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2012年4月 6日 (金)

梁川通りの渡邊酒造店

小樽駅から目の前の中央通りを海に向かって歩いていくと、すぐに右手にアーケードの都通りがあります。

そして、中央通りをを挟んで都通りと反対側の通りが、梁川通り(やながわどおり)です。

この懐かしい感じのする商店街の通りに入って、ずっと歩いて行き、私も好きな「若鶏時代 なると」を過ぎて、竜宮通りも通り越して行くと、何やらとても気になる建物が目に入ってきます。

渡邊酒造店

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昭和5年(1930年)建築の木造3階建で、小樽市指定歴史的建造物に指定されている建物ですね。

正面にいつもの案内板があります。
今回は、より内容の詳しい、小樽市ホームページより引用させてもらいます。

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『梁川通りの角地に建ち、この地区のランドマークとなっています。
建物の外壁に褐色のタイルを張り、軒先には雷文や卵と槍の模様をつけ、2階窓上には酒樽の看板を掲げています。
店内には、天井に模様を型押しした金属板を張り、壁に鏡を飾るなど、昭和初期のモダンなデザインを伝えています。
同時期に建てられた田中酒造店は、木造建築で町屋形式の外観をもち、対照的な形態といえます。』
(小樽市ホームページ内「小樽市 : 渡邊酒造店」より引用)

確かに、歴史を感じさせるものの、渋いというよりは、しっかりとしたモダンな感じですね。

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外から見ると、店内も雰囲気があるんですよね。
今度、是非店内に入ってみたいですね。

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今回は気後れして入れませんでした(笑)

お店の外には、「山二わたなべ」ともなっていて、「うまい酒北賓」「大吟醸雪中花」という銘柄が掲げられてます。

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渡邊酒造店と紹介してますが、「(株)山二わたなべ」でちょっと調べてみますと、明治12年創業とのことですよ。
※創業年の間違いを指摘いただき修正しました。明治22年創業→明治12年創業。お詫びして訂正します。(2013.8.30)

そして、お酒は小樽の地酒なんですよね。
お酒は好きなのですが、勉強不足で知りませんでした。反省です。

これは、お酒を飲んでみないとダメですね。

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歴史的建造物 店舗」カテゴリの記事

コメント

所在地ここだったんですか。知らなかった。こないだの小樽案内人テストに出ました。小樽で一番古い酒造会社は?に思い出せず「やまいちわたなべ」と書いてしまいました。もっと早くとりあげてくれれば、正解できました。残念。

投稿: teineyamamieru | 2012年4月 7日 (土) 10時00分

外観だけは何度か確認しに行きましたがやはり私も入ったことはありません。なぜだか入りづらいんですよね~ところで北の誉酒造は大きな工場がありますし田中酒造も亀甲蔵がありますが山二わたなべ酒造はこの建物の中で作っているんでしょうか・・・。それとも他に工場があるのかしら。今度周りも確認しなくては・・・。それにしてもお酒が飲めたらあちこちの酒蔵のお酒を飲み比べるんですけどねぇ。

投稿: ままお | 2012年4月 7日 (土) 16時20分

teineyamamieruさん、こんばんは。
ちょっと遅かったですね。すいません。
けど、「小樽案内人検定試験」、合格おめでとうございます
ブログ読ませていただいてます。
ただ、コメントができないようなので、この場を借りて、お祝いさせて頂きます
私も受けてみようかな


ままおさん、こんばんは。
入るのに、本当はそんな気にせず入れば良いのでしょうが、それができません
そうなんですよね。どこで酒造りをしてるのかな〜?って思いました。そういう話をお店の方に聞けると良いのですが…
お酒は好きなので、今度は色んな地酒を紹介したいですね

投稿: 小梅太郎 | 2012年4月 7日 (土) 22時52分

明治12年創業の間違いです。乾物雑貨店から始まり、途中から酒造りをはじめた。盛岡からの移住者だが、新撰組の土方が渡邊仁左衛門だったという話を、佐々木銃砲店の社長と西澤外科の先生と旗伊藤さんに聞いた事があるが…。錦町の生協跡地の駐車場に工場があったが、今は、委託醸造になっており、創業家とは別の人が経営している。小樽博物館の古地図に、今の北陸銀行の隣の、ケンタッキーの場所に店があった頃の渡邊乾物雑貨店を見た事があるが、稲穂へは、平屋の建物に引っ越してから、今のビルを建てたらしい。設計者が、BBCの店舗があったビルと同じなので、外見も内装もよくにている。海猫屋の斜め前のビル。

