奥沢の老松会館(私設博物館 我楽古多)の前から続く坂道とカムヰツルの文字が残る建物と白方酒造について
今回は、奥沢町にある坂道についてですが、恐らく、ここの坂には特に名前は付いてないと思います。
奥沢十字街から国道5号線を小樽駅方面に少しだけ進むと、左手に私設博物館「我楽古多(がらくた)」という看板が立っていて、そこから通りを入ってみると、通りは真っすぐ続き、その先は坂道になっているのが見えます。
(この先に見えるのが奥沢十字街。写真では看板の立つ右側に入っていきます)
(通りに入ると、その先に坂道が続いてます)
実は、以前からここの通りは気になっていたのですが、先日、この坂道を歩いてきました。
国道5号線からこの通りに入ってすぐ左側に、先ほど看板があった私設博物館「我楽古多(がらくた)」の何とも渋い建物が建ってます。
ここは、以前から気になっていて、先日も当ブログで取り上げたのですが(記事はこちら:奥沢町の私設博物館「我楽古多(がらくた)」が何とも気になります)、いまだ入る勇気がありません(汗)
建物には、老松会館という表示があるのですが、詳細は分かりませんでした(披露宴とか挙げられたようです)。
さて、このあたりはまだ通りは平坦なんですが、もうちょっと通りを進むと、左手に石造倉庫とそれにくっつく大きな建物が建っています。
その石造倉庫の上には“丸にヨ”の文字が。
ん?これはどこかで見た記憶が、と思いつつ、通りはこの辺りから坂道になります。
(坂の反対側から建物を見たところ)
(また、坂道に戻ります)
で、左手に先ほどの倉庫を見ながら、坂道を上り振り返ると、その石造倉庫に繋がる建物の壁面になにやら文字が書いてます。
「常に良い酒 カムヰツル」
これは、かつて小樽にあった白方(しらかた)酒造の銘柄「神威鶴」のことなんですね。
実は、この石造倉庫とそれにくっつく大きな建物は、以前は白方酒造の本社・工場だったそうです(現在は、別会社の社屋として使われているそうです)。
このことは、小樽市内限定の北海道新聞朝刊折込紙〈新ねっとわーく小樽〉第4号の「何これOtaru」に掲載されていて知りました。
それについては、また後で詳しく触れるとして、まずはまた坂道を上ります。
振り返ると、こんな感じです。やっぱり、先には海が見えますね。小樽らしいです。
ちなみに、写真右手の低い位置には、奥沢町を走る国道393号線が平行して通っているのですが、そこから左手にかけて高台になっていて、この坂道はその斜面の途中を上っているんですね。
また、坂道を上りますが、坂道は先で見えなくなっているので、とりあえず、そこまで上ります。
で、また振り返ってみると、街も視界に入り、さらにいい眺めですね。
下から見えていた坂の上に着くと、もうちょっとだけ坂道は続いていましたが、坂はそこまで。
通りはそのずっと先で、国道393号線から上ってくる坂道にぶつかるのですが、この日は、途中でふと目に入った右手に続く階段をついつい上ってしまいました。
こういう何気ないとこでも、振り返るといい眺めだったりします。
ちなみに、この階段を上った先は、住宅の間を通って、住吉神社の横を下る「社ヶ丘の坂(やしろがおかのさか)」に出ます。
奥沢町のここらへんは、松ヶ枝・入船町から住吉神社へと続く高台(尾根になるのかな?)から、低地の奥沢十字街から奥沢水源地へ向かう国道393号線とをつなぐ坂道が、数多く入り組んでいるんですよね。
(こんな道があちこちに)
ここら辺は、まだあまり歩いてないので、坂道はちょっと大変ですが、色々歩いてみたいですね。
思いがけないところで、知っている通りと通りが繋がったりして、面白いんですよね。
カムヰツルの文字が残る建物と白方酒造
今回の坂の上り始めのところに建っていた、石造倉庫とそれにくっつく大きな建物。その建物の壁に薄らと残っていたのが、「常に良い酒 カムヰツル」の文字でした。
先ほども触れましたが、これは、かつて小樽にあった白方酒造の銘柄「神威鶴」のことで、この建物は以前は白方酒造の本社・工場だったそうです(現在は別会社の社屋とのこと)。
