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2021年5月20日 (木)

手宮公園のある丘はかつて煤田山とも呼ばれていた

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少し前の話ですが、連載中の「小樽チャンネルマガジン」2021年3月号(Vol.64)で、冬企画「小樽の冬の坂道を歩く/励ましの坂〜十間坂編」を掲載しました。

その中で、手宮公園のある高台(丘)へと上る「励ましの坂」関連で書こうと思ったものの、長くなるのでカットした話題があるんです。

それは、手宮公園のある丘が、かつて煤田山(ばいでんやま)とも呼ばれていた、という話題で、補足記事をブログで書こうと思っていたんです(が、こんなに遅くなってしまいました)。

煤田山という名称については、小樽市HP内の広報おたる連載・おたる坂まち散歩「第1話 励ましの坂(はげましのさか)」の中でも出てくるのですが、その他にも、時々この名称が紹介されることがあるんですよね。

※写真は2021年2月19日撮影です。

煤田山〜手宮公園のある丘

かつて煤田山と呼ばれていた、手宮公園のある丘。

手宮のバスターミナルから手宮公園を横に、急な励ましの坂を上った先には小樽稲荷神社があって、頂上をちょっと超えたところには旧末広中学校があります。この丘が煤田山なんですね。

(手宮のバスターミナルからの励ましの坂)
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(上ったところに小樽稲荷神社)
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名前の由来は、かつて麓に煤田開採事務所という炭鉱開発のための役所があったことから、煤田山と呼ばれていたとのことです。

ちなみに“煤田”とは、今は使われませんが、炭鉱・炭田を指す言葉だそうです。

煤田開採事務所は、開拓使が明治11年に炭鉱開発のために設けた機関で、事務所の開設は明治12年のことだそうです(手宮〜札幌間に鉄道が開通したのが明治13年です)。事務所は当時の手宮駅構内に置かれたとか。

煤田山という名称は、地図上では見ることがでず、一般にはほとんど知られていませんが、地元に昔から住んでいる方はご存知のようですね。

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(十間坂から見る煤田山)

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※この写真は2015年5月撮影
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ということで、手宮公園のある丘が、かつて煤田山とも呼ばれていたという話題についてでした。

※参照
・2021年2月18日付北海道新聞朝刊小樽・後志欄コラム「えぞふじ」(小樽市総合博物館石川館長)
・新ねっとわーく小樽2015年8月号(No.13)(有限会社ウィルダネス/どうしん小樽販売所会)
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)
小樽の「バイデン」山 米大統領選挙で「幻の地名」急浮上、地元民がSNSで話題に - 小樽経済新聞
おたる坂まち散歩 長い長い励ましの坂 | 小樽市

【関連記事】
フリーペーパー「小樽チャンネルマガジン」2021年3月号(Vol.64)〜今号は冬企画「小樽の冬の坂道を歩く/励ましの坂〜十間坂編」

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コメント

小梅さん、こんにちは。
コロナの影響で私の活動領域がすっかり縮んでしまいました。
去年より悪くなっているんじゃないかと感じてます。
さて、私は末広中学校出身です(S54卒)。当時多くの小中校は
給食センター調理でしたが末広は数少ない校内調理でした。
理由は簡単、冬は配達のトラックが登れないからです。そんな
末中も廃校になりました。

投稿: dialin6700 | 2021年5月21日 (金) 20時02分

dialin6700さん、こんばんは。
そうですね。私も気軽には街歩きができなくなりました。場所と時間を選ばないと…
末広中学校出身でしたか!!なるほど、あの急な坂を配達のトラックが登れないために、給食は校内調理!!
確かにあの坂道は、冬はロードヒーティングがなければ厳しいですね。
廃校は寂しいですよね。

投稿: 小梅太郎 | 2021年5月22日 (土) 01時42分

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