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2019年12月10日 (火)

梅ヶ枝町のバス通り沿いの梅広会館と宮尾直治翁像

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先日、梅ヶ枝町方面に行く機会があって、梅ヶ枝町のバス通り(梅ヶ枝通りや祝津山手線と呼ばれてますね。市道名は「手宮川通線」)を歩いてきました。

この日はバスには乗らなかったのですが、この通り沿いにはバス停「梅広会館」があります。

(以下、写真は2019年10月5日撮影で雪はまだありません)
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で、こちらがそのバス停名になっている、梅広会館です。

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しっかりとした外観の、結構大きな会館ですね(梅ヶ枝町の「梅」と末広町の「広」ということでいいんですよね!?)。

で、梅広会館の入り口横には、胸像が建っているんですよね。

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そこには、「宮尾直治翁像」と書かれています。横には小樽市長安達与五郎の名前も。

すいません、勉強不足で宮尾直治氏のことは全く知らなかったので、この石碑に記された碑文の内容を後日しっかり読んでみました(以降、碑文を参照してます)。

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宮尾直治氏は、昭和12年7月に小樽警察署長の職を辞した後、梅ヶ枝郵便局長を努めながら民生福祉の向上に没頭し、以来30年間、ひたすら社会への奉仕に徹して活躍されたそうです。

保護司会、民生児童委員協議会、保健委員連絡協議会、社会福祉協議会、国民健康保健運営委員会、防犯協力会、郵政協力会、共同募金会、連合町会などなど、様々な公職につかれて、一つとして空名にしたのはないとのこと。

昭和40年10月24日、82年の生涯を閉じられ、市長はもとより、翁を知る多くの市民がこれを惜しみ、やがて敬慕の情が募って形になったのがこの像ということで、最初の祥月命日(昭和41年10月24日)にこの碑を除幕してます。

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ということで、梅ヶ枝町の梅広会館と、そこに建つ宮尾直治翁像についてでしたが、なるほど、こういう方もいらっしゃったのですね。勉強になりました(このような銅像は市で紹介してないのかな!?)。

※参考:安達市政と今は亡き忘れ得ぬ人々 (六) « そば会席 小笠原

 

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