この冬初めて妙見小僧に会ってきたけど、やっぱり寒そうでした
妙見川沿いに佇む妙見小僧に、この冬初めて会いに行ってきました。
う〜ん、この時期はやっぱり寒そうですね。
夏は草に覆われてしまうんですが、この時期はツララに囲まれるんですよね。
ツララは漢字で書くと氷柱ですが、文字どおり氷の柱ができてますね。
時期によっては、妙見小僧がすっぽりと氷に覆われることもあるんですよね。
さて、なんの説明もなくここまで紹介してる、この妙見小僧ですが、当ブログでは時折登場する常連さんで、近くまで行くとその様子を伺わずにはいられないんですよね。
カテゴリー「妙見小僧」まで作ってます(笑)
場所ですが、妙見川が国道5号線の下へと流れ込むところに、その国道を渡るための稲穂横断歩道橋が架かっているのですが、その歩道橋の柱の根元部分に佇んでいます。
国道5号線沿いの歩道橋の下の歩道から見ることができるのですが、かなり小さいので気づかない人の方が多いんですよね。
実は、道路沿いにはちゃんと看板も架かっています。
※妙見川は於古発川(おこばちがわ)のこの辺りから下流の呼び方で、このすぐ上流にはカマボコ型が特徴の妙見市場が川の上に建ってます。
この妙見小僧については、ディープな小樽のガイドブック「小樽散歩案内」(発行:有限会社ウィルダネス)でも触れられていて、それによると、この妙見小僧は、小樽出身の郵政大臣を務めた国会議員、故・箕輪登氏が、政界引退後の1993年に地元商店街の発展のためにと寄贈したものだそうです。
ということで、この冬初めて見に行った、妙見小僧の様子でしたが、掲げている旗の色もだいぶ褪せてきましたね(以前は、背中にうちわも背負ってたんですよね)。
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コメント
何年前でしょうか……(?_?; 一度父に連れて行かれた事がありました…(^^;) やはり真冬の寒い時期でした。 祖母と父を亡くし一人寂しいお正月を迎える祖父を思い5日間父の故郷小樽で過ごしました。 非力で雪かき?まともな戦力にはなりませんでしたが…(T_T) 妙見小僧さんを眺めてた亡き父の姿を思い出しましたよ(^_^) 私の父の名前は「T75」です(^_^) 夏また小樽へ行きます(^.^)
投稿: Yumin | 2017年1月28日 (土) 16時46分
Yuminさん、こんばんは。
うわ〜っ!T75さんの娘さんから、またコメントをいただけるなんて、とても嬉しいです。
今回、お祖父様を思い、小樽に来られていたのですね。
雪かきはこちらに住んでいるものでもなかなか大変ですが、手伝ってもらえただけでも、お祖父様は喜ばれたのではないでしょうか。
T75さんと、この妙見小僧を見に来られたことがあったのですね。
特別なものではないのですが、こういうちょっとした小樽がT75さんも好きでしたね。
もう一年半経つんですね。このブログは、これからもお父様が愛した小樽の様子を発信し続けていきます。
是非、またこのブログに遊びに来て下さい。次は夏の小樽ですね。
投稿: 小梅太郎 | 2017年1月28日 (土) 23時45分
Yuminさんからのコメントを見てこみ上げてくるものを感じました。
T75さん。。。懐かしいです。
T75さんからのコメントには小樽愛をとても感じていました。
そうそう、ちょっとした小樽を教えて頂きましたし楽しませて頂きました。
時々コメント欄で話が盛り上がったこともありましたよね(*^-^)
小梅太郎さん、何だか温かい繋がりを感じられて嬉しくなってしまいました。
投稿: EKO | 2017年1月29日 (日) 01時06分
感謝を込めて。 小梅太郎様 EKO様 父に対する心ある温かい温かいお言葉にただただ感謝するばかりです。 母にも帰宅したら見せます。 きっと泣きます。 私は現在都内某大学の2年です。 小樽帰省は亡き父に対しての贖罪です。 約4年前 父は「病気完治の見込みなし」と宣告された段階で小樽への移住 再出発を断念しました。 でもその裏で 祖父母と両親との間で重大な決定をしてた事を知らずに私は 「よかった! 都内大学進学しても家族で暮らせる-!」 と,単純に喜んでしまいました。 その決定とは 「将来祖父母共に逝った時に実家は解体更地にする」と言う事でした。 自身の命も悟り 故郷小樽実家を失う辛さ共戦っていた父に対する罪滅ぼしの帰省です。 あと2年は自由時間の多くを小樽帰省に使いたく思ってます。 母の理解あればこそ叶う帰省。 また長々大変申し訳ありません。 お二人には本当に本当に感謝いたします! 以前の記事から EKO様のおっしゃる 盛り上がりはどこなのか, じっくり探してみます(^.^) お二人ともお身体を大切に寒い冬乗りきって下さい! 残る1枚の写真 妙見小僧さん前での私。 ひどい仏頂面…… 父は小樽に帰るといつも 少年のようでした。