投稿: | 2013年8月30日 (金) 07時28分

コメントありがとうございます。
明治12年創業でしたか!ご指摘ありがとうございます。
早速、修正しておきます。
(私の持っている資料にも明治12年創業と書いてました…)
その他、色々と貴重な情報をありがとうございます。
BBCの店舗があったビル!分かります。
確かに同じようなタイルで覆われた建物ですね。
そうですか,設計者が同じで、内装も似ているのですね。
本当に、色々ありがとうございます。

投稿: 小梅太郎 | 2013年8月30日 (金) 15時37分

あくまでも噂話ですが、このビルの前に「今は駐車場」にあった下駄屋さんのお爺さんから聞いた話では、ビルの土地の元の持ち主が、榎本で、徳川からガメタお金を古井戸「地下五十メートル位」にトンネルをアイヌ人を使用して掘り、埋めた。秘密を守る為に、そのアイヌ人達を殺して埋めて人柱にした。その後、土方が引っ越してきて上に住み、すぐ近くの静屋通りにあった北海電子(株)のあった場所に、警察署の剣道場があり、永倉が居合いを教えに来た帰りに、土方の所に寄ったり、榎本が来たりしていたらしい。故に、このビルの石倉の三階に、永倉の仕込み杖があり、目撃者がある。刀や古式銃や鎧兜が沢山あったが、鎧兜は三代目徳次郎の時に、靖国神社に寄贈された「写真が残っている」、脇差しが札幌の狸小路の近くのサープラス店の以前の社長に「今は息子が社長」に渡り、古式銃は小樽の南生協の側のマニアの人が保管している。たの多くの武器は、錦町の工場の三階に隠していたのだが、戦後にGHQに家宅捜索されて没収された。土方は、自分の影武者を函館で戦死させて、盛岡の渡邊家に匿われていたが、ヤバクなって小樽に逃げて来た。榎本が支援していた。一人息子の仙太郎が刺客に殺られた。故に、使用人の津田徳次郎を養子にしたようだ。新撰組の証拠類は無いが、明治に写した、仁左衛門と妻モカのツーショットの老人時代の写真が残っていて、目撃した人がいる。掛け軸の裏に、地下の地図が書いてあったらしいが、その掛け軸は行方不明。手宮の鉄道博物館の銅像になっているトランシットが木箱に入って保管されていたが今は行方不明。その時の米国人にもらったらしい。

投稿: | 2013年8月30日 (金) 18時40分

コメントありがとうございます。
噂話とはいえ、何だか凄い話ですね。
そして、とても詳しいのですね。
歴史的にも興味深い話、貴重な話、
どうもありがとうございます。

投稿: 小梅太郎 | 2013年8月31日 (土) 02時33分

新しく発売された昭和小樽の写真集の、このお店のページがあったので確認して見ましたが。今の新しい経営会社の雇われ社長さんの記憶されている情報がアバウトであり、正確性に問題点があると思われました。小樽博物館の地図情報と図書館の商工会議所資料を確認していない。多分人から聞いた不正確な話ですね!!良くあるパターンであり、知らない人がそのまま違う歴史を信じてしまうと思いました。間違っていた箇所は、明治の最初の創業は、雑貨店ではなくて乾物米穀店であり、場所は稲穂ではなくて、今の北陸銀行の側のケンタッキーの場所。酒造りは、錦町で廃業した造酒店の工場設備を国税庁に紹介されて譲り受け、昭和時代以前に造りを始めた様です。創業者の三代目の専務さんで弟(腹違いらしい)の武さんから聞いた事がある。今武さんは認知症になり、記憶が無いので聞けませんが。武さんの写真が北海道新聞社から出ていた「北の美酒巡り」に出ていた。武さんの長男が協和発酵にいて、千葉県で薬の営業マンをしているようですが潮陵高校、日大出身でピアノが得意で、田原俊彦に似ていましたね。

投稿: | 2013年10月17日 (木) 19時38分

名無しさん、こんばんは。
あっ、その本、気になってました。
もう見られたんですね。
それにしても、やっぱり歴史的な話や昔の話は、
正確に伝えるのがなかなか難しいですね。
私も注意したいと思います。

投稿: 小梅太郎 | 2013年10月18日 (金) 00時30分

北海道のアイヌ関係の私設博物館の人が、個人のコレクションとして、土方歳三の陣羽織を入手してもっている事を、小樽博物館の学芸員で札幌の東海大学四高校出身の目がくりっとしたジャズ好きな人に聞いた事があります。この酒造店のOBの蔵人の西脇老人から、大量の古い酒ラベルの資料を寄贈されたと言ってニコニコしていました。熊古露里や雪中花のネーミングは、この人に関係が深そうな感じですね。評判の良かった人は居なくなり、それ以外が…。あの今の店に入り難い雰囲気の原点のような感じだと学芸員の人が言ってましたね。

投稿: | 2013年10月18日 (金) 02時29分

この店の事務員だった藤井女子が、ジェリー藤尾さんや勝新太郎さんが、熊古露里の大ファンであり、勝さんの奥さんの玉緒さんから直接リピートの注文があったと言ってました。創業者三代目の徳次郎さん(本名は昌さんで二代目を襲名した)はアイディアマンだったので、桂小粒さんを含めて多彩な芸能界の友人の写真やサインがあったと言ってました。俳優の米倉まさかねさんの息子さんと、徳次郎さんの養子の息子さんが親友で、清酒北宝を劇団の米倉まさかねさんに、直接手渡ししていたらしいです。(劇団民芸から劇団海猫に活動場所を変えている情報あり)巨人の監督の原さんとも同窓で友人らしいです。慶應義塾大学時代の竹内マリアさんとも…。委託醸造元として、雪の花酒造の原酒が一番良かった様だと雪の花酒造の関係者だった人を親戚に持つ、中央バスのIさん(小樽商業空手部OB)が言ってましたね♪

投稿: | 2013年10月18日 (金) 02時57分

昔、亡くなった父親が、ここの酒を愛飲していました。「北宝」だったような気がする。友人の実家でしたが今は経営者が別の様で、連絡不能ですね。

投稿: 米倉日呂登 | 2014年10月18日 (土) 23時17分

米倉日呂登さん、こんばんは。
そうでしたか、山二わたなべの「北宝」ですね。
まだ飲んだことがないので、飲んでみたいです。
今は経営者が別なんですね。

投稿: 小梅太郎 | 2014年10月19日 (日) 00時21分

ゴールデンカムイのネタ元は、ここのエピソードですね❗️原作者が知っている。

投稿: 緑樹 | 2024年1月31日 (水) 19時12分

緑樹さん、こんばんは。
なるほど、徳川のお金とアイヌの話、土方歳三も出てきて、なんだかゴールデンカムイの話とつながりますね。

投稿: 小梅太郎 | 2024年2月 1日 (木) 22時19分

昔に、今は無い、川田商店で役員をしていた、故西川さんから聞いた話では、ここのビルの屋上に、日本陸軍の20ミリ高射機関砲の部隊が展開していて、昭和20年7月15日の小樽の空襲の時、機銃掃射をするグラマンF6Fと一騎討ちになり、そのグラマンに命中弾着を確認したそうです。このビルの斜め北側15メートルに建っていた、三階建ての樋口邸にグラマンの弾丸が命中していたそうです。その時に拾った、グラマンの薬莢を見せてもらったと言ってました。北海道新聞社の平成初期の記事に高射機関砲の記事が載っていたと言ってました。

投稿: | 2024年2月 3日 (土) 12時45分

小樽の図書館で北海道新聞社の昔のデータに、息ずく遺産小樽の歴史的建造物シリーズのNo.1に見つけましたよ。又、別の記事で、SL「しづか号」清酒にと言う題名の箇所に、ジョンクロフォードの測量器具が出てました❗️新撰組の事はなかったですね。

投稿: | 2024年2月 4日 (日) 05時52分

名無しさん、こんばんは。
(2件のコメントはは同じ方かな?)
ここのビルの屋上にそのような部隊が展開していて、小樽の空襲時にそのようなことが起こっていたのですね。
北海道新聞の平成初期にも高射機関砲の記事が掲載されていたんですね。知りませんでした。
それが、図書館で見つかったのですね。
新撰組の事はありませんでしたか。

投稿: 小梅太郎 | 2024年2月 5日 (月) 02時04分

1994年以前の記事だったと思います。マイクロフィルムより前の手でめくる新聞です❗️

投稿: | 2024年2月 5日 (月) 12時28分

そうでしたか。よく見つけましたね!!

投稿: 小梅太郎 | 2024年2月 6日 (火) 11時54分

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