奥沢町の切り割りから続く坂道周辺は、星ヶ丘と日成ヶ丘という地名だったの!?
奥沢町と松ヶ枝町をつなぐ道道697号天神南小樽停車場線は、小高い山を越えるようになっていて、地元の方は単に切り割りとも呼ぶ道路ですが、その道路の奥沢側に下った途中から、海側に下っていく坂道があります。
その坂道への入口には、「星ヶ丘」と書かれた看板が掲げられてます。
(看板の位置から奥沢側に下る道道697号を見たところ)
以前、コメント等で教えてもらったのですが、この辺りを「星ヶ丘」と呼ぶ(呼んでいた)そうで、その看板によると、星ヶ丘という地名は、奥沢4丁目11・12・13・14番にあたるようです。
ただ、色々と調べても、星ヶ丘という地名について記載されているものを見つけられず、由来も分からず、今のところこの看板と皆さんのコメントだけが頼りです。
さて、今回はここからが本題とも言えるんですが、実は、更にブログに、星ヶ丘と道を挟んだ辺りを「日成ヶ丘」と呼んでいたというコメントをいただいたんです。
で、なんと電柱に「日成ヶ丘」と書いているということも教えてもらい、見に行ってみると…
お〜!!書いてますね、日成ヶ丘って。
さらに、実はそれ以前にもTwitterで、“星ヶ丘から奥沢小学校に抜ける道路というか地名は「にっせいがおか」の方が通じますね。…”というリプライをもらったことがあったんです。
(これがその星ヶ丘の看板から続く坂道)
ということは、星ヶ丘の看板から海側に下っていく坂道から、左の高台に向かってが、日成ヶ丘ということかな!?
(坂道の途中から左に入り、見上げたところ)
そして、読み方は“にっせいがおか”ということですね。
※間違っていたら、ご指摘ください。
一帯を歩いた訳ではないので、はっきりとは分かりませんが、先ほどの海側に下る坂道から、切り割り道路の頂上から入る、松ヶ枝町との境の道路付近まで、「日成ヶ丘」の表示が電柱にありました(地図には、ハイツ日成ヶ丘もありました)。
(松ヶ枝町との境の道路から見たところ)
実は、日成ヶ丘についても調べてみたのですが、星ヶ丘と同様に記載されているものを見つけることができず、地名についての詳細は全く分かりませんでした。
ただ、読者の方々のおかげで、知らない地名について知ることができ、ちょっと興味深くて、この辺りを歩いていて面白かったです。
それに、電柱ってこういう地名が残っていたりして面白いですね。他にもあるかな。
ちなみに、先ほどから出てくる、星ヶ丘の看板から海側に下っていく坂道は、真っすぐ続く坂の先に海を眺めることができる、個人的にもお気に入りの坂道なんです。
以前は「ミニジェットコースターの坂」と勝手に呼んでいて、その後、さらに勝手に「星ヶ丘の坂」と呼んでいたのですが、こうなると、「日成ヶ丘の坂」という呼び方もあり!?
【関連記事】
・奥沢町の真っすぐ続く眺めのよい坂道〜ここは「星ヶ丘」!?
・入船と奥沢の境の坂道を歩く〜松ヶ枝町から上って入船小学校裏の下り坂へ
・天神十字街から松ヶ枝町へ向かう坂道〜道道697号天神南小樽停車場線
・名もない坂〜奥沢編
(松ヶ枝町方面から向かう切り割り)
※記事中のコメントのあった記事。
勝納川に架かる栄橋の手前からは散策路が整備され始めます
※記事中のツイートのリプライ:https://twitter.com/yamyoppy/status/505374345904934912
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コメント
星ヶ丘の看板は私が小学生の時に掲げられました。
でも大人になってタクシーで「星ヶ丘迄」と言っても通じなくてちょっと悲しい記憶があります(笑)
投稿: 桃 | 2016年10月15日 (土) 00時18分
桃さん、こんばんは。
星ヶ丘の看板が掲げられた時期をご存知なんですね!
星ヶ丘という地名は、地元の方は、普通に呼んでいたようですね。
けど、タクシーでは通じないんだ(^-^;
地元の方はよく知っているのに、それ以外ではほとんど知られてない地名なんですね。
投稿: 小梅太郎 | 2016年10月16日 (日) 03時46分
私が小3か小4の頃の町内会長さん達が看板揚げたんじゃないかな?
