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2015年8月 4日 (火)

臨港線と住吉町の高台を結ぶ「山ノ上の坂」〜ここはかつて山ノ上町でした

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住吉神社の前から小樽病院へと続く通りを南小樽駅も過ぎて、さらに海側に真っすぐに進むと、その先で道は左右に分かれます。

厳密に言うと、正面にも舗装はされているけど車の通れない急な坂道があって、この正面の坂道が「赤坂」、そして、左がメルヘン交差点へと下っていく「三本木急坂」、そして、右に下っていくのが、今回紹介する「山ノ上の坂」です。

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この山ノ上の坂を下っていくと、その先は臨港線と合流してます。

実は先日、小樽の魅力をウェブサイトやFacebookページにて発信する「おたるくらし」に、この山ノ上の坂について「山ノ上の坂。ここはかつての山ノ上町」という記事を寄稿させていただきました。
山ノ上の坂。ここはかつての山ノ上町 | ここかしこが慕わしいまち

いつものように今回は、その補足記事にもなってます。

また、今回もこの坂道については、小樽市HP内の広報おたる連載「おたる坂まち散歩」を参考にされてもらってます。
小樽市 : おたる坂まち散歩 第27話 山ノ上の坂(前編) (やまのうえのさか)


山ノ上の坂の名前の由来

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さて、この山ノ上の坂という名前ですが、ひょっとして、高台に向かって山を上るからこの名前なのかと、だとしたら随分と単純な名前だなと思ったら、そうではありませんでした。

実は、かつては、ここの高台のあたり一帯は、山ノ上町という町名だったそうです。

つまり、その山ノ上町を上っていく坂道だから、山ノ上の坂という名前が付いたんですね。

(坂の途中から見上げたところ)
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今で言うと、住吉町のあたりになるのですが、小樽の町名について調べてみると、山ノ上町は明治3年(1870年)に開拓使により付けられた8つの町名のうちのひとつで、その時の町名は、山ノ上・信香・信香裡・勝納・金曇・芝居・土場・新地の8つでした。そのうち、勝納、信香は現在も残ってますね。

ちなみに、この坂の下から臨港線沿い少し進むと、「オタルナイ役所跡」と書かれた案内板が立っているんですよね。

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それによると、この場所には慶応2年(1866年)から明治14年(1881年)まで、オタルナイ役所(後に郡役所)が置かれていたそうで、この頃の小樽の中心はこの一帯だったということなんですね。

その後、小樽の開拓は進み、町名もさらに増えていくわけですが、この山ノ上町のように廃止された町名も結構あるようで、そういう町名の変遷を調べたり、この山ノ上の坂のように、名残りを探してみるのも面白そうですね。

そうそう、この山ノ上の坂は、ここが開拓された時代は安政の時代ということで、「安政の坂道」とも呼ばれているそうですよ。
(正直に言いますと、山ノ上の坂という名も、安政の坂道という名も、呼ばれているのをあまり聞いたことがないんですけどね…)

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この辺りの開拓時の様子の記載が、小樽市HP内の広報おたる連載「おたる坂まち散歩」に掲載されているので、引用させていただきます。

19世紀中ごろ、安政年間の小樽の市街地の中心は勝納川河口と入船川河口の間にありました。現在の勝納町、信香町、有幌町がそれに当たります。オタルナイ場所の運上屋も入船川河口右岸にありました。安政年間は、小樽の道路の開削や川に橋を架ける工事が行われ、まちがその体裁を整えていった時代でもありました。
 安政4(1857)年、オタルナイの場所請負人、岡田半兵衛は雇漁夫150人を動員し、有幌と信香の間の高台を開き、ここを山ノ上町(現在の住吉町)としました。翌年には有幌から山ノ上町を経て信香に至る新道(長さ5町、幅4間)が開かれ、この道が今の三本木急坂と山ノ上の坂です。このように町名が坂の名の由来となったわけです。
小樽市 : おたる坂まち散歩 第27話 山ノ上の坂(前編) (やまのうえのさか)


山ノ上の坂の様子

ということで、今回は、山ノ上の坂を下ってきたので、その様子です。

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坂を下り始めてすぐ右側の、古い民家を利用したと思われるお店は、自家焙煎珈琲店「はち」。

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坂を下って行きます。

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途中の右側には、黒っぽい壁の堂々とした建物が建っています。

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この建物は、2011年に小樽市指定歴史的建造物に追加された「旧小堀商店」。

(そこから坂を見上げたところ)
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坂は下りきったところで、臨港線と合流します。

臨港線沿いから、坂道を見上げると、こんな感じです。
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左側に上っていくのが、山ノ上の坂ですね。

ちなみに、坂の下には、石造倉庫を利用した人気のラーメン店「初代」があります。

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ということで、今回は、臨港線と住吉町の高台を結ぶ「山ノ上の坂」についてでした。

昔は、この山ノ上の坂とともに、このあたりも栄えていったのでしょうね。

※参考
・「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋 悦郎 著(市立小樽図書館所蔵)
・おたる案内人公式テキストブック

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