白方酒造は、明治24年に積丹郡余別村(現積丹町)で創業し、大正5年に小樽に本社・工場を移転したとのことで、この建物はその頃に建てられたもののようです。
ちなみに、都通りにある輸入雑貨店「December3」の洋風の建物は、その白方酒造の販売店として建てられた建物なんですよね。
この建物です。
こちらは明治末期〜昭和6年の建築ということで、「旧丸ヨ白方支店」として小樽市指定歴史的建造物にも指定されていますが、通りに面するタイル張りの洋風でモダンな建物の奥には、木骨石造の倉庫が続いてるんです。
そして、その倉庫の上には、奥沢の倉庫と同じく、“丸にヨ”と表示されてるんですよね。
ここで、旧丸ヨ白方支店とも表記される、倉庫に見られる丸ヨ(マルヨ)の印についてですが、これはもともと石橋彦三郎がマルヨの印で(丸ヨ石橋商店)、そこから北の誉の野口家に暖簾分けされた印のようですが、それと白方がどう繫がりがあったということまでは、分かりませんでした。
その白方酒造は、昭和40年代に入り販売量が減少し、昭和57年3月で廃業となったそうです。
※参考
・小樽市内限定の北海道新聞朝刊折込紙〈新ねっとわーく小樽〉第4号「何これOtaru」
・小樽市 : 旧丸ヨ白方支店
・分野(1) 様々な観光「印探索」
・書籍「おたる案内人テキストブック」小樽観光大学校運営委員会編
【関連記事】
・奥沢町の私設博物館「我楽古多(がらくた)」が何とも気になります(入ったことはありませんが…)
・都通りの輸入雑貨店「December3」は、小樽市指定歴史的建造物の「旧丸ヨ白方支店」
・旧 白方商店(現 December3)
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コメント
小梅太郎さん、こんにちは。
白方酒造の本社が奥沢に残っていること、初めて知りました。ありがとうございます。都通りのDecember3は、つい昔の癖でミキ(靴店)と呼んでしまいます…笑
白方酒造と言えば、積丹余別に白方商店というのがちょっと前まで(いま調べましたら平成21年まで)残っていて、その閉店の記事を道新で読んだ覚えがあります。
確か、関東に娘さんがいて一緒に暮らすことになったために閉店する旨、近所の方から「なしてやめていくんか」と惜しまれている旨、それにより別の個人商店が配達エリアを広げて住民の不便にならないようにする旨が書いてあったと思います。
「なしてやめていくんか」という台詞がお客さんの寂しさを如実に表していて、とても印象に残っております。
投稿: まかろん | 2015年11月24日 (火) 10時38分
まかろんさん、こんばんは。
現在は別会社の建物ですが、壁面にしっかり残ってました。
確かに、昔はミキ靴店で、そちらのほうが馴染みのある方も多いでしょうね。
白方商店というのが、最近まで積丹余別に残っていたんですね。
「なしてやめていくんか」という言葉、地元に根付いていたのでしょうね。ちょっと寂しくなるセリフですね。
投稿: 小梅太郎 | 2015年11月25日 (水) 03時11分
奥沢の老松の前の坂の写真をシェアさせて頂きたいのですが、良いでしょうか?
投稿: マロンコロン | 2022年10月31日 (月) 16時08分
マロンコロンさん、こんばんは。
シェアといいますと、InstagramやFacebookなどのSNS関連でしょうか!?
そうであればOKです。ぜひシェアしてください。
ただ、その際は、シェア元として、このブログ記事へのリンクか、もしくは文章での記載(例えば“写真は小梅太郎の「小樽日記」より”といった一文)をお願いします。
それと、この記事は少し古く、風景が変わっているかもしれませんので、ご了承願います(例えば、現在、老松会館の建物はありません)。
以上、よろしくお願いします。
投稿: 小梅太郎 | 2022年11月 1日 (火) 00時43分