この看板の何件か先に住んでるおじさんが町内会長さんでした。
投稿: 桃 | 2016年10月16日 (日) 23時22分
はじめまして、こんばんは。ちょくちょくお邪魔しては、実家のある小樽の新鮮かつ気になる情報を拝見しております。いつもありがとうございます。
今回は私の実家近所の地名に反応してしまい、コメントさせていただきます。
我が家ではタクシーで行き先を告げるとき「日成ヶ丘の…」と言います。昔は通り沿いの高橋農園そばに小さな商店があり、そこを目印にしてもらっていたものでした。
(30年ほど前の話ですが…ちなみに今でも「日成ヶ丘の元○○商店」といえば、タクシーの呼び出しには使えます。笑)
タクシーで日成ヶ丘へと頼むと、たいていは水道山(高橋農園横の急な登り坂の丘)手前にある丘で一度減速されます。運転手さんたち的には、あのあたりが日成ヶ丘で通っているのかも?
初コメントでつらつらと失礼しました。
投稿: 齋藤 | 2016年10月17日 (月) 22時48分
桃さん、こんばんは。
町内会長さんたち、星ヶ丘という地名を残したかったのかな。
おかげで、今の地名の名残りを見ることができるんですね。
齋藤さん、はじめまして。
ブログ見ていただき、ありがとうございます。
お〜!実家がこの辺りなんですね。
で、「日成ヶ丘の…」はタクシーの行き先で通じるんですね!
高橋農園のそばに、商店があったんですか。確かに、タクシーの乗り降りで、今はなくても昔あった目印って、今も通じることってありますよね。
高橋農園横の急坂を上ったところは、水道山と呼ばれてますね。
その手前辺りが、きっとタクシー運転手さんたち的な日成ヶ丘なんですね。
何だか、知らなかった日成ヶ丘という地名のことが、少し分かりました。ありがとうございました。
投稿: 小梅太郎 | 2016年10月18日 (火) 02時39分
こんばんは。またお邪魔いたします。父から、日成ヶ丘の由来にあたるかもしれない話をちらりと聞いたので、余計かもしれませんがお伝えします。
戦時中から奥沢に日成ゴムという会社があり、その社宅が現在の日成ヶ丘あたりにあったということでした。
ネットでは、小樽のゴム業界の歴史を調べたこんな記事を発見。ミツウマや第一ゴムにも取材されています。
http://d.hatena.ne.jp/shimamukwansei/touch/20100226/1267174934
なるほど…といった感じ。詳細まではわかりませんが、ひとまず余談としてお知らせしました。
身近ゆえ、当たり前と気にも留めないでいた地名から、奥沢の歴史を垣間見られてよかったです。きっかけをありがとうございます。
投稿: 齋藤 | 2016年11月10日 (木) 20時16分
齋藤さん、こんばんは。
なるほど!奥沢には、日成ゴムという会社があったのですね。全く知りませんでした。
そして、その社宅があのあたりにあったのですか!
添付のネット記事も興味深いですね(改めて、じっくり読ませていただきます!)。
こういう話って、調べれば調べるほど、興味深くて面白いです。
街を歩くと、そんな歴史があちこちに隠れていたりするんですよね。
それに何より、やっぱり、身近なお父様からの話というのが、一番貴重なんですよね。
こちらこそ、情報をありがとうございます!
投稿: 小梅太郎 | 2016年11月11日 (金) 02時41分
はじめまして!偶然にHPへお邪魔して大変驚きましたので一言書かせていただきます。その奥沢の日成が丘という日成ゴムは祖父が経営していました。40年前に亡くなっていますが
家族の話から「日成」という名前や「日成が丘」というものがあったということは聞いていましたので本当に驚いた次第です。まだ名前が残っているなんて信じられません。今年亡くなった母からは日成が丘には畑があり小さな兄たちと父とでよく行ったものだということも聞いていました。
一度訪れてみます。わたくしもリターン組で札幌在住ですが小樽へはしょっちゅう出かけます。
色々な情報を頂けてうれしいです。
ありがとうございました。
投稿: 花園 | 2017年9月17日 (日) 21時38分
花園さん、こんばんは。
なんとなんと!!
上記コメントでの日成ゴムの経営者が祖父様ですか!
直接の関係者からコメントをいただけるとは、ありがとうございます。
ここの日成が丘という名称は、主にここ周辺に住んでいる(または住んでいた)方によって伝わっている地名のようで、地図などには掲載されていないようです。
ただ、記事中にも書きましたが、電柱に「日成ヶ丘」の表記が残っていることで、確認することができました。
今度、機会があったら、訪れてみてください。
投稿: 小梅太郎 | 2017年9月18日 (月) 01時31分
早速のお返事ありがとうございました。
小樽の昔と今を知るうえで最高の手引書のようなブログに出会えてとてもうれしいです。
また、いろいろな場所のことを交換できますように!
