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2021年9月 6日 (月)

手宮線の終点・手宮駅ってどこにあって、どんな駅だったの!?

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旧手宮線散策路の手宮側終点に近づくと、線路が分岐して跡地の幅がぐっと広くなり、その先で道路を挟んで線路は小樽市総合博物館本館の敷地内へと入っていきます。

ここから、かつては高架桟橋などがあって、石炭の集積地・積出港として重要な役割を担っていたわけですね。

あれ?それじゃあ、終点の手宮駅ってどこにあって、どんな駅だったの!?

手宮線の終点・手宮駅

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手宮線は1880年(明治13年)11月に官営幌内鉄道の一部として、手宮〜札幌間に北海道で初めて開通した鉄道で、1985年(昭和60年)に全線廃止になってます。

手宮線の南小樽駅と終点手宮間には、中間駅として色内駅がありましたが、もちろん、手宮駅も駅舎があったわけですよね。

けど、あまり手宮駅について紹介されているのを見たことがないような…

ちなみに、あまり知られてませんが、大正元年~昭和18年の期間、終点の手宮駅とは別に、旅客専用の手宮駅が手宮線の途中に設置されていたこともありました。
※こちらの記事で紹介してます:かつて手宮線にあった旅客専用の手宮駅って!?〜古い写真がありました

で、終点・手宮駅の駅舎はどこにあったかというと、現在の散策路の終点からすぐ近くにある小樽市総合博物館本館の手宮口の建物横にある、交番あたりにあったそうです。

場所はだいたいこのあたりですね。
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そして、その駅舎については、小樽市総合博物館所蔵の写真がありました。こちらです。

※写真は小樽市総合博物館所蔵(昭和35年頃撮影)
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※この写真は小樽市総合博物館の許可を得て掲載してますので、コピー等による二次利用は禁止です。

今回入手した写真はこれ1枚で、駅舎についての詳細までは分からなかったのですが、なるほどこういう駅舎があそこにあったのですね(場所については、もし古い地図を持っているなら、見てみると掲載されていると思います)。

北海道鐵道發祥驛

実は、博物館の手宮口の建物と交番の間に「北海道鐵道發祥驛」という、結構大きな石碑が立っているんですよね。

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碑文は“北海道の鐵道發祥地は手宮驛である”から始まってます。

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碑文によると、昭和18年で廃止されていた手宮駅の旅客取扱いの復活のため、有志が会を結成して請願を続け、紆余曲折を経て昭和23年に南小樽まで、翌24年には岩見沢駅までの直通列車が運転するようになったということで、これを機会に手宮駅の由来と併せて、旅客取扱い復活に長年に亘って尽力してきた西富士松会長の功績を記念して、この碑を建立したとのことです。

昭和24年(1949年)11月18日建立で、おそらく手宮駅の横とかに建てられていたのでしょうかね。

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※碑文がなかなか読みにくかったので、下記サイトも参考にさせていただきました。ありがとうございました。
北海道鐵道發祥驛 - 小樽図鑑(樽タルビュー)

ちなみに、手宮線は昭和37年(1962年)5月に旅客営業を廃止しています(その後は貨物専用線となります)。

おわりに

ということで、手宮駅の終点の手宮駅についてでしたが、手宮線の廃止が昭和60年(1985年)ということなので、手宮駅については記憶に残っている方も多いかもしれませんね。

ちなみに、手宮線の手宮駅周辺については、時代とともに石炭の積み出しの役割が終わると、昭和37年(1962年)に機関庫と周辺施設を利用した北海道鉄道記念館が開館し、平成8年(1996年)に小樽交通記念館に、そして、平成19年(2007年)7月に小樽市総合博物館になっています。

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※今回、古い写真を探すにあたり、小樽市総合博物館様に協力していただきました。この場を借りてお礼させていただきます。どうもありがとうございました。

※手宮駅の位置はこのあたり。

※参照
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)
北海道鉄道発祥の地・手宮の歴史 | 小樽市
小樽市総合博物館( Otaru Museum ) | 小樽市
小樽市総合博物館 - Wikipedia
手宮駅 - Wikipedia

【関連記事】
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かつて手宮線にあった色内駅〜現在は復元されて休憩施設に

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コメント

この辺りも、私のテリトリーで何度も通った場所ですが石碑を意識して見たことはありませんね。なるほど、機会があれば見てみますよ。
交番の辺りから、手宮公園に行く近道をするので見慣れた景色ですが、次回がいつになるのかは不明ですからねぇ~。

投稿: John 1940 | 2021年9月 7日 (火) 07時33分

John 1940さん、こんばんは。
そうですよね。この辺りもテリトリーですよね!!(^^)
この石碑の建つ場所は、目に止まりにくい場所かもしれませんね。
機会があればぜひ!!
そして、早くその機会が訪れますように。

投稿: 小梅太郎 | 2021年9月 8日 (水) 02時35分

1936年の地図をみると、手宮駅はもうすこし手前にあったみたいですね
https://stroly.com/viewer/_ATRP_Nichibun_002415578_Otaru1936/

投稿: | 2021年9月10日 (金) 09時33分

小梅太郎様

今はこの辺りはこのようになっているんですね~。大昔、この近くに歯医者さんがありませんでしたか?マックスバリュのあたりかな、忘れましたが。私の人生で一番昔の記憶かもしれません(;^_^A (手宮駅では国鉄職員の祖父が働いていたそうです。私は全く記憶がありませんが。)いつも興味深い記事をありがとうございますm(_ _)m

投稿: T | 2021年9月10日 (金) 10時11分

1936年の地図の連絡くれた方、こんばんは。
地図、拝見しました。どうもありがとうございます。
この地図は私も見たことがあるのですが、手宮駅が運河の北浜橋の近くにあった頃ですね。
大正元年~昭和18年の間の一時期、本来の手宮駅が石炭輸送優先のため貨物専用となり、旅客専用の手宮駅がこの場所に置かれました。地図は1936年(昭和11年)のものなので、ちょうどその頃のものと思われます。
現在の旧手宮線の散策路にその案内板があって、このブログでも記事を書きましたので、よければ読んでみてください。
http://koume-taro.cocolog-nifty.com/otaru/2021/09/post-fd3587.html
(かつて手宮線にあった旅客専用の手宮駅って!?〜古い写真がありました)


Tさん、こんばんは。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
すいません、歯医者は分からないのですが、この辺りの昔のことを覚えてらっしゃるのですね(お祖父様は国鉄職員でしたか)。
今はこの辺りはこんな感じで、懐かしんでもらえてよかったです。

投稿: 小梅太郎 | 2021年9月11日 (土) 03時16分

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