色内大通り/中央通り〜日銀通り
本当は連続して紹介するつもりだったのですが、前回紹介した「色内大通り/竜宮通り〜中央通り」からは、ほとんど忘れてしまうくらい間が空いてしまいました(^-^;
ただ、せっかくですから「色内大通り」の続きを再開します。
今回で「色内大通り」は第6回目になるのですが、今回は中央通り〜日銀通りの区間です。
どんどん写真の時期がずれてしまうのはご勘弁を。
(何たって、撮影は4月です)
さて、北は手宮方面まで続く色内大通りですが、この中央通りから南は、銀行関連の建物も見られるようになり、かつての小樽の繁栄を象徴する、いわゆる“北のウォール街”を形成しています。
そして、ここからは歴史的建造物のオンパレードといった感じですね。
なので、通りを伝えるというよりは、建ち並ぶ建物の紹介のようになってしまうので、ご了承願います。
それでは色内大通りを進みます。
中央通りとの交差点を渡ると、まず右手に建っているのが、
小樽市指定歴史的建造物の、
「旧第四十七銀行小樽支店(北海道紙商事)」
(昭和初期建築)
その隣が「旧梅屋商店(小樽硝子屋本舗〜和蔵〜)」
(明治39年建築)
更にその隣が小樽市指定歴史的建造物の、
「旧塚本商店」(大正9年建築)
そして、通りの向かいに建っているのが、
「旧川田商店(小樽アドバンス倶楽部)」(昭和8年建築)
と、この段階で、いきなり古い建物が続いてますね。
その横のちょっと引っ込んだところには、こじんまりとした可愛い手打ちそば屋さんがあります。
「いろない」
ちなみにこのそば屋さんは、ミシュランガイド北海道2012特別版で、比較的安価で質の高い料理を提供するという「ビブグルマン」に選定されてるんです。
が、まだ食べたことがないんです
ここは、絶対食べに行かないと。
その先の右手には、小樽市指定歴史的建造物の、
「旧小樽商工会議所 」(昭和8年建築)
(これは以前撮った写真です)
この辺りは、普通に古い建物や、石造りの倉庫が建ち並んでいるのですが、こんな歯医者もありました。
ここの小さな交差点を過ぎると、右手に建っているのが、
小樽市指定歴史的建造物の、
「旧越中屋ホテル(旧小樽グランドホテルクラシック)」
(昭和6年建築)
その向かいが、とても存在感があり、威厳のある佇まいの、
「旧三井銀行小樽支店」(昭和2年建築)
そして、色内大通りはこの先で、日銀通りと交差します。
といった感じで、やっと日銀通りとの交差点まで来ました。
いや〜、かつての商都・小樽を支えた中心部ですからね。
建物を紹介してきただけなのに、かなり長くなってしまいましたね。
その日銀通りとの交差点には、
「小樽郵便局」
「旧北海道拓殖銀行小樽支店(ホテルヴィブラントオタル)」
そして対面の角には、
「旧三菱銀行小樽支店(小樽運河ターミナル)」
「旧第一銀行小樽支店(トップジェント・ファッション・コア)」
が建っています。
この交差点は、とても堂々たる景観を見せているのですが、長くなったのでそれらは次回ということにします。
※色内大通りと日銀通りの交差点については、以前のこんな記事もどうぞ。
→「日銀通りと色内大通りの交差点」
各建物について、個別の紹介記事があるものは、リンクを貼ってます。
今回出てきた色内大通りの中央通り〜日銀通り間にある歴史的建造物のうち、まだ個別に紹介していない建物については、順次紹介していきたいと思ってます。
これまでの5回の記事は、こちらをどうぞ。
「色内大通りを端から端まで/予告編」
「色内大通り/手宮側の端〜旧日本郵船」
「色内大通り/旧日本郵船〜道道820号小樽港稲穂線」
「色内大通り/道道820号小樽港稲穂線〜竜宮通り」
「色内大通り/竜宮通り〜中央通り」
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コメント
小樽在住時は観光化前でしたが、通りや建物の価値観を真剣には考えてませんでしたね。むしろ市外の人程「小樽は歴史的建物も一杯で素晴らしい」と言ってくれてました。叶わぬ夢、小樽最盛期の北のウォール街を歩いてみたいです。
投稿: Tokyo1975 | 2012年7月 7日 (土) 14時32分
Tokyo1975さん、こんばんは。
私も全く一緒です。一旦小樽を離れて、また戻ってきてから小樽の歴史ある建物等が気になるようになりました。
実際、観光客等、市外の方々のほうが、興味があったりしますよね。
(本当はそれがいけないのでしょうが)
その昔の小樽最盛期は、さぞかし賑わっていたのでしょうね。
投稿: 小梅太郎 | 2012年7月 7日 (土) 19時24分