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2020年7月 5日 (日)

後志の地域雑誌「BYWAY後志」の23号で小川原格さんの追悼特集

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ようやくこの雑誌を買いました。

後志の地域雑誌「BYWAY後志(バイウェイしりべし)」の23号です(発行BYWAY後志発行委員会)。

2019年12月に71歳で亡くなった、小川原格(おがわら ただし)さんの追悼特集「ありがとう小川原格さん」が掲載されているんですよね。

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小樽の老舗の蕎麦屋「藪半」の店主として知られる小川原格さんですが、小樽運河の保存運動の中心的な役割を担い、その後も運河を中心としたまちづくりに取り組み、小樽の、さらには後志の観光振興に尽力し続けた方として、小樽・後志地域では、あまりにも有名な方です。

小川原格さんは、この雑誌、BYWAY後志の発行委員会の委員長でもあったんですね。

そして、今号の追悼特集ですが、31ページにわたり、人物「小川原格」を語る内容で、長女で藪半若女将による「いつもの会話」、同誌の現在の発行委員長で北海道職業能力開発大学校特別顧問の駒木定正さんによる「追憶 小樽蕎麦屋・藪半建築物語」などなど、関係者9人による記事が掲載されています。

さらには、過去の記事から、小川原格さんが「小樽運河を守る会」の元会長・峯山冨美さんについて語った記事も再掲されています(対談の聞き手はバックパッカーズホステル杜の樹の原田正樹さん)。

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いや〜、これは一気に読んでしまいました。本当にすごい人ですね。私は、残念ながら面識はなくて、お話をさせていただいたこともなかったのですが、う〜ん、一度じっくりお話を聞いてみたかったです。

「BYWAY後志」は、後志管内と札幌の主な書店、道の駅で販売しています。私は小樽駅前の紀伊國屋書店で買いました。

紀伊國屋書店ではまだ数冊あったのですが、お店の方によると、小川原格さんの特集ということで、とても人気があるそうですので、気になる方は早く手にしたほうがいいかもしれませんね。

※参照:2020年6月11日付北海道新聞朝刊小樽・後志欄

【関連記事】
【訃報】小樽運河保存、その後の小樽の観光振興に尽力した小川原格さん死去のニュース
運河保存運動の象徴・峯山冨美さん〜訃報

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コメント

ああ!小梅さん、この藪半には少し前に初めて入りましたね。去年の春かな?
ちょっと格式高くて入りにくくて、観光客も並んでて待ちましたよ。中は一段高い所もあり、座敷で宴会みたいに集まってましたよ。そこのご主人が有名で、亡くなったのも何かで知りました。小川原格さんですね。
そこで、『小樽運河戦争始末』(小笠原克:著1986年発行)という古本を持ってたので探して少し読みました。小川原さんのことも守る会の元会長さんのことも書いてあります。運河保存運動のことは、当時新聞でチラッと読んだ程度ですが、この際詳しく振り返るのもいいかなと思いますね。

投稿: John 1940 | 2020年7月 5日 (日) 05時17分

 小梅太郎様
小川原 格氏の薮半は、2階のお部屋で良く集まりました。
同期の友達の集まりや法事でも利用させていただいて、
良くお会いしました。まだお若い年齢でしたが残念でした。
運河を守る会で、フェステバルを開いたことがあった時、
次女が高校の友達と参加していました。
保存運動に関わる人も知り合いにいて度々話を聞いていました。懐かしですね。
峯山富美氏と札樽バスで隣り合わせになりお話もお聞きしましたよ。高校の創立100周年の折、記念講演なさってお元気だったのですが、小樽後志でご活躍の方々がお亡くなりになり寂しいですね。

投稿: hiro | 2020年7月 5日 (日) 12時47分

小梅様。去年の12月17日付けのブログで、小川原氏の訃報を取り上げてらっしゃいましたですよね。小川原氏のご家族と姉夫婦が親しく、私も帰省の折りには藪半に顔を出して小川原氏御夫婦に言葉をかけて頂きました。小川原氏の娘さんと姪とが小学校~高校と同級のクラスメートだったからなんです。小川原氏も、私の父の所に色々と相談に訪れておりました。峯山冨美女史は私の母の女学校時代の先輩で、私が高校~大学時代に、よく実家にも来て下さり、運河問題の事をあれこれ母や私に相談されていらっしゃいました。プロテスタント教派の敬虔なクリスチャンで、亡くなった時には、偶々帰省していた事もあり、母と一緒に前夜祭に行きました。御二人とも、私の親族と様々な接点がおありだった方で、こうして振り返りますと、人間、生きている内にご縁の出来た方とは、なるべく助け合い良好な関係を保持する事の大切さを、改めて教えられました。藪半にも、久しく足を運ぶ機会や時間も作れず今に至っています。

投稿: 多摩HT | 2020年7月 5日 (日) 15時57分

なんか、多摩HT さん一家の人脈って凄いですねぇ~。いろんな小樽著名人と繋がりがあり驚きます。ひょっとしたら名士でしょうか?
皆さんの、同窓会みたいなコメントを読んでると羨ましいですよ。私も小樽に生まれたかった、いや少しでも住んでみたかったとつくづく思います。小川原さんが亡くなったのはこのブログで知ったと思います。
2011年に行った時は、佐々木銃砲店はありましたね。夏はカエルを売ってたのはちょっと笑いましたよ。工藤書店は、伊藤整が通ってたとか?閉店前まで知ってます。隣のダルマ湯でしたか?銭湯の建物がユニークでいつも見てましたね。