投稿: Yumin | 2017年1月29日 (日) 19時22分
EKOさん、こんにちは。
本当に、T75さんからのコメントからは、いつも小樽愛があふれてましたね。
私も色々とちょっとした小樽を教えてもらい、楽しくコメントのやり取りをしたものです。
そうそう、コメント欄で会話が続き、盛り上がることもありましたね。
こうやって、娘さんからもコメントをいただけるなんて、本当に嬉しいです。
Yuminさん、こんにちは。
T75さんは、病気を抱え、さらにそんな事情があったのですね。
もちろん私は何も知らず、ブログのコメント欄で小樽のことでT75さんと盛り上がったりしていました。
顔も知らない人たちが、ただただ小樽が好きという接点で繋がっている。そういう場が良かったのでしょうかね。
私も小樽を離れて、長い間東京にいたのですが、幸い、実家のある小樽に戻ることができました。
T75さんの気持ちを考えると、胸が締め付けられる思いです。
もちろん、Yuminさんの辛いお気持ちは、察するに余りあります。そして、お母様も。
あと2年、時間が取れる間、お父様の愛した小樽にいっぱい帰ってきてください。
Yuminさんもお身体に気をつけて、お過ごしください。
そうそう、コメント欄の盛り上がりですが、例えば次の記事で、EKOさんや他の方々とのやりとりが載ってます。他にもまだまだたくさんあるので、大変かと思いますが、探してみてください!
・冬のちょっとした風景〜橋の上から見た小樽の冬の線路
・住吉町から赤坂を臨港線へと下ってみると、その周囲は崖
投稿: 小梅太郎 | 2017年1月30日 (月) 11時31分
小梅太郎さんと同じように胸を締め付けられる思いで何度も何度も読み返してしまいました。私も小樽を離れて数十年。帰れないと踏ん切りをつけているつもりでも一年間だけでも季節の移り変わりを感じながら住むことが出来ないかと未だに考えを巡らせています。
実家は数年前に更地になり今は人様の家が建っています。
帰樽のたびにその前を行ったり来たり、、、近くにたたずんでは眺めています。まるで不審者です。
でも、家族と築き上げた今の生活も何にも代えがたいもの、沢山の思い出ももあります。家族も呆れながらも私の小樽愛を理解してくれています。それだけで充分感謝しています。 ついつい私事を綴ってしまいました。
小梅太郎さんのブログで益々小樽愛を深め楽しませていただきます。
投稿: EKO | 2017年1月30日 (月) 15時38分
EKOさん、こんばんは。
EKOさんも実家はそのようになっていたのですね。
そして、そのような思いで帰樽されているのですね。
そう考えると、きっと多くの方が小樽の思い出を胸に過ごされているのでしょうね。
小樽に戻ってこられた私は、幸運だったかもしれません。
EKOさん、これからもこのブログは、今の小樽の発信し続けますよ!!
小樽愛を胸に秘めてる、全国の皆さんに向けて!!(*^-^)
投稿: 小梅太郎 | 2017年1月31日 (火) 02時39分
小梅太郎さんを通じてのT75さんとのやり取り楽しかったです。
多分同世代の方と思います。
小学生の遊んでいた場所、高校生のバイト先とやたら共通点がありとても親近感がありました。
カキコミ何度も読み返しました。
もっとお話したかったです。
25日㈯小樽に行くんです。
妙見小僧見てきますね。
投稿: 桃 | 2017年2月21日 (火) 00時26分
桃さん、こんばんは。
桃さんも、T75さんとコメントでやり取りされてましたよね。
同世代の方と、昔の思い出を共有できるのって、何とも楽しいものですよね。
私もコメントを何度も読み返してしまいます。
小樽に来た際には、是非、“妙見小僧”を見に行ってください(*^-^)
投稿: 小梅太郎 | 2017年2月21日 (火) 02時09分