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2015年7月28日 (火)

於古発川(妙見川)に架かる「高島橋」〜元は大正時代に架けられた橋

寿司屋通りを下って行くと、国道5号線から暗渠になっていた於古発川(おこばちがわ)が顔を出します。

今回は於古発川が顔を出してから、その先に架かる「高島橋」の様子についてです。

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その前に、この辺りは妙見川とも呼ばれてますが、ちなみに、川が暗渠から顔を出したところの上も橋ということで、「妙見橋」と名前が付いています。

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山側は暗渠の上の駐車場なんですが、川が現れる側には欄干が設けられてます。


ということで、妙見橋の次に架かっているのが、今回の「高島橋」ということですね。

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この高島橋は、橋の表示を見ると、元は大正11年8月に架けられた橋で、昭和60年8月に修復されたもののようです。

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もう一方には“たかしまは志”と表示されてます。

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橋の外観もですが、街灯もちょっとレトロな雰囲気ですね。

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橋の下を流れる於古発川は、この先、堺町通りを過ぎて、その先で運河と合流しています。

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ちなみに、ここを流れている於古発川はその昔、南側(南樽側)のオタルナイ場所と、北側(手宮側)のタカシマ(高島)場所の境界だったそうです。

Otaru_20150706_162026

説明するほど詳しくはないのですが、“場所”とは、江戸時代に蝦夷地を治めた松前藩が、交易地域として定めた区域のことですね。

そう思うと、ここ於古発川の風景も、何だか歴史を感じてしまいますね。

(高島橋から上流を見たところ)
Otaru_20150706_162115

※参考
・書籍「小樽散歩案内」(発行:ウィルダネス)
場所請負制 - Wikipedia

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小樽の川・橋」カテゴリの記事

コメント

私が住んでた家がギリギリ写ってます(笑) 妙見川懐かしいなぁ…でもすっかり変わりましたね。
私のアルバムを見ると昭和40年位まではまだ欄干も無くて砂利道で高島橋の東雲側に石炭置き場があって三輪トラックが石炭を積んで走ってたのを覚えてます。

大分前のコメントで瀧の湯の並びにあった映画館を探してるコメントがありましたが、昔昭和30年代位にマルヒラより上、(今カーナビを見てるんですが)駐車場のあたりに確かに映画館がありました。その後はモンパリというキャバレーに変わりました。

あと、前に私がコメントした木造の橋はもう一度写真を見ましたがもしかしたら、妙見橋と高島橋の間に人が渡れる橋を架けていたのかも知れませんね。

投稿: 百川 | 2015年7月29日 (水) 08時05分

百川さん、こんばんは。
なんと、家が写ってましたか!?ビックリ!
さすがに妙見川の様子は変わってますか。
昭和40年くらいとなると、やはり全然違うのでしょうね。
マルヒラの上の駐車場あたりに映画館があったのですね!?
キャバレーのモンパリがあったところですか。なかなか、そういう情報って調べられないんですよね。情報ありがとうございます。
昔の写真というのは、本当に今となっては貴重ですね。

投稿: 小梅太郎 | 2015年7月30日 (木) 00時33分

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