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2014年12月 2日 (火)

山田町の「職人坂」を入船町側から上り寿司屋通りへと抜ける

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ちょっと前ですが、サイト「おたるくらし」に「ここが職人坂。場所は山田町」という記事を寄稿させてもらいました。

※その記事はこちら。
ここが職人坂。場所は山田町 | ここかしこが慕わしいまち

職人坂は、寿司屋通りの政寿司を過ぎて旧手宮線のすぐ下から入っていく上り坂で、途中、水天宮への通りを横切り、そこから入船町側へと下っていく、幅の狭い坂道です。

「おたるくらし」に投稿するにあたって、職人坂の写真を他にもたくさん撮っていたので、今回は、その補足記事として写真中心に掲載したいと思います。

なお、写真撮影は10月23日と、だいぶ前でなのでご了承願います。


職人坂について

その前に「職人坂」についてですが、坂の名前になっているように、かつてはこの通り沿いには、様々な職人が仕事場を構えていたそうです。

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小樽市HP内 広報おたる連載「おたる坂まち散歩」の「第3話 職人坂(しょくにんざか)」に詳しく掲載されています。
小樽市 : おたる坂まち散歩 第3話 職人坂(しょくにんざか)

幅の狭い道の両脇には、仏壇屋や家具・建具屋などが並び、今も往時の面影を残しています。明治から大正・昭和にかけて、このかいわいは料亭などが並ぶ花街で、1年中、人々でにぎわっていました。人が集まるところには、仕事があります。仏壇屋や家具・建具屋をはじめ、塗り師、張り師、彫り師、表具師、金具師、さらには古着屋や古道具屋などの職人が仕事場を並べていました。これに由来し、職人坂の名がついたのです。
小樽市 : おたる坂まち散歩 第3話 職人坂(しょくにんざか)


職人坂を入船町側から上る

で、この時は、入船町側の入船通りから上っていきました。

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ここはちょうど、南樽駅から下りてきたところで、入船通りとの交差点の角にガソリンスタンドがあるところですね。

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上りだして間もなく、通りは細くなります。

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すぐに石造りの倉庫や仏壇店などの看板が見えきて、わずかに往時を偲ぶことができます。

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ただ、残念ながら当時の賑わいの様子を今に伝える、とまでは行きませんよね。

それでも、この坂道の両側に建物が立ち並ぶ様子は、何だか小樽らしい眺めという感じで、どうでしょう、結構味わいのある坂道で、私は気に入ってます。

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(坂を振り返ったところ)

坂を上りきったところで、右が水天宮へと続く道で、左はその先小樽公園まで続く公園通りですね。

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(右の水天宮方向)
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(左に続く公園通り)
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職人坂を寿司屋通りへと抜ける

水天宮への通りから、今度は寿司屋通りへと職人坂を下っていきます。

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(角の建物が渋いです)
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ちなみに、この坂道は抜け道として使われていて、狭い割には車の通りが多いので、こうやって、通りをぷらぷら歩くのは車に注意です。

こちら側の坂道には、職人坂を思い出させる名残りは、ほとんど見当たりませんね。

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この辺りにも、かつては仕事場がたくさんあって、多くの人が行き交っていたのでしょうかね。

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(坂を振り返ったところ)

そして、坂道は寿司屋通りへと抜けます。

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寿司屋通りに出てから、職人坂を振り返るとこんな眺めなんですが、

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このアングルは比較的記憶にある方も多いのではないでしょうか。


職人坂のある山田町

ところで、この職人坂は町名で言うと、ほぼ山田町に位置していて、細長い山田町全域を上って下りてと、ちょうど通り抜けるようになってます。

ちなみに、この山田町という町名は、小樽市内で、唯一人名に由来する町名だそうで、先ほどの小樽市のHPから引用すると、

その昔、入船と色内を結ぶ道は、水天宮の山を削って埋め立てた海岸道路のみ。住民はとても不便を感じていました。それを知った山田吉兵衛ほか2人が、明治15(1882)年1月、私財を投じて相生町から水天宮の西を通り妙見川に至る道(延長1150メートル)を1年かけて開削しました。この付近一帯が山田吉兵衛 (やまだきちべえ)の所有地だったことから、山田の名をとり町名としたものでした。
小樽市 : おたる坂まち散歩 第3話 職人坂(しょくにんざか)

ということだそうです。

職人坂と山田町。
ここは、坂の名前と町名の両方に、興味深い歴史がありました。


【関連記事】※以前の職人坂の記事です。
最近知った、職人坂


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小樽の坂」カテゴリの記事

コメント

小樽の道はどこを歩いても飽きませんね。
この道もどれだけ歩いたか・・・国道5号線を南樽方面から小樽駅まで歩くより
この道を歩いた方が気のせいか近く感じます。
坂を上りきる手前の右側にバラの花をメインにコンパクトだけれど綺麗にしているお庭がありました
仰るとおり車の通りが多いですよね。雪が積もったら益々気を付けなければ危ない道でもありますね(^-^;
友達の車に乗せてもらった時も通り抜けにこの道を使っていました。

投稿: EKO | 2014年12月 2日 (火) 23時23分

懐かしいです!!でもこの坂に職人坂という名前がついてたのは知りませんでした。私が子供の頃坂の途中に駄菓子屋があり、その先に山岸商店、そして登りきる左手前に紀州屋という食堂がありました。父はこの坂にあった印刷屋で働いていた事もありました。確かこの坂は上りの一方通行じゃなかったですか?もう一本向こうの昔キャバレールンバや味義があった坂は下りの一方通行で…すいません古い話しをして。

投稿: 百川 | 2014年12月 3日 (水) 01時12分

小学校5年生から、ここに住んでいました。
でも、「職人坂」なんて呼んでいなくて、「山田町」と言っていましたね。読み方は「ヤマダマチ」でした。
職人さんが住んでいたというのも、ハッキリ憶えていないんですが、母が言うには私たちの2段ベッドや机なども、この坂にあったお店に頼んだそうです。
懐かしいですね。
他にもいっぱい石造りの建物があったんですよ。
何回通ったか分からない坂道、有難うございました。

投稿: はは | 2014年12月 3日 (水) 17時21分

EKOさん、こんばんは。
小樽の道は飽きませんね〜
ここをよく歩いてたんですね。
あっ、確かに南樽方面から小樽駅まで、近く感じるのは私もそうです!何故でしょうかね。
庭は今はどうなっているのかな?
小樽は昨日から大雪になってます。坂道も大変です。


百川さん、こんばんは。
実際に職人坂と名前がついたのが、いつからかは分かりませんが、昔は呼んでなかったかもしれませんね。
やはり、色々とお店もあったのですね。
そうです、そうです!寿司屋通りから水天宮への通りまでが上りの一方通行で、もう1本先は下りの一方通行になってます!
キャバレールンバ、味義は分からないですが…(^-^;


ははさん、こんばんは。
なんと、お住まいはここだったんですね!
なるほど、昔は「ヤマダマチ」と呼んでたんですか。
職人坂と呼ぶようになったのは、後からでしょうかね。
家具のお店もあったようですから、そういうものも作ってもらえたんですね。
石造りの建物がたくさあったりと、そのころの様子も見てみたかったです(*^-^)

投稿: 小梅太郎 | 2014年12月 3日 (水) 23時32分

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