小樽にもゆかりのある作詞家・なかにし礼さん死去のニュース
「石狩挽歌」や「北酒場」などといった多くのヒット曲でしられる作詞家で、直木賞作家でもあるなかにし礼さんが、2020年12月23日に心筋梗塞のため、東京都内の病院で死去したというニュースがありました。82歳でした。
そのヒット曲をあげるとキリがないほどで、そのほか各方面でも活躍されたなかにし礼さんの訃報は、あちこちで大きく取り上げられましたが、なかにし礼さんは小樽とゆかりがあるんですよね。というか、小樽に住んでいらしたんですよね。
それもあって、訃報は北海道新聞小樽・後志欄などでも大きく掲載されていて、小樽とのつながりについて知らせる内容も記載されていました。
※参照ニュース
・2020年12月26日付北海道新聞朝刊小樽・後志欄、第2社会・第3社会欄
・小樽ゆかりの作詞家、なかにし礼さん死去 歌碑や母校など今も地域住民に親しまれる - 小樽経済新聞
ニュースなどによると、1938年(昭和13年)、中国黒龍江省牡丹江市(旧満州)生まれのなかにし礼さんは、1946年(昭和21年)に引き揚げ後、父の実家がある小樽に移住しているんですね。
場所は豊川町だそうで、旧小樽市立手宮西小学校(2016年(平成28年)3月末に閉校)に通っていたそうです。
1947年(昭和22年)には、兄の事業失敗などで小樽を離れることになり、実際に小樽に住んでいたのは、数ヶ月と本当に短い期間だったようですが、その後の作家活動にも影響を与えたようです。
祝津にあるにしん御殿小樽貴賓館(旧青山別邸)には、なかにし礼さん直筆の歌詞が刻まれた「石狩挽歌」の記念碑(1997年建立)があります。
なかにし礼さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
※関連ニュース
・昭和を代表する作詞家・なかにし礼さん死去 - CDJournal ニュース
・なかにし礼、逝去 | BARKS
・作詞家 なかにし礼が死去 「北酒場」「石狩挽歌」「時には娼婦のように」 - amass
※なかにし礼さんの作詞したヒット曲例。
ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」
北原ミレイ「石狩挽歌」
キャンディーズ「哀愁のシンフォニー」
黒沢年男「時には娼婦のように」
細川たかし「心のこり」、「北酒場」
北島三郎「まつり」
TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」
小樽ゆかりの石原裕次郎にも詞を多く提供してます。
※参考:なかにし礼 - Wikipediaほか。
【関連記事】
・にしん御殿 小樽貴賓館/旧青山別邸
※関連ブログの関連記事
歌手のペギー葉山さんが死去〜「ドレミの歌」などで知られるペギー葉山さんは小樽とゆかりがありました | ローカルブロガーのメモ帳
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