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2015年12月14日 (月)

かつてあった町名を名前に残す南樽駅近くの「新地町踏切」の風景

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小樽は街の中をJRが走っていて、結構、踏切ってあるんですよね。

このブログでは、時々、そんな踏切のある風景を掲載してるのですが、それらの踏切には固有の名前がついてるんですよね。

今回は、そんな名前のついたこちらの踏切の風景です。

新地町踏切

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※写真が6月と9月撮影とちょっと前なのでご了承を。


場所は南樽駅(市民の多くは、JR南小樽駅をこう呼んでます)から築港方面に向かって2つ目の踏切で、信香町から若松町に渡る踏切です。

道路でいうと、南小樽駅前から信香町方面に下る坂道をそのまま進むと、右手にレンガの煙突が印象的な銭湯の小町湯あって、ここを右に曲がると、この新地町踏切があります。

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信香町側から。
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若松町側から。
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で、こちらが南樽駅側。
Otaru_20150622_135853

こちらが小樽築港側です。
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ところで、この「新地町踏切」という名前の“新地町”ですが、現在、小樽にはそのような町名はないですよね。

実は、新地町というのは、かつてこの辺りに実際にあった町名なんですよね。

詳しいことまでは分からないのですが、新地町は、明治3年(1870年)に開拓使により付けられた8つの町名のうちのひとつで、その他は、山ノ上、信香、信香裡、勝納、金曇、芝居、土場ということで、現在も残っているのは信香と勝納ですね(参考;「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編 )。

この新地町踏切とい名前は、古い町名の名残りなんですね。

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ちなみに、南樽駅から1つ目で、この新地町踏切の南樽駅寄りにある踏切には「開運町踏切」という名前がついていて、さらに、南樽駅から小樽駅方面に向かってすぐの踏切には「曙町通り踏切」という名前がついてます。

この開運町も曙町も現在はないですが、かつてこの辺りについていた町名なんですよね。

開運町については、南樽駅の開業時の駅名が「開運停車場」(開運町駅)だったということで、駅名にもなっていたんですよね。

小樽の町が急激に大きくなっていった頃、町名も次々に増えていった中で、その後に無くなってしまった町名も少なくないんですが、こうやって、今も残るその痕跡を探してみるのも、ちょっと面白そうですね。

ということで、今回はかつてあった町名をその名前に残す、新地町踏切の風景でした。

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【関連記事】
※開運町踏切については、こんな記事も書いてます。
南小樽駅のすぐ近くの踏切「開運町踏切」の風景

※参考:踏切 - Wikipedia


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