運河保存運動の象徴・峯山冨美さん〜訃報
本日12月30日の北海道新聞朝刊から要約しています。
『小樽運河の埋め立ての是非をめぐる「運河論争」で、運河保存派の先頭に立った市民団体「小樽運河を守る会」の元会長峯山冨美(みねやま・ふみ)さんが28日死去した。96歳。』
普通の主婦から、「小樽運河を守る会」の会長となり、運河保存運動を先導した峯山冨美さんは、その運動の象徴だったようです。
恥ずかしながら、この論争があった頃は私はまだ子供で、あまり詳しいことは知りません。
さらに、埋め立てが完了して、現在の姿になった1986年には、既に小樽を離れていて、テレビのニュースでそのことを知ったのを覚えています。
結果、残念ながら、全面保存はかなわなかったものの、現在の状態である、半分が残りました。
観光資源を頼りにしている、現在の小樽を考えると、なんと大きな運動であったかと思います。
現在、小樽に住む者として、ごく最近にそのような事があったということを、もっと認識しないといけないですね。
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コメント
「峰山冨美」さんとは生前面識があります。以前にも書きましたがNHKアーカイブス「新日本紀行-運河の街小樽」で生前の峰山さんを見る事が出来ます。1975(S50)年当時の運河と07年?のインタビューです。懐かしくDVD引っ張りだし見ました。当時の志村元市長も亡くなられたし光陰矢のごとし…。
投稿: T75 | 2014年1月20日 (月) 21時05分
T75さん、こんにちは。
峯山さんと面識があったのですね。
私は恥ずかしながら、その頃のことはよく覚えてなく、その後小樽を離れたので、そういう映像で見るといいのですね。
志村市長も亡くなられましたね…
投稿: 小梅太郎 | 2014年1月21日 (火) 13時55分