緑第二大通りのバス停「第二大通」近くから上る勾配13%のまっすぐな坂道と、その上から緑町の市営住宅の前を曲がりながら上っていく坂道の様子
最上線のバス通りでもある緑第二大通りのバス停「第二大通」の近くで、最上町に入る手前でカーブしているところから、山側にまっすぐに上っていく坂道があります。
※写真は2019年12月19日撮影です。
ちにみに、下の写真が第二大通りで、見えているバス停が「第二大通」の停留所。写真手前から左にその坂が上っています。
で、この坂道には名前はついてはいないと思うのですが、坂の上り口のところには勾配13%の道路標識が立っています。
見上げると、なかなかまっすぐ続いていて、見ていて気持ちのいい坂道です。
(手前から坂を見たところ。この写真は11月2日撮影。雪はありません)
この坂道のまっすぐな部分は、住所としては緑2丁目になります。
坂からはよく見えないのですが、この坂の上りに向かって左側には於古発(おこばち)川が流れていて、その於古発川が最上町と緑町の境になってます(ちなみに、この坂の下近くで於古発川に架かる緑第二大通りの橋が安楽橋)。
実は、この日は坂の上から下ってきたのですが、坂の上の方にも勾配13%の標識が立っていました。
さて、まっすぐな坂を上っていくと、上の方で大小いくつかの道に分かれています。
上ってきて右側には、比較的大きな道があります。
その先には大きな建物が建っているのですが、これは市営住宅(緑A住宅)ですね。
その道に入っていくと、市営住宅の前を通りつつ、大きく左に曲がっていきます。
その先も坂は続きます。
ちなみに、ここの市営住宅は、昭和63年から平成元年に建設された、4棟からなる団地です(※参照:小樽市 :緑A住宅)。
このあたりは天狗山が近くに見えて、いい眺めですね(この日はちょっと曇っていて残念)。
坂は結局、4度ほど大きく曲がりながら上ってきます。
上っていったさらに先にある、真っ白な外観が特徴的な大きな建物は、グリーンヒルガーデンという賃貸マンションのようですね。
そして、平坦な通りに出ます。
ということで、今回はここまでで、緑第二大通りバス停「第二大通」近くから上る勾配13%のまっすぐな坂道を上り、さらに市営住宅(緑A住宅)の前を曲がりながら上っていく坂道の様子でした、
そうそう、今回の坂を上っで出た平坦な通り沿いに、2019年9月にオープンした「パン ヨルトノ」という美味しいパン屋さんがあるのですが、その話はまたこんど。
※今回歩いた坂道はこちら。終盤は結構曲がりくねってます。
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コメント
懐かしい坂道です。40年前、学生の頃、市営住宅付近の坂道にあったアパートを借り、坂道を上がり商大に通ったものです。たまにアオダイショウにも遭いました。
写真では雪が少ない様に見えますね。
投稿: 通りすがりの者 | 2019年12月31日 (火) 10時09分
通りすがりの者さん、こんばんは。
この付近に住まわれていて、坂を上って商大に通っていたのですね!!
アオダイショウにも遭いましたか(^^;;
懐かしんでもらえてよかったです。
今シーズンは、まだ雪がとても少ないんです。ここまま年を越しそうですが、どかっと降らなければいいのですが…
投稿: 小梅太郎 | 2019年12月31日 (火) 18時26分
戦前、父が小樽の会社に勤めていたために、戦中を小樽市緑町で過ごし、現在札幌発寒に住んでいるものです。
昭和5年、小樽緑町で生まれ、緑尋常小学校入学、戦時中小樽第二工業学校→転校→小樽工業高校を卒業、途中昭和20年
に家が札幌市に移転したために、昭和25年まで札幌から南小樽間を小樽工業高校に汽車通学しました。その後室蘭工業大学に進学、小樽には昭和5年(1930年)から昭和20年(1945年)の15年間、緑町に居住していました。
偶然、緑町第一大通りのグロブを見て当時のことが大変懐かしく思い出されました。生まれたのは正法寺の近く当時緑町2丁目36番地。その後、移転して4丁目8番地(多分紅梅通り)第二大通りに向けての突き当たりが木村円吉邸の石垣でした。その後、緑町には殆ど訪れていません。今はどんなになっているのか?。当時の記憶も薄れがちです。現在90歳です。当時のことを知っている人はいないでしょうか。
投稿: 三上 正樹 | 2021年2月15日 (月) 22時59分
三上正樹さん、こんばんは。
ブログへのコメント、本当にありがとうございます。
緑町に昭和5年〜昭和20年の間、住まわれていたのですね。
当ブログの記事にて懐かしんでもらえたということで、とても嬉しいです。
お生まれは正法寺の近くなのですね。
紅梅通りは、第一大通りの洗心橋の先から第二大通りへと通じる道ですね。
なるほど、第二大通り側のそのあたりには木村円吉邸がありましたね。
当時と現在と、どう変わったでしょうかね。
なかなか当時を知る方も少ないかもしれませんね。
投稿: 小梅太郎 | 2021年2月16日 (火) 03時09分