投稿: John 1940 | 2020年7月 5日 (日) 17時57分

John 1940様。いやいや、そんな大したことはありません。偶々、色んな経緯から小川原は峯山両氏との繋がりが出来たに過ぎません。だるま湯を御存知だったとは流石「小樽通」でいらっしゃいますね。だるま湯には、残念ながら入った事はありませんが、確かにあの建物は趣があります。小樽に生まれて住んでみたかった、との御言葉、これもまた偶々小樽に生を受けた者として、本当に嬉しく有り難い御言葉です。よいよい様、EKO 様、そして小梅様もお喜びになられると存じます。

投稿: 多摩HT | 2020年7月 5日 (日) 19時39分

実は、かもめやの近くのシロクマ食堂のマスターとは、開店以来の付き合いでお酒も飲めないのに毎回行きます。
シロクマ食堂は、去年の全国ネットのテレビ取材で有名になりお客か詰めかけたそうですけれども、コロナ禍で暇だと電話したら言ってましたね。そのマスターに、いつも「小樽に住んだら?」と言われます。空き家はあちこちあるけど、寒さがねぇ~。

投稿: John 1940 | 2020年7月 5日 (日) 20時01分

John 1940様。小樽は確かに大阪や兵庫と異なり、真冬には氷点下になります。しかし一方で、冬の北海道は曇天が多く、地表熱や家屋から漏れた熱などが逃げていかない、つまり放射冷却現象が余り無いので、天気予報に出る気温よりも体感的には厳しくありません。しかも関東と違い、空っ風もあまり吹かないので、ある意味凌ぎやすい面があります。また室内之気密性も高く、暖房器具もしっかりしています。更に冬の季節に羽織るコートやジャンパーも、中綿仕様の厚手の生地素材もあり、本州よりも防寒具は充実しています。私も未だに東京や京都の骨の髄まで染み込む寒さの方が辛いですね。一度、冬場に一週間ほど滞在されては如何ですか。

投稿: 多摩HT | 2020年7月 5日 (日) 20時11分

小梅様。同じコメントが2回、送信されてしまいました。どちらかの削除をお願い申し上げます。申し訳ございません。

投稿: 多摩HT | 2020年7月 5日 (日) 20時13分

はい、真冬に2週間ほど小樽・釧路・美瑛と何度も長旅しましたよ。美瑛ではマイナス25℃も体験しました。小樽で、5日間マイナスの世界に居て泣きそうになりましたね。
でも、北海道人が本州の冬の部屋の寒さに参るというのも分かります。本州の室温は23℃くらいですからね。最初は、北海道の室温の高さに驚きましたよ。

投稿: John 1940 | 2020年7月 5日 (日) 22時00分

真冬の納沙布岬灯台から、北方領土を見たこともありますし、屈斜路湖の水が凍ってシャリシャリ音を立ててるのも、美瑛の宿からダイヤモンドダストも見ましたね。その時の美瑛はマイナス20℃でしたよ。
でも、一番驚いたのは外がマイナス10℃なのに列車の中がプラス26℃でくらくらしそうでした。あれは参ったな!よほど運転士に文句言おうか?と思いましたよ。
富良野線です。

投稿: John 1940 | 2020年7月 6日 (月) 02時08分

John 1940さん、こんばんは。
藪半に行かれましたか。
確かに、私もちょっと敷居が高く感じで、なかなか行く機会がなく、久しく行ってないんです。
小川原格さん、本当に近年の小樽を語る時に、絶対に欠かせない方ですね。
私も今回、この雑誌を読んで、改めて当時のことをもっと詳しく振り返ってみたいと思いました。


hiroさん、こんばんは。お元気ですか!!
やはりhiroさんは、藪半によく行かれてましたか!!
そうですね、小川原格さんは、まだまだこれからという年齢でしたものね。
ポートフェスティバル、娘さんも参加されていたのですね。
運河の保存運動に関わる人に知り合いがいらしたのですね。なんと、峯山冨美さんともお話を!!
本当に、小樽後志で活躍された方々の訃報は寂しいですね。


多摩HTさん、こんばんは。
はい。小川原格さんの訃報は、やはり取り上げさせてもらいました。
なんと、小川原さんのご家族とも繋がりがあるんですか!?すごい!!
さらに、峯山冨美さんとも繋がっているのですね。これまたすごい!!
小川原格さん、峯山冨美さんともに、近年の小樽の観光の街としての発展を語る上で、抜きには語れないお二人ですね。


John 1940さん、こんばんは。
“小樽に生まれたかった、いや少しでも住んでみたかった”と言ってくださるのが、本当になんとうれしいことでしょうか。
そういう思いに対して裏切らない小樽でありたいですね。
北海道全体の寒さは、道東へも行くJohn 1940さんは体験済みで詳しいですね。真冬の納沙布岬、寒そう…
外は極寒で中は暑い、北海道ならではですね。

投稿: 小梅太郎 | 2020年7月 6日 (月) 03時40分

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