小樽ゆかりの榎本武揚〜龍宮神社と梁川通りとあやかり武揚さん
先日、お祭りがあった龍宮神社は、幕末・明治に活躍した人物、榎本武揚(えのもと たけあき)が建立したとのことでも知られる、とても立派な神社ですよね。
榎本武揚は、幕末には徳川幕府の海軍副総裁になり、維新後は様々な大臣を歴任した、北海道、そして小樽との関係もとても深い政治家なんですよね。
小樽ゆかりの歴史上の人物ということで、小樽との関係についてちょっとだけ調べてみました。
榎本武揚と龍宮神社
まず、Wikipediaによると、
榎本 武揚(えのもと たけあき、天保7年8月25日(1836年10月5日) - 明治41年(1908年)10月26日)は、日本の武士(幕臣)、外交官、政治家。海軍中将、正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川。名は「ぶよう」と故実読みされることもある。
榎本武揚 - Wikipedia
ということで、小樽との関わりとなると、榎本は友人の北垣国道(後の第4代北海道庁長官)と一緒に、1872(明治5)年に、まだ未開の荒野だった今の小樽の稲穂と富岡地区一帯20万坪を購入し、北辰社を設立して市街地開発を進めていったそうです。
北海道の発展に際して、小樽に目を付けてくれたのですね。
その際に、所有地の一角に設けた小祠が、龍宮神社の前身といわれているそうです。
(参考:「まちづくり観光(7) まちづくり運動と観光」及び「おたる案内人:P173」)
ちなみに、龍宮神社の創建は明治9年(1876年)とのことで、現本殿は昭和16年に竣工したものとのことです。
(参考:龍宮神社 (小樽市) - Wikipedia)
神社内には銅像が建ち、社殿内には肖像画が飾られています。
榎本武揚と梁川通り
龍宮神社のお祭りの時に露店が並ぶ、「梁川通り」という名の通りがありますよね。
場所は中央通りを挟んで、都通りの反対側に続く通りです。
この梁川通りという名前は、この一帯(稲穂町)を所有していた、その榎本武揚の雅号の梁川(りょうせん)に由来するそうです。
ちなみに、都通りの1本国道側の「静屋通り」は、先ほど出てきた榎本の友人の、やはりこの一帯の大地主だった北垣国道の号の静屋(せいおく)に由来しているそうです。
(“せいおく通り”とは呼ばず、“しずや通り”と呼ばれてます)
都通りのあやかり武揚さん
アーケードの都通りには、榎本武揚の垂れ幕が下がってます。
さらに都通りには「都通り あやかり武揚(ぶよう)さん」という、可愛い石造もありますね。
知らない人にとっては、この可愛い武揚さんって誰?という感じにもなりかねませんが、以上のような小樽ゆかりの方だったんですね。
ということで、榎本武揚に関しては、まだまだ歴史的背景が色々とあって深い人物のようですが、小樽ゆかりの人物として、小樽とのつながりについては知っておくといいかもしれませんね。
【関連記事】
・龍宮神社のお祭りやってます
・冬の龍宮神社
・梁川通り(やながわどおり)
・静屋通り」
ランキングに参加しています。
にほんブログ村
スポンサーリンク
| 固定リンク
「 小樽ゆかりの人物」カテゴリの記事
- 旧国道沿いの長橋中学校と2代目板谷宮吉について(2018.06.14)
- 小樽市役所の庭の奥に建つ胸像は市庁舎建設時に多額の寄付をした土肥太吉(2018.05.28)
- 小樽公園のすぐ下の角に建っている石碑「渡邊翁碑」は小樽区長も務めた渡辺兵四郎のものでした【追記】(2017.05.30)
- 小樽区長も務めた渡辺兵四郎の石碑「渡邊翁碑」が小樽市役所正門横に移動してる!?(2018.05.26)
- 銀鱗荘入り口横に建つ小樽ゆかりの俳人・高浜年尾句碑(2017.08.09)
コメント