見晴らし坂〜旧板谷邸
観光客で賑わう堺町本通りの山側の小路に、右に曲がって登っていく急な坂があります。
(写真が先月のもので、すいませんが)
(坂の途中から下をみたところ)
この坂、見晴らし坂というそうです。
(知りませんでした)
ちなみに、この見晴らし坂、
近隣にはかつて、成功した経済人が好んで邸宅を構えたため、この見晴らし坂のことを出世坂と呼ぶ人もいるとのことです。(参考:小樽市HP内 広報おたる連載「おたる坂まち散歩」より)
(坂の途中から海を望めます)
この坂道を登っていくと、旧板谷邸があります。
ここは小樽市指定歴史的建造物に指定されています。
いつもの案内板も横にあります。
小樽で海運業等で財をなした、板谷宮吉氏の邸宅で、大正15年から昭和2年にかけて建てられ、和風の母屋とそれに続く洋館、そして石蔵からなる、和洋建築様式が残っている貴重な建物だそうです。
残念ながら、門から中には入れず、建物は撮ることが出来ませんでした。
その後、海宝樓という温泉と食事を楽しめる商業施設に転用されたそうですが、2007年12月25日から休業中になってしまっています。
今は放置されているのでしょうか…。
隣接地にはマンションが建設中で、経緯は分からないのですが、景観上も含め、ちょっと悲しいですね。
小樽市HP内 広報おたる連載「おたる坂まち散歩」に面白い記述があったので、ちょっと引用させてもらうと。
『板谷家の転機は、明治37(1904)年に始まる日露戦争の時に訪れました。
日清・日露戦争を描いた司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」。
物語に登場する旅順港閉塞(へいそく)作戦は、ロシア太平洋艦隊を旅順港内に閉じこめるため、借り上げた民間商船を港口に爆沈させて障害物にするというものでした。同年3月、二度目に行われた作戦で沈められた4隻の商船のうち、「米山(よねやま)丸」「弥彦(やひこ)丸」は板谷の誇る英国製の船でした。
2隻の損失に対して戦後政府から支払われた補償金により板谷の海運業はさらに発展します。』
(参考:小樽市HP内 広報おたる連載「おたる坂まち散歩」より)
まさに今、ドラマで「坂の上の雲」をやってますね。
何だか歴史を感じさせますね。
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