小樽市民会館の敷地内に銅像が建つ藤山要吉と公会堂
海運業で財を成した、小樽を代表する豪商のひとりに“藤山要吉”という人物がいます。
現在、小樽市民会館の正面左手の奥まったところに、その藤山要吉の銅像が建っているんですよね。
あまり目立たないところに銅像が建っているのですが、もちろん、小樽の発展に貢献した人物です。
藤山要吉と公会堂
藤山要吉は所有していた船を戦争に提供(供出)することによって、膨大な補償金を手に入れ「船成金」とも言われたそうで、海運業の他にも漁業、農業など様々な産業を手がけて、その財力は本当に凄かったようです。
藤山要吉にまつわるエピソードとしてよく知られているのが、小樽市民会館の道路を挟んだ向かいに建つ、趣ある和風建築の小樽公会堂(旧小樽区公会堂)に関する話です。
この公会堂の建物は、そもそもは明治44年に皇太子(後の大正天皇)の本道行啓に際してのご宿泊所として建てられたものなのですが、その費用を全額寄付したのが、この藤山要吉という方なんですね。すごいですね。
ちなみに、建築にあたったのは、大虎の棟梁・加藤忠五郎という方です(この方、よくこの建物の大工として名前が出てくるので、有名な方なんですね)。
その後、公会堂として使われるのですが、もともとこの建物が建てられたのは、現在の市民会館の場所なんですよね。で、市民会館建設のために、昭和35年に現在地に移築されたそうです。
(小樽市民会館)
(左手の奥まったところに銅像が建ってます)
市民会館に建つ藤山要吉の銅像の側面を見ると、当時の安達与五郎市長による碑文が書かれているのですが、その日付は昭和33年6月となっているので、銅像は公会堂が移設される前からあったのですね。
ということは、公会堂の建物は移動したけど、銅像は元の場所に残ったということでしょうかね。
おわりに
ということで、今回は小樽市民会館の敷地内に銅像の建つ藤山要吉について、ちょっと調べてみました。
あれは誰だろうと、普段は何気なく見ている銅像も、その人物と小樽との関わりを知ると、とても興味深いですね。
※参考
・小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
・小樽市 :旧小樽区公会堂・旧岡崎家能舞台
・第8章 海運業 藤山要吉と板谷宮吉
【関連記事】
・小樽市公会堂(旧小樽区公会堂)と紅葉
・小樽市民会館は今年で開館50周年
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