またお邪魔します!
投稿: 花園 | 2017年9月18日 (月) 10時32分
花園さん、こんばんは。
そう言っていただけると、とても嬉しいです。
私個人の興味のあること中心ですが、小樽の話題のみをほぼ毎日投稿してますので、また覗きにきてください!
投稿: 小梅太郎 | 2017年9月19日 (火) 00時40分
こんばんは。
お邪魔します!
実は今日小樽へ出かけました。
高校時代の仲良し3人組で今日はOTARU DAYでした。そしてまずあの「日成が丘」を探しました。
少し迷った際にご年配の方に「日成が丘ってどこですかあ」と伺うとみなさんすぐに「一本下の道路だよ」「次を曲がってすぐ」などと教えてくださり「日成が丘」という名前を地域の方はご存じなのだと思うとますます嬉しくなりまた驚きました。しかも一緒に行った友人の家も御ブログにでていてそこも確認できました、広陽中学の裏門のすぐ横に転勤族の彼女は3年間住んでいて日成が丘のすぐ近くでもあったわけです。
高校時代にお宅へ遊びに行った際に下のほうの一角にあった「畑」がそのままの姿で残っていたことにも驚きました。
あれはどこの畑なのでしょう・・・特に手を入れている畑ではないのです。
その友人はカメラ学んでいる人なので写してくれた写真もお送りしたいくらいです。
38年ぶりに戻ってきた小樽からはまだまだ新鮮な驚きが発見できそうです。長い間忘れていた感動というものを十分もらえそうです。
梅太郎さんのブログに出会えたこともその一つであり始まりかもしれません。もっともっと私の中に「小樽」を取り戻し再発見したいと思います。ご報告でしたヽ(´▽`)/
投稿: 花園 | 2017年9月23日 (土) 22時19分
花園さん、こんばんは。
小樽にこられたのですね!
そして、「日成が丘」も確認できたのですね。
地元のご年配の方々は、「日成が丘」という地名は分かっているのですね。それは私も確認してなかったので、驚きです。
友人のお家が出てましたか(^_^;)
また、昔あった畑が今もそのまま残っていたのですね。どこの畑かな…
離れていたからこそ、見えてくる小樽というのがあると思います。
このブログがきっかけになって、小樽の再発見につながったのなら、とても嬉しいです。
投稿: 小梅太郎 | 2017年9月24日 (日) 02時39分
夕べは心地よい疲労と充実感でぐっすり眠りましたが、いまだに昨日のいくつかの場面は感傷面で私を揺さぶります。郷愁に浸りきるというのでしょうか故郷の力とはすごいものがありますね。
はい。日成が丘ではほとんど確認できました。長い間心の中で居場所がなかった部分がすっきりしました。
ただ、元社宅があった場所は「丘の上ハイツ」というアパートになっており「日成ハイツ」はもうないですよとそのアパートから出てこられた方はおっしゃってましたがたしか
不動産情報では残っているはずでその点は残念でした。
また 向陽中学裏門の坂を下り200mも行かないくらいでしょうか「畑」があるのです。昔、母から聞いていた母や父や兄たちが
よく行ったという「畑」なのかと思うほどその部分だけ時が止まっているように見えるのです。40年前に訪れた時と同じ姿で雑草のような枯れた夏の花や伸びきった茎の太い草があったように見えました。その四角い一角だけが別世界のようでふしぎなのです。
小樽を愛し離れられない私たち3人組は高校まで小樽で過ごしそれぞれ違う場所で生活し現在は札幌在住です。これから小樽へ通う回数はどれだけ増えていくかは想像もつきません(゚ー゚)
これからもまたよろしくお願いいたします★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
投稿: 花園 | 2017年9月24日 (日) 10時17分
花園さん、こんにちは。
元社宅があった場所に「日成ハイツ」がなかったのは、ちょっと残念でしたね。
向陽中学裏門の坂下の、時が止まったような不思議な畑がまた、記憶を強く思い出すきっかけになったようですね。
小樽の街の様子は確か随分と変わっています。
けど、そこかしこに、以前の面影が残っていたり、さらには昔の姿のままのものが残っていたりするんですよね。
思い出の場所でそのような場所を見つけると、懐かしさとともになんだかとても嬉しくなります。
また小樽に来た時に、このブログが何かお役にてるといいですね。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
投稿: 小梅太郎 | 2017年9月25日 (月) 15時20分