物の旧浪華倉庫を活用した⼩樽芸術村4館目の施設 »

小樽の川・橋」カテゴリの記事

コメント

近所のおばさんが
「昔、川があって氾濫したことがあったんだよ。腰くらいまで水がきてね。大変だった。」と話してくれたことがありました。
写真を見せたら、懐かしんでくれただろうなぁ。

投稿: surigon | 2022年4月16日 (土) 07時39分

小梅太郎さま

おはようございます。
古地図と古い写真を掲載してくださっているので分かり易い説明で、今回も読みごたえ満載で面白かったです。
色内川下というバス停は知っていますが、そこから川探しに行動を移す太郎さん、なんともマニアックで最高です!

投稿: know the moon | 2022年4月16日 (土) 08時48分

昔、川が氾濫した、と私も聞きました。
亡くなった祖母のアルバムに色内川下バス停前辺りでの川の氾濫写真がありました。
その写真では暗渠にはなっていなかったような記憶があります。私の見間違いでなければですが。
1番最初にある色内橋の写真ですが、昔この辺りにあった工場や事務所の方々相手の食堂があったような…
湖月さんといったような記憶があります。
違うかな…

投稿: 桃 | 2022年4月16日 (土) 14時33分

小梅様。皆様。

今回のブログ、know the moonさんも指摘されているように、古写真と古地図を武器に、さらに現場!を歩いて確認される、という刑事ドラマそのものの趣があって、とても堪能することができました。資料を頼りに過去を探訪する「歴史探偵」物語、色々と御苦労がおありかと存じますが、小梅さんは大学で歴史学でも学ばれたのでしょうか。小樽の古写真というと、一昨年に亡くなった小野整形外科の院長・故小野民夫先生がたくさん蒐集されていらっしゃったので、博物館にお問い合わせなさると、小梅さんなら、見せて頂けるかもしれないですよね。稲北交差点を挟んで前後数メートルに渡って色内川が流れていた光景は、私もしっかり覚えています。高校時代、幸町にいる友人の家に遊びに行くときに使った中央バスの車窓からも、特に座らないで立っている時には良く見えました。稲穂5丁目界隈の色内川が埋め立てられてしまったのは、何年前の事なのでしょう。往時あった店舗、例えば前田電器店なども、とっくに無くなりましたよね。人口が11万人を割ったという記事の翌日に、小樽が元気だった頃の色内川のことを懐かしめました。

投稿: 小樽望郷 | 2022年4月16日 (土) 15時46分

小梅太郎さん、こんにちは。
やっぱり小梅太郎さんのブログは面白い‼️
記憶を蘇らせたり謎解きをしたり、、、
川周辺の景色から季節やその地域を感じたり。
花壇の石垣のプレートも面白い発見ですね。
もうそろそろ小樽に行きたいなぁ〜
只々小樽を歩きたい。

投稿: EKO | 2022年4月16日 (土) 17時36分

surigonさん、こんばんは。
色内川の氾濫の話は、聞いたとはありますが、近所のおばさんからの話となると、とっても、身近な話に感じられて怖いですね。
昔の写真って貴重ですね。


know the moonさん、こんばんは。
色内川について、あちこち歩いたり調べたりしことを、ようやくまとめることができました。
せっかくなので、資料として、古地図や昔の写真も許可をとって掲載しました。
ちょっとマニアックだったかもですが、楽しんでもらえたなら嬉しいです!!


桃さん、こんばんは。
実際にお祖母様のアルバムに川の氾濫写真があったのですね。それもすごいですね。
きっと、それは暗渠前だったのでしょうね。
う〜ん、ごめんなさい、食堂については、ちょっと分かりません。
食事の店で湖月というと、確かオタモイに同名のお店がありますが、何か関連があるかな?


小樽望郷さん、こんばんは。
たまにこのような記事も書くのですが、今回も色々と調べた内容を、せっかくなのでと、記録も兼ねて記事にしました。
確かに、歴史探訪といった趣はありますね(特にそういった勉強はしてません…汗)。
故小野民夫氏の業績は小樽市総合博物館でも紹介されていましたね。
色内川の流れていた様子は覚えてらっしゃるのですね!!
川の流れが姿を消してから、随分と年月が経っていて、今やそこに川が流れていたことも忘れられていると思いますが、当時の賑わいと共に、実際にそこに川が流れていたんだ、という記録になればと思っています。


EKOさん、こんばんは。
ありがとうございます!!(笑)
こうやって色々と調べて、記録として書き留めた記事が、読者さんたちの記憶を揺さぶり、懐かしんでもらえたり、楽しんでもらえたのなら、とても嬉しいです。
ぜひぜひ、只々、小樽歩きをしてもらいたいです!!

投稿: 小梅太郎 | 2022年4月17日 (日) 02時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ニュースより/ついに小樽市の人口が11万人割れ。なんと10万人台となったのは102年ぶり | トップページ | ニュースより/⼩樽芸術村「⻄洋美術館」が4月28日オープン〜歴史的建造物の旧浪華倉庫を活用した⼩樽芸術村4館目の施設 »