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2013年7月25日 (木)

松ヶ枝町の道路はかなり幅広ですが、それには理由がありました

松ヶ枝町は天狗山の麓に位置する坂の上の住宅街で、このブログではちょっと前から松ヶ枝町界隈をぷらりぷらりと紹介してまきましたが、実際に松ヶ枝町に行ってみると、その随分と広い道路が目に入ります。

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例えば、ここは道道697号天神南小樽停車場線の奥沢・天神方面に抜ける道路ですが、ここもとにかく広いです。

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それほど交通量が多いわけではないので、必要以上に広い道路、といった感じでです。

Otaru_20130723144121

その周辺の道路も、どもこ幅が広いですね。

Otaru_20130723144922

実はこれには、昔、松ヶ枝町に遊郭があったことに由来しているそうです。

以下は、北海道新聞に折り込まれる、小樽のフリーペーパー「kazeru.(カゼル)」(2010年8月20日付)に掲載された情報と、サイト「小樽遊廓史 - 関西学院大学社会学部 島村恭則ゼミ」(引用はこちらからさせていただきました)を参考にさせていただいてます。

その昔、住ノ江町にあった遊郭が、1896年(明治29年)に大火が発生し、それを機に、当時は人里離れた山奥でもあった松ヶ枝町へと移されたそうです。

そもそも、松ヶ枝町に遊郭があったということを知りませんでした。

ちなみに、その頃手宮(梅ヶ枝町)にあった遊廓を「北廓」といい、対して松ヶ枝町の遊廓を「南廓」とも呼んでいたそうです(以下に引用です)。

13年間もの間栄華を極めた住ノ江遊廓は、天狗山山麓の、人里離れた山奥の入舟町の奥、松ヶ枝町へと移されることになる。明治40年に誕生した梅ヶ枝町の遊廓と存在した時期が重なるため、この松ヶ枝町の遊廓が「南廓」、対して梅ヶ枝町の遊廓は「北廓」とも呼ばれる。

そして、移される際、大火を防ぐ目的もあって、松ヶ枝町の通りは広すぎるほどの道幅になったそうです(以下に引用です)。

大火の教訓があってか、松ヶ枝町の通りは広すぎるほどの道幅を持ち、町並みは整然とした印象を受ける。

なるほど〜、ですね。
戦後まもなく遊廓が廃止されて、松ヶ枝町一帯は現在の閑静な住宅街へと姿を変えていったそうです。

入船町と松ヶ枝町の境には、銭湯の「大門湯」がありましたが(1997年(平成9年)になくなったようです)、その「大門」というのは、江戸時代に遊郭に出入りする門のことだそうですよ(「kazeru.(カゼル)」(2010年8月20日付)より)。

ということで、松ヶ枝町の広い道路にはこんな背景があったのですね。

Otaru_20130723144432

ただ、冬になると、この両脇に雪が高く積まれて、道路幅は普通の片側1車線道路幅になってしまうんですよね(^-^;


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コメント

こんばんは。
これは私も以前から興味を持って調べたら、小さい頃に松ヶ枝町の入り口に「柳町交番前」というバス停があったんです。後年、柳町は遊郭の一区画の名で、そこにあった交番は遊女の逃亡を防ぐ見張りでもあったと聞きました。
私の頃も普通の住宅街になっていたので、そんな過去があったなんて驚きでした。
ちなみに 「洗心橋」 は、遊郭から出てきた男性たちが、ここで心を入れ替えて家に帰るという意味があったそうですよ。本当かなぁ(笑)

投稿: はは | 2013年7月25日 (木) 22時25分

中学時代に友達のお祖母ちゃんから「昔この辺に女郎屋あってね」と聞いてました。知らない人の方が圧倒的多数ですよ。昔の人は洗心橋(小さな木造)降り川で不浄清めたそうです。因みに入船側には現セイコーマート付近に浄めの井戸水場があったそうです。今この話題出るとは!?正に夏!(笑)今夜小樽です

投稿: T75 | 2013年7月26日 (金) 13時10分

ははさん、こんにちは。
松ヶ枝町に「柳町交番前」というバス停があったんですか!
で、交番が見張りだったとは、色々分かってくると、驚くことがたくさんですね。
今の住宅街からは想像もつかないですよね。
記事中参考にさせていただいたサイトにも、柳町、京町、仲町、弁天町、羽衣町といった町名があったと書かれていました。
「洗心橋」についても、そのサイトに触れられていましたが、本当でしょうかね〜(笑)


T75さん、こんにちは。
お祖母さんの世代ですと、実際にあった時代なんですね。
今は当時を伺うものも、記録もほとんどないですから、なかなか知ることがないですよね。
「洗心橋」に「浄めの井戸水場」ですか(^-^;
いよいよ潮まつりが始まって、T75さんも久々の潮まつりですね。
目一杯、楽しんでください!

投稿: 小梅太郎 | 2013年7月26日 (金) 15時54分

追記.友人婆ちゃん当時80代。小梅さんの記事見るまで正に30年以上忘れてた話しです。当時ですら「本当かよ!?」と歴史に疎くまだ小樽にさほど愛着もなかった時代の話しですから。「洗心橋逸話」「浄め井戸」どうして当時学生だった自分らにそんな話ししたのか…?その友人実は現在松ヶ枝町に居ます!!明日連絡し行きます!!小梅さんが投げかけた不思議な導き。コムラ.水道山にも寄らねば(笑)只今手稲通過。間もなく小樽です!!

投稿: T75 | 2013年7月26日 (金) 22時07分

T75さん、こんばんは。
そうでしたか、30年以上前とは、当時、お婆ちゃんはどうしてそのような話をしたのでしょうかね。
もうその御友人と会われたのでしょうか。
水道山の変わりようにも驚かれたのでは!?
おっと、それよりなにより、まずは潮まつり三昧ですよね(*^-^)

投稿: 小梅太郎 | 2013年7月28日 (日) 02時21分

28日午後松ヶ枝町某君と再会(小梅さんも知らずに某君宅前通ってますよ(笑))しかし亡くなったお婆ちゃんの「遊廓」話しは全く記憶にないとの話しに唖然…。水道山へ2人で行き暫し昔話(ビール持参が年月の実感)その後「金比羅さん」へ。「昔ここのお祭りでド派手なおばさん白いドレスで特設舞台で"ここに幸あり"うたったよなあ」と某君。今度は自分が思い出せず…。松ヶ枝町…中学時代の同級生喫茶店経営してます。ごく平凡な店ですが発見し是非立ち寄り下さい。(いや絶対目に入ってるはずですよ)日曜夕方後ろ髪引かれる思いで小樽駅から新千歳空港へ。まだ頭の中で「潮音頭」が鳴り響いてます。

投稿: T75 | 2013年7月29日 (月) 21時58分

T75さん、こんにちは。
松ヶ枝町、水道山、金毘羅さん、
思い出はそれぞれでも、懐かしい時間を過ごされたようですね。
むむっ!同級生が経営されている喫茶店ですか。
松ヶ枝町の喫茶店と言えば、あそことあそこと…
そのうち当ブログにも登場するかもしれませんね(*^-^)
潮まつり帰省、楽しまれたようですね(*^-^)

投稿: 小梅太郎 | 2013年7月30日 (火) 13時51分

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