天神町の急な坂を上ると見えてくる向陽中学校
小樽の学校って、坂の上に建っていることが多いですよね。
まあ、小樽が坂の街ですから、しょうがないですけどね。
この天神町の向陽中学も、かなり急な坂道の途中に建っていました。
場所は、天神十字街から松ヶ枝町方面へ向かう途中の天満宮の上の通りに入り、
※この時は天満宮の例大祭だったため、車が多く停車してました。写真左が天満宮の境内です。
この坂道の先を右に曲がります。
すると坂はさらに急になり、この坂を上って行くと、
右手に向陽中学の建物と正門が見えてきます。
ちなみに、向陽中学は昭和28年の開校で、昭和60年に、新校舎ができているようです。
(参考:小樽市立向陽中学校の歴史)
校舎の上がグラウンドになります。
この学校前の坂道は、近隣住民と向陽中学の生徒と関係者しか上らないであろう坂道だと思いますが、結構急ですね。
(坂の上から振り返って見たところ)
実は、私はここ向陽中学の前までは初めて来たのですが、天神十字街から松ヶ枝方面へ向かう坂を上ってきて、大きく右にカーブするところにも門があるんですよね。
(天神十字街から松ヶ枝方面へ向かう道)
(右にカーブするところに門があります)
(その位置から道路を振り返ったところ)
門には向陽中学校の表札もあります。
車でここを通ることがあるので、ここが正門かと勘違いしてました(^-^;
それにしても、ここもその先に真っすぐに、学校までかなり急な坂道ですね…
ということで、場所は分かっていたものの、今回初めて向陽中学前まで行ったので、そこまでの坂道と一緒に掲載してみましたが、学校前でおじさんがカメラ片手にウロウロするのは、良くないですね(汗)
【関連記事】
・天神町の坂を上ったところにある「天神公園」
ランキングに参加しています。
にほんブログ村
スポンサーリンク
| 固定リンク
「 小樽の坂」カテゴリの記事
- JR朝里駅から朝里・新光地区の市街地へと上る坂道(2018.11.29)
- 朝里の線路沿いの住宅地をつなぐ「いなりの坂」(2018.11.29)
- 入船町から住ノ江町の高台へと上る急な階段は106段(2018.10.02)
- 長橋5丁目にある勾配20%の急坂。ここは長橋の地獄坂!?(2018.07.14)
- 三本木急坂と坂の途中の歴史的建造物(2013.03.12)
コメント
私の時は 木造2階建て
小梅太郎さんが勘違いしてた方が
私たちの時は正門で 現在のところが裏だったんですよ
正門がすごく急な坂で 冬は給食の配送車が登れなくなって先生命令で
男子生徒が牛乳(ビンでした)とか下から運んでました( ̄Д ̄;;
久々に中学の事を想い出しましたよ
投稿: ラテ | 2014年8月29日 (金) 21時35分
ラテさん、こんばんは。
お〜!!もともと、天神十字街から松ヶ枝方面へ向かう道路沿いのほうが、正門だったのですね!
いや〜、こちら側も相当急ですよね。
それは車も上れなくなります
生徒が牛乳運ぶなんて、何だかいいですね
投稿: 小梅太郎 | 2014年8月30日 (土) 00時28分
そうです、そうです。
ラテさんの言うとおり冬の坂道はひどいものでした。毎日よく通ったものです。
今はあまり使われていない感じですね。
懐かしいなぁ。
投稿: 桃 | 2014年8月30日 (土) 01時31分
桃さん、こんにちは。
やっぱりそうだったんですね〜!
冬は大変そうですよね。
確かにこちら側は、あまり使われていない雰囲気が漂ってました。
投稿: 小梅太郎 | 2014年8月30日 (土) 15時02分
余談ですが向中は市内で数少ない給食自校内調理校でした(今は?)単独校と言われ他に末広.石山.西陵.北山各中学と若竹.手宮西等の小学校、自分の知る70年代後半から80年代それら9校のみがそうでした。他は新光とオタモイの共同調理場からの配送でした。急坂が理由なら松中や桜中などに配送されてたのはおかしいですよね。自校調理とは言え作るのは共同調理場から派遣された方々でした。現在はどうなったのでしょうかね。
投稿: T75 | 2014年9月 1日 (月) 23時47分
T75さん、こんばんは。
なるほど、給食を自校内で調理している学校がいくつかあったのですね。
う〜ん、よく覚えてますね。
というか、全然知りませんでした(^-^;
ただ、坂道が理由ではないようですね。
現在は、どうなんでしょうかね。
投稿: 小梅太郎 | 2014年9月 3日 (水) 02時13分