小樽公園のすぐ下の角に建っている石碑「渡邊翁碑」は小樽区長も務めた渡辺兵四郎のものでした【追記】
※「渡邊翁碑」は小樽市役所正門横に移動してます(2018.5.26追記)
小樽市内を散歩していると、何気にあちこちに石碑が建っているのを目にするのですが、まだまだ勉強不足で、いったい誰のなんの碑なのか分からないというのが、結構あるんですよね。
この石碑も、今回調べるまで知らなかったのですが、それは、小樽公園から花園公園通りを下りるところのすぐ角に建っている、こちらの石碑です。
※以下は写真が4月の撮影なので、ご了承ください。
ソフトクリームが大人気の「小樽ミルク・プラント」のすぐ上になります。
ちょっとした空き地になっている場所に建つこの石碑は、よく目にはしていたのですが、それこそ誰のなんの石碑なのか知らなかったのですが、近づいて見てみると「渡邊翁碑」と書かれています。
調べてみると、これは、小樽で明治の中頃から昭和初期にかけて活躍した実業家で、政治家でもあった、渡辺兵四郎(わたなべ ひょうしろう)の石碑で、この角地にはその渡辺兵四郎の邸宅があったそうです。
もちろん、小樽の発展に寄与した方ということで、さらに調べてみると、生まれは秋田県能代で、その後小樽に渡り、当時の小樽の豪商で名家でもあった山田家に仕えます。
その後独立して、漁業のほか荒物商を営み、ニシン漁網の改良を手がけたりして漁業組合頭取、水産組合長なども務め、業界の舵取りを担ったそうです。
そして、商売から政界に転じ、区会議員、道会議員、衆議院議員などを歴任していて、明治45年には5代目小樽区長(市制施行前の区だった頃ですね)も務めています。さらには小樽商業会議所会頭も務めているんですね。
(この写真は5月19日撮影)
ということで、小樽公園下に建つ石碑は、小樽の発展に大きく貢献した渡辺兵四郎のものでしたが、こうやって何気なく目にしている石碑が誰のものなのかを知るのは、なんだか興味深くて面白いですね。
※参考
・小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)
・「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
・渡辺兵四郎 - Wikipedia
・小樽公園の入口あたり(その2) 2つの石碑のこと : ときどきの記 小樽の出版社“ウィルダネス”のブログ
・渡辺翁彰徳碑 « そば会席 小笠原
【補足】
小樽散歩案内(発行:有限会社ウィルダネス)に記載されていたのですが、近くの小樽公園の見晴台の駐車場奥に、かなり大きな石碑が建っています。
この石碑も渡辺兵四郎に関わりがあって、明治天皇が明治14年に小樽に初上陸した際、小樽公園の展望台を訪れることも予定されていたのが荒天のため中止になったそうで、この碑は天皇の小樽訪問の歴史をとどめるためにと、50年後の昭和6年に建てられたものとのことですが、なんと建立の費用は渡辺兵四郎が私費で出したそうです。
《追記 2018.5.26》
時期はいつか分からないのですが、渡辺兵四郎の石碑「渡邊翁碑」は、小樽市役所の正門横に場所を移動してます。
→小樽区長も務めた渡辺兵四郎の石碑「渡邊翁碑」が小樽市役所正門横に移動してる!?
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