信香町と勝納町の間の勝納川に架かる橋の名前がなんで真栄橋!?〜かつてはここまで真栄町が伸びていた!?
天神・奥沢方面から小樽市街地を流れる勝納川には、たくさんの橋が架かっています。
そんな勝納川に架かる橋の中で、川の下流方面でJRの橋梁のすぐ海側に架かる、真栄橋という橋があります。
※勝納川沿い各所に設置されている「勝納川散策路案内図」。JR線のすぐ海側に真栄橋がある。
(クリックすると拡大します)
勝納川は町の境になっていることが多いのですが、ここは勝納川を挟んで信香町と勝納町が接していて、真栄橋はその両町を繋ぐ橋になっています。
ん?信香町と勝納町を繋ぐ橋の名前が「真栄橋」???
そうなんです。以前、この橋の名前を見てから、なんでここに架かっている橋の名前が真栄橋なんだろう?って思っていたんですよね。真栄町といえば、ここから離れたもうちょっと山側にありますからね。
ちなみに地図を見てみると、真栄橋の位置はここです。
対して、真栄町というのは1丁目と2丁目があるのですが、位置は勝納川の国道5号線から上流側にあって、勝納川を境にしてかなり広い範囲に位置してます。
真栄町と真栄橋はかなり離れてるんですよね。
で、少し前のことなんですが、気になって古い地図で確認してみたんです。
すると、市立小樽図書館デジタルライブラリー内に、昭和34年(1959年)から昭和37年(1962年)の間に作成されたという小樽市内図があって、その地図で真栄町を見てみると…
小樽市全域-古地図No102より(市立小樽図書館所蔵)
※当地図は市立小樽図書館の許可を得て掲載しています。コピー・転載等不可です。
お〜、なんと線路の下流側に架かる橋、つまり現在の真栄橋のところまで、真栄町が伸びてきているではないですが。
ということは、地図の作成された昭和34年〜昭和37年頃までは、橋のあたりまで真栄町だったということなんですね。
さらに、小樽の町名の変遷を調べてみると、真栄町はその後の昭和42年に一部が勝納町や潮見台に(その前年には一部が新富町に)移っているんですね。
どの範囲が移ったのかまでは分からなかったのですが、おそらく、この時に、この橋の場所が真栄町でなくなったと考えてよさそうですね。
※市立小樽図書館デジタルライブラリーにて、昭和22年作成の小樽市地図を確認したところ、同じように真栄橋がすでに表記されていて、真栄町もそこまで伸びてました。
とはいえ、この橋がいつ架けられたもので、橋の名前の由来が本当に町名だったのか、また別の由来なのか、実際のところは分からないんですけどね。
ただ、今回は、かつては真栄橋のとこまで真栄町が伸びてきていた、ということが分かったので、橋の名前と関連づけてブログに書き留めておきました。
普段から何気に目にしている、街の中に残る様々な名称というのも、その背景を調べると、なかなか興味深いこと分かるかもしれませんね。
※参考:「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋悦郎 著 1979.8(市立小樽図書館所蔵)
【関連記事】
・勝納川に架かる真栄橋と真栄橋歩道橋。場所はJRの橋梁のすぐ海側
・小樽の勝納川散歩〜勝納川に架かる橋を巡る【まとめ記事】
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コメント
1960年代の地図、なつかしく拝見しました。。
ちょうど小学生のころです。山上町、永井町、同級生がいました。母校の量徳小、住吉中学校もなくなり、町もずいぶんかわってしまいました。先日のお話では,南樽駅の跨線橋もなくなるとか、ちょっとさびしいですね。
投稿: よいよい | 2019年9月26日 (木) 13時48分
よいよいさん、こんばんは。
南樽周辺は、だいぶなくなっている町名があるようですが、山ノ上町、永井町に同級生がいらっしゃったんですね。
そうでしたか、量徳小、住吉中学校が母校だったのですね。
そうなんです。そんな中でも変わらずあった、南樽駅の跨線橋がなくなってしまうようなんです。本当に寂しいですね。
投稿: 小梅太郎 | 2019年9月28日 (土) 00時32分