入船町と松ヶ枝町の境の交差点の一角にあった古い街灯。ここは大門湯のあった場所
何だかとても古くて渋い街灯がありました。
場所はバス通りの入船通り沿いで、ちょうど入船町と松ヶ枝町の境となる交差点の一角です。
もう柱はサビサビで、電球の傘も時代を感じさせるものですが、電線が繋がっているので、現役の街灯のようですね。
う〜ん、昭和だ。
ちなみにこの街灯のある場所、昔、大門湯という銭湯があった場所ですね。
周囲にも、確認できたところで3本の同じような街灯がありました。
もちろん、大門湯があった時から通りを照らしていたのでしょうが(大門湯は1997年(平成9年)になくなったようです)、いったいいつからあるのかな。
ちなみに、この交差点から山側の松ヶ枝町側は、かつては遊郭があったんですよね。
以前、ちょっとだけ調べたことがあって、ブログにも掲載したことがあるのですが、その昔、住ノ江町にあった遊郭が1896年(明治29年)に大火が発生したのを機に、当時はまだ人里離れて山奥でもあった松ヶ枝町に遊郭を移したそうです。
※その際の記事はこちら。
→松ヶ枝町の道路はかなり幅広ですが、それには理由がありました
その後、手宮(梅ヶ枝町)にできた遊廓を「北廓」と呼び、対して松ヶ枝町の遊廓を「南廓」とも呼んでいたそうですよ。
ここから上の松ヶ枝1丁目は、とても幅の広い道路が平行に整然と何本かあるのですが、それは、遊郭の名残りで、大火を防ぐ目的もあったそうです。
戦後まもなく遊廓は廃止されたそうですが、遊郭内に付けられていた、柳町、京町、仲町、弁天町、羽衣町という名はその後も町名として残っていたそうです。
それが、昭和43年の地番改正で、現在の松ヶ枝1丁目となったんですね(参考:書籍「小樽散歩案内」発行:有限会社ウィルダネス)。
さて、今回目にした古い街灯は、いったいいつから通りを照らしていたのか、何だか、古い街灯ひとつで、色々と思いを巡らせてしまいました。
交差点下にあった、もう1本の街灯は、夜に明るく電灯がついてました。
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コメント
旧酒井別邸に行くなら、雪が降る前の今時期(暖かいと雪虫の歓迎を受けますが)か、雪解け後の5月初旬がいいですよ♪
草が生える前、枯れた後なんで行きやすいですよ。
投稿: n | 2015年11月 3日 (火) 09時16分
おはようございます。ふるめかしい電灯をよく見つけましたね。山手線のバス通りを何回も歩いて通っていたのに、全く気がつきませんでした。2本のみ古いのでしょうか?1本目は元大門湯前で、2本目はお寺の向かい側でワッフル?の喫茶店(入ったことはありませんが気になっている店)の近くにあるのかな?電球のカサも古めかしくていいですね~。12月に実家に帰った時に確かめてみますね。新たな視点を教えてもらいました。その頃は電球のカサに雪が積もっているかしら?
投稿: yukim | 2015年11月 3日 (火) 11時40分
港町、そして商業の町。
遊郭の条件に当てはまりますよね。
小樽にも遊郭があったとは以前ちらっと
聞いたことがありましたが、紹介された
所にあったとは!!!
投稿: dlbzw31 | 2015年11月 3日 (火) 18時52分
私ここに住んでいたんです(笑)
大門湯はもうなかったですが、なんで普通の住宅街の道がこんなに広いんだろう?冬になると雪が凄いから除雪した雪を除けておくためかな?なんて思ってました(^^ゞ
交差点の名前は覚えてませんが、バス通りから住んでいたアパートに入る小道の横にはとても古くて立派な建物があって、いつも気になってました。
このあたりは歴史的建造物的な建物はなく、比較的新し目の建物ばかりだったので。
住んでいたのは短い時間でしたが、そんな土地の由来を知るのはとても嬉しいものです。
ありがとうございます。
投稿: rum | 2015年11月 3日 (火) 21時45分
北廓、南廓、金曇町…小樽は本当に歴史がある街ですよね。
浄応寺は、身よりのない悲しい遊女の共同納骨がされた寺の一つだそうです。
北廓にあった遊郭の跡がたった一つ、残ってたはずです。
自分は、五年くらい前に行った時はありましたが…。
投稿: n | 2015年11月 3日 (火) 21時52分
参考リンク先『小樽遊廓史』に、同じことが書いてありました。
似たことを書いてしまい申し訳ありません。
投稿: n | 2015年11月 3日 (火) 22時06分
yukimさん、こんばんは。
最初は何気に見上げた時に目に入った、古い電灯の傘でした。
今回確認したのは3本で、元大門湯前と、新しいワッフルのお店(私も気になってます)のちょっと下と、もう1本は道路の反対側に1本ありました。是非、確認してみてください(*^-^)
この古い電球の傘に雪が積もると、これまた渋そうですね。
dlbzw31さん、こんばんは。
現在は、その名残りが全くといっていいほどないのですが、こういうのって、昔、繁栄していた小樽ならではの歴史ですよね。
ここに遊郭があったというのも、今となっては何だか不思議です。
rumさん、こんばんは。
なんと!ここに住んでましたか!
確かにこのあたりの道路は、必要以上に広くて、なんでだろう?って思いますよね。
バス通りからの小道横の古くて立派な建物は、どれだろう?
この辺りは、それほど歴史を感じさせる地区ではないので、古い建物は確かに目につきますね。
知っている土地に何気に歴史が潜んでいて、面白いですね。
nさん、こんばんは。
旧酒井別邸は、機会があればこの目で見てみたいです。
遊郭の歴史というのも、当時とても栄えていた小樽ならではの歴史ですよね。
浄応寺はそのようなお寺でもあったのですね。
手宮方面は、遊郭の歴史という視点ではまだ歩いたことはないので、今度ゆっくり回ってみたいです。
投稿: 小梅太郎 | 2015年11月 4日 (水) 00時13分