地震について
昨日の巨大地震、それから続く甚大なる被害に心を痛めています。
被害に遭われた皆様、心からお見舞い申し上げます。
小樽市内では目立った被害は報告されていません。
ただ、近隣の町村部では、沿岸部で避難勧告が出たりしました。
更に、北海道全体では、函館をはじめ、太平洋側で津波による大きな被害が出ています。
昔から、小樽は天災が少ない地域のようです。
今回も、市内は震度は2、津波が30cmを記録したので済み、特に問題は起きていません。
実は、うちの奥さんの実家が東京で、さすがに携帯電話は繋がりませんでしたが、固定電話が繋がり無事を確認することができました。
東京の生活が長かったので、友人・知人も多く心配です。
本当に地震、そして津波は恐いです。
救出活動が今も続いていますね。
被災地の皆様のご無事と、一日でも早く日常が戻ってくる事を祈っております。
スポンサーリンク
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 道新文化センター『「小梅太郎」の小樽の魅力発見講座』やってます!!2019年春の受講生募集広告が新聞掲載されたので宣伝します(2019.03.16)
- 都通りのちょっと前まで空き地になっていたところに建物ができつつあります。ここには確かあのお店が!?(2019.03.14)
- 小樽にも大寒波がやってきた。積雪も一気に増えてます(2019.02.09)
- 撮影スポットとしてすっかり人気の「船見坂」に車道に出て撮影しないように注意書きが貼られてます(2019.03.12)
- 3月9日の最高気温は10.3℃!!穏やかな天気が続いて3月なのに雪解けがどんどん進んでます(2019.03.10)
コメント
今語る秘話?実はあの日私は本来なら石巻へ出張で滞在中のはずでした。3月7日から1週間の予定でした。それが大きな理由とも言えない事情で15日の出発に変更になりました。出張先は石巻中央で1階が完全浸水。ですから2階以上に避難してれば命に関わる事ではありませんでしたが、以後の不便困難さを思うと皆に「運が良い」と…。直ぐに物資積み復旧応援に行きましたがテレビでは絶対に伝わらない悲惨な現実がありました。街全体が歪んでる…その後も何度か応援に行きましたが時と共に忘れられつつある被災地と言うのが正直な所です。あの時の不安感や緊張感も忘れてはいけないのに、いつの間にか備蓄用の水を飲んでしまったり…。改めてこの記事読み猛反省です。
投稿: T75 | 2014年1月19日 (日) 15時25分
T75さん、こんばんは。
なんと、そんなことがあったのですね。
出張の日程がずれたとはいえ、その惨状も目の当りにされたのですね。
当時、このような記事を書いたものの、特に被害のなかったこちらとしては、到底想像の及ぶものではありませんでした。
私もなんだか忘れつつあります。
やはり、時とともに忘れていくのは良くないですね。
私も反省です。
投稿: 小梅太郎 | 2014年1月19日 (日) 23時56分
この話しは事実です [俺運が良かったよ!!……] T75から11年3月何日だったか連絡あり私も彼の強運に驚きましたから。もう何故本来の出張日のばしたか??話しても良いでしょう。彼が告白したのは"直感"と言う物でした。その後ワゴン車で知人らと数人で何度か現地応援に行ったのも事実です。都度連絡あり私は行けない代わりにカンパしました。14年のコメント段階で (既に油断,風化しつつある)と嘆いていますが,今や…。当時T75らが石巻で彼らの会社のみの復旧作業したのか,他者の幇助もしたのかは定かではではありません。振り返るに小樽時代から彼は直感的感覚鋭かったと思います。
投稿: 夢の彼方へ | 2023年3月31日 (金) 13時46分
夢の彼方へさん、こんばんは。
このような投稿もしていましたが、やはり少しずつ忘れていて、いけませんね。
T75さんのこのお話、夢の彼方へさんへもやはり連絡があったのですね。
なるほど“直感”ですか。T75さんは、直感的感覚が鋭かったのですね。
いざという時は、直感力がものを言いそうですものね。
投稿: 小梅太郎 | 2023年4月 1日 (土) 